【世界一のスピード違反で逮捕されたスモーキー永田という男】いま明かそう、あの事件の真相を。

伝説のイギリス318km/h逮捕劇! トップシークレット永田和彦の独白

「あ、会社潰れるかも…。あの時はそう思った」。そのように当時を振り返るトップシークレットのスモーキー永田。“あの時”とは、もちろん「イギリスの公道で世界一のスピード違反を記録して逮捕」され、世界中に衝撃を与えた事件だ。

イギリスのチューニング雑誌との出会い

さかのぼること23年前。1998年1月、東京オートサロンが全てのはじまりだった。

イギリスの有名チューニング雑誌“MAX POWER”がトップシークレットのチューンドGT-Rに感激し、本国で開催されるモーターショーへの出展を熱烈オファーしてきたのだ。当時のイギリスではGT-R人気が凄まじく、現地価格で1000万円を軽く超える高級車、誰もが憧れるジャパニーズ・スーパーカーだったのである。

しかし、残念ながらトップシークレットのGT-Rはその時期に別の予定が入っていた。そこで、スモーキー永田は0-300キロバトル仕様として仕上げていたRB26DETT搭載スープラへの代替策を提案。無事に交渉は成立し、1998年10月25日にスモーキー永田はスーパーチューンドと共に渡英した。

「現地では大好評だった。周囲にはイタリア車やフランス車のチューンドが並んでいるだけだったので、金色のスープラはインパクトがあったみたい」。

実はこのイギリスのモーターショーはかなりお堅いイベントで、日本で言えば東京オートサロンではなく東京モーターショーに近い雰囲気だったそう。そんなイベントにMAX POWER誌はブースを出展し、チューンドを5台ほど展示していたというから驚かされる。

「でも、この期間は日本がドラッグレースのシーズンでさ。忙しかったから10月30日に途中で帰国したんだよね」。

同年11月3日、再びイギリスへ。「今度は出展車両の引き取りと、MAX POWERの取材だった。11月4日の朝からサーキットでウチのスープラを走らせて、夜はストリートって流れだったかな」。

3台のパトカーに囲まれた!

事件はMAX POWER誌のストリート取材中に発生した。

「ロンドンから北へ2時間ほど行った街の高速道路、たしかA-1という名前だったと思うんだけど、ここが交通量は少ない上に4車線あってめちゃくちゃ走りやすかったんだ。330キロくらいまで踏んだかな」。

時刻は午前4時。撮影をはじめてからもう2時間近くが経過している。そろそろ撤収しようと考えてクールダウンに入った刹那、スープラのバックミラーに凄まじい勢いで追いかけてくるパトカーの姿が映った。

「パトランプが見えた時は、正直、会社が潰れることも覚悟した。当時のイギリスの法律って交通違反に厳しかったからさ。スピード違反だけで、日本で言えば人身事故なみの罪になっちゃってたし」。

無線による連携で、アッという間に3台のパトカーに囲まれたスモーキー永田。言葉も何も分からないまま、その場で逮捕されてしまったのである…。

「いろいろ言われたけど、あとで思えば権利や逮捕後の手順の説明だったんだろうね。茫然自失になったボクは、スープラの助手席に婦警さんを乗せて、そのまま警察に向かったんだよ…」。

警察に到着。すぐに取り調べが開始されたものの、時刻は早朝の6時。通訳を手配するにも時間が早すぎるため、そのまま留置所に送られた。

留置所は4m×2mのコンクリート部屋だった。固いベッドと壁に仕切られたトイレ。暖房などあるわけもなく、ただじっと、小さい窓から“外の世界”を眺め続けるしかなかった。

「徹夜だったけど、全然眠くならなくて…。気温が1度あるかないかの寒い部屋の中でひとり、頭の中で最悪の未来を想像しつづけた。懲役何年かな? 会社潰れるかな? 日本から面会にきてくれるかな? でも、どうせ誰もきてくれないんだろうな! 何年か経って日本に帰ったら、トップシークレットの看板の代わりに違う看板が出てるんだろうな!とか」。

300km/hを認めたら日本に帰れない!

午前9時、ようやく通訳が見つかり、本格的な取り調べが開始された。

「とにかく認めたら日本に帰れないなって思った」。

実は、今回の取材には日本のメディアも絡んでいた。そう、暴走専門ビデオ『ビデオオプション』である。そしてまずいことに取材用に回していた車載カメラのビデオテープが、警察に押収されてしまったのだ。

テープの内容を見られたらおしまいだ。

「300km/hオーバーがバッチリ録画されていたわけだからね。もう焦ったよ」。

ところが、幸いにも日本とイギリスではビデオの規格が異なり、簡単にテープの中身を確認することができなかったのである。

ただし、イギリスの法律では、スピード違反はパトカーが制限速度を越えた時点で前のクルマに追いつけなかったら成立してしまう。

「おまわりさんはしきりにカメラのことを気にしていたよ」。

なぜカメラを積んでいたのか? 一体なんのためにあんなスピードを出したんだ? 矢のような質問が警察官から浴びせられる。

「とにかく趣味です!の一点張り。たまたまスピードを出したら、カメラマンがいただけって。どうも警察はMAX POWERを叩きたかったらしいんだよね。チューニングが叩かれるのはどの国も同じってわけ」。

奇跡の判決、そしてヒーローへ

その日の午後から裁判がはじまった。

「外国人だったから急いでくれたのかな。とにかく“偶然スピードを出してしまった。カメラマンがいたのも偶然。車載カメラが積まれていたのも偶然”で押し切った」。

判決は予想以上に軽い28日間の免停と、3万円の罰金だった。

「全身の力が抜けたよね。それから押収されたスープラを取り返してホテルに帰って倒れるように眠ったんだ」。

次の朝、帰国のために荷物整理をするスモーキーの元へ、MAX POWERの取材班から電話がかかってきた。

「ナガタか。今、外に出るな! ロビーに新聞記者やテレビ屋が大勢いる!」。

300km/hオーバーの逮捕劇はイギリス国内で大々的に報道され、自分の想像をはるかに超える大事件になってしまっていることをスモーキー永田はこの時はじめて知った。

気づかれぬようホテルの裏口から抜け出すと、まっすぐ空港へ。もうこれ以上余計なことに巻き込まれるのはゴメンだ…。

そして無事に日本へと帰国。

イギリスから衝撃的な情報が舞い込んできたのは、スモーキー永田が日本に帰って数週間後のことだった。

「ヨーロッパのクルマ好きたちの間でナガタの人気がヤバイことになっている! 英国道路上での最高記録をマークした伝説のジャパニーズチューナーってね! ヒーローだ! だから、また来てくれ!」。

そう、いつの間にかスモーキー永田は伝説の200マイル・モーターウェイレーサーとして、世界中のチューニングファンの間で神のような存在になっていたのだ。

「びっくりだよ。事件以来、海外のお客さんが急増してさ。外国人からサインを求められる機会も多くなったんだ。でも、イギリスにはしばらく行く気がしなかった。塀のなかで過ごしたあの悪夢が忘れられなくてね…。長い人生いろいろなことを経験してきたけど、あれは間違いなく“最悪”のひとつ!」。

“心の整理”が付くまでには、10年以上の歳月が必要だった。スモーキー永田がイギリスの地を再び踏んだのは事件から11年後、2009年のことである。

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