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2008年夏、数時間限りのショータイム
かつては“ゼロヨンの聖地”として全国に名を轟かせた時期もあった。週末ともなると200台をゆうに超えるチューンドが集結していた黄金期。しかし、それも長くは続かなかった。無法者による事件や事故の多発、警察による一斉取り締まり。それでも膨らみ続ける他県からの遠征組やギャラリーの数。地元常連達による統制も取れなくなり、マナーは一気に悪化していった。
そうした負の連鎖が、このスポットを壊滅にまで追いやってしまう。今から20年以上も前の、90年代中盤の話だ。それがどうだ。「昔みたいに盛り上がるので来ないか?」そんなお誘いを受けて訪れた聖地は、壊滅的状況どころか、全盛時代そのものだったのである。(OPTION誌2008年8月号より抜粋)
響き渡るドラッグチューンドの連続砲弾!
「伝説の地」が再び燃え上がる
中部地区の某埠頭に繋がる最後の交差点を曲がると、視界に1km以上続く対向4車線の直線路が広がった。時間を確認する。午後10時、集合時間ピッタリだ。
暗闇に目を凝らす。すると、路肩には溢れんばかりのチューンドが待機していることに気づいた。その数、ざっと見積もっても100台以上。JDDA等のドラッグレースで上位に名を連ねる名物マシンから有名ショップデモカー、はたまたチューンドコンパクトや路面に光の絨毯を形成するドレスアップ系までいる。ギャラリーの数もハンパではない。
そう、普段はコンテナターミナル専用の搬入出路としてのみ機能するこの直線路こそが今宵の舞台であり、かつて全国のドラッガー達から聖地として注目されていたストリートゼロヨンエリアなのである。
「全国的に下火のストリートゼロヨンを盛り上げたくって。今回はみんなに楽しんでもらいたかったから、ツリー(シグナルシステム)を持ち込んでトーナメント戦をやることにしたんです」。スタート位置で自作トーナメント表を眺めながら、今宴の仕掛人が語る。
午後11時。誰からともなくエンジンに火を入れると、フルチューンらしい不規則な心音が周囲を圧しはじめた。間髪入れず、ウエストゲートの解放音とアフターファイヤーの炸裂音が鼓膜に襲いかかる。21世紀最大規模のストリートゼロヨンが幕を開けたのだ。
暖気を終え、完全に眠りから覚めたマシンが、スタートライン手前のバーンナウトゾーンで豪快にリヤタイヤをスピンさせはじめた。激しさを増すエキゾーストサウンド、天高く舞い上がるタイヤスモーク。この世のものとは思えない音と白煙の狂宴は、まるでこの地を全盛期へとタイムトリップさせるための魔法のようだ。
続けてドライホップ。ドラッグレースでは当たり前の光景だが、深夜のストリートでそれを目にすると不思議と心が熱くなる。イリーガルな雰囲気を一層かき立ててくれるからだろう。
“儀式”を終えた2台がいよいよスタート位置に並ぶ。ツリーのカウントダウンに導かれるように高まっていくエンジンノイズ。ランプが黄色から緑色へと移行する。一瞬ののちリヤタイヤが路面を蹴り飛ばし、身をよじるようにスタート。ノーズを持ち上げたまま、拳銃から射出された弾丸のごとく突進力で闇の中へと消えていく。
わずかなインターバルをおいて、運営スタッフが次の組をスタート位置まで誘導する。そしてまた快音を轟かせながら走り出す。そんな光景が途切れることなく続けられた。
この宴は、夜明けとともに消えゆく夢幻のようなものだ。それでもこの夜、かつての聖地がストリートゼロヨンを愛する走り屋のチカラによって復活を果たしたことは、まぎれもない事実。そのことだけは、深く記憶に刻みつけておくとしようではないか。(OPTION誌2008年8月号より抜粋)
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