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日本のカルチャーに魅了されたアメリカ人のFD3S改造物語
見る者を一瞬で魅了する戦闘的エアロフォルム
カリフォルニア州ロングビーチ出身のジョニー・グルンワルドは、日本のチューニング文化から強い影響を受けた一人のカーガイだ。免許取得の適齢期に、英語の字幕付きで放送されていたアニメ『頭文字D』を観て、ドリフトやチューニングの世界へ興味を募らせていった。
高校を卒業し、いよいよクルマを買おうと決意した頃、まわりではランエボやインプレッサがもてはやされていた。だが、ジョニーが選んだのは、『頭文字D』にも登場したFD3S型RX-7。一度ハマると抜け出せないロータリー中毒にすぐさま侵され、エンジンはこれまでに二度も交換。人生初のクルマが、今なお所有する唯一の愛車である。
大きな転機が訪れたのは、アメリカで日本製のエアロパーツなどを販売している『Bulletproof Automotive(ブレットプルーフ・オートモーティブ)』に勤めていた時のこと。当時から親交のあった日本のエアロチューナー、TCPマジックの川戸代表から、SEMAショーに出展するため車両を提供してもらえないかと打診を受けたのだ。
TCPマジックと言えば、長年に渡ってスーパー耐久やD1グランプリに参戦し、現在はフォーミュラDジャパンに参戦している名うてのチーム・コンストラクター。4ローターターボのRX-7で知られ、ドライバーにニュージーランド出身のマッド・マイク選手を起用していることでも有名だ。
そんなRX-7マイスターから思いもかけず白羽の矢を立てられ、しかも全米から選りすぐりのカスタムカーが集結するSEMAに出展できるという夢のような話。魔法にかけられたかのように、ジョニーはもちろん快諾した。
だが、その一方で一抹の不安がないわけでもなかった。大事な自分のクルマを提供するなら、ちゃんと納得のいくカタチに仕上げたい。とはいえ、なにせ自分は雇われの身。残念ながら資金も時間も潤沢とは言い難かった。
そこで一念発起したジョニーは思い切って会社を辞め、自ら会社を起業した。アメリカと日本、そしてタイにおけるモータースポーツ関係のコンサルティングを請け負い、パーツ類の輸出入と販売も手がけるビジネスを始めたのだ。その本業で資金を調達し、同時に一人のフリーランス・チューナーとして、マシンメイクにも没頭していった。
心臓部の13B-REWは、Lucky 7 Racingが手がけたブリッジポート、E&J Autoworksのアペックスシールを採用。タービンはPrecisionの6766H、制御にはオーストラリアのAdaptronic製モジュラーECUを使用して、最高出力は550psをうかがう。
Vマウントのインタークーラーとラジエターは、いずれもLucky 7 Racing製。カーボンファイバーのカスタムパイピングが、エンジンルームの雰囲気をレーシーに引き締めている。EXマニはHKS、マフラーはアミューズ・コーポレーションと、適材適所で日米のハイクオリティパーツが採用されているのが印象的だ。
ホイールは、ボルクレーシングTE37SLブラックエディションV2。スポークに加えられるアクセントカラーは本来ルミナスイエローだが、このRX-7ではイメージカラーに合わせて特注のレッドが採用された。タイヤはトーヨーのプロクセスR888Rを装着する。
足回りは、Stance Suspension GR+3WAYコンペティションコイルオーバー(エクスターナル リザーバー付き)でセットアップ。ブレーキシステムもブレンボのレーシングディビジョンが製作したモノブロックの特注品で、355mmのカーボンコンポジットローターが組み合わせられる。
エクステリアには、マッド・マイクが駆るフォーミュラDマシンと同じTCPマジックのワイドボディキットを装着。前後左右のカナード、フェンダー、サイドスカートなどはすべてカーボン製だ。同じくカーボン製のボンネットはチャージスピード、固定式ヘッドライトはR-Magic、リヤディフューザーはRE雨宮、シャーシマウントの大型リヤウイングはBattle Aero製を備える。
内装は11ヵ所に渡ってワンオフのカーボンパネルを使用。ドアトリムにもEvo-R製カーボンパネルが装着されている。ステアリングホイールは超レアなトップシークレットとパーソナルのダブルネームだ。
追加メーターはデフィ(ブースト計、水温計、油温計、EGTゲージ)で統一。
レカロ製バケットシートはアルカンターラとダイヤモンドステッチで張り替えが行われ、ナギサオートのシートレールでローマウント化している。
トランクルーム内には、エアカップで3ウェイの車高調整が可能なStance Suspension製コイルオーバー用エアタンクを装備。
人一倍の努力とハードワークの甲斐あって、見事にビルドアップされたジョニーのRX-7は、2016年のSEMAで鮮烈なデビューを飾った。TCPマジックのエアロを筆頭に、綺羅星の如きJDMブランドを身につけた勇姿は、SEMAでも大きな反響を呼んだ。
そして、日本のチューニング文化をこよなく愛するジョニーには、もうひとつ大きな夢がある。東京オートサロンに愛機を出展することだ。
「東京オートサロンこそ、自分にとってナンバーワンのスペシャルイベントだからね。いつか夢が叶ったら、たくさんの人に見てもらいたい。OPTION誌を読んでくれたみんなと日本で再会できることを期待しているよ(笑)」
日本との出会いで人生を大きく変えた男と、その唯一無二の愛車は、日米のカーカルチャーを橋渡しするアイコンになろうとしている。
PHOTO:Akio HIRANO/TEXT:Hideo KOBAYASHI