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ガレージタルガの技術力が注がれた至宝の1台
そのページを開いた瞬間、「これはカッコ良い!!」と思わず声が出た。今では考えられないが、OPTION誌がまだ爆発的に売れる前、1985年当時は大半がモノクロページで、カラーページは全体の2割に満たないほどだった。そんな貴重なカラー2ページを使って紹介されていたのが、オープン仕様にされたこのコスモスポーツだ。(OPTION誌1985年6月号より抜粋)
昭和の時代に完全公認を取得したスーパーカスタム!
製作は1965年に福岡県大野城市で創業した“ガレージタルガ”。知る人ぞ知るボディ架装メーカーだ。1980年代には車両価格+100~200万円(公認車検取得代含む)で多くのオープンモデルを生み出したが、初めて認可まで取ったのは日産オースタークーペで、その名を一気に広めたのがMR2(AW11)だったということを当時の記事で初めて知った。
ちなみに、ガレージタルガは2001年に廃業。現在は分社独立したTGRがカスタムボディビルダーとして洋型霊柩車の企画から生産、販売までを行なっている。
そんなガレージタルガの傑作が、このタルガ・スペシャルDWCCコスモスポーツだ。コスモスポーツと言えば、ロングノーズ&ショートデッキで全高もわずか1165mmしかなく、まさにスポーツカーの王道をゆくスタイル。そのルーフを大胆にもカットして誕生した唯一無二のオープンモデルは一言、“無双”としか言いようがない。
クローズドボディのオープン化はベース車によって似合う・似合わないがハッキリ分かれるが、コスモスポーツは誰が見ても「似合う」と思うはずだ。そのスタイリングに全く違和感を覚えないのは、全高の低さとフロントウインドウの傾斜角、キャビン後端からテールエンドにかけてごくなだらかに落ち込んでいくラインなどがオープンボディにマッチしているからだろう。
インタビュー記事の中でガレージタルガ創業者の林氏も言っている。「素材でかなり出来が違います。オープンにしてカッコ良いのは、クセのあるヤツか、プレーンな直線ラインが良いみたいです」と。典型的なスポーツカースタイルのコスモスポーツは当然、“クセのあるヤツ”ということになる。
一方で、「貴重なクルマをわざわざオープンカーにしなくても…」という声が聞こえてきそうだが、それは野暮というものだ。確かに35年前は現在ほど中古車価格が高騰してなかったため、ベース車両としてコスモスポーツを選びやすかったことは間違いない。しかし、それ以前にチューニングやモディファイの基本、「気に入ったクルマを好きなようにイジる」ということを実践したまでにすぎないからだ。
自らプランを練って行動に移す人は、ベース車両が高いとか安いとか、貴重だとかそうでないとか、そんなことを考えてはいない。もし考えたらきっと二の足を踏むし、ましてやそこに第三者が口を挟むのはおかしな話だ。
誰もやらなかったコスモスポーツのオープン仕様をカタチにしただけでなく、スタイルを含めて完成度の高さも抜群。チューニング=違法改造とされた昭和の時代にこれほど大掛かりな改造を施し、公認車検を取って正々堂々ストリートでも乗れたとは、まさに時代を先取りしていたと言うしかない。
さらに、往年の名車を現代風にアレンジしたリバイバルブームが訪れている今、マツダがコスモスポーツのオープンカーを出してくれたら…などという妄想を勝手に膨らませていたりする。ND型ロードスターをベースにすれば、ありえない話ではないと思うのだが…。