「伝説のインパルD-01シルエット誕生秘話」星野一義&稲田大二郎スペシャル対談!

発売当初の鳴かず飛ばずから大逆転

日産の準ワークスメーカーと言える“ホシノインパル”。その創設者であり代表を務めるのは、“日本一速い男”と呼ばれた星野一義氏だ。レース活動を行なう一方で、市販車向けのアフターパーツもリリースする同社だが、その第一弾が1980年に発売されたアルミホイール、『インパルD-01シルエット』だった。今回のインタビュアーは星野氏と同い年で、オートスポーツ誌の駆け出し編集部員だった頃から50年近い親交があるDaiこと稲田大二郎。お互いを“戦友”と呼び合う2人から飛び出すエピソードに期待だ。

最盛期は月販2万本を記録した伝説のホイール!

星野:いやぁ、Daiちゃん久しぶり。よく来てくれたね。今日はホイールの取材だって? こっちの業界にはもうDaiちゃんしか話し相手がいないから、何でも聞いてよ。

Dai:お互い20代のペーペーの時からだから、長い付き合いだよな。俺はオートスポーツの記者で、日産に行ったって親分格の田中健次郎を筆頭に、国さん(高橋国光)とか北野さん(北野 元)とかうるさいおじさんばっかり。まともに話なんて聞いてくれないわけ。その点、星野は同じ歳だから話しやすくて、レースを応援しながら色々話をしたもんだよね。

星野みたいな若くて速い奴が出てくると、自分が首を切られると思う連中からいじめられるって聞いて「なんで若い奴をいじめるんだ!」って涙を流しながら意見をしたのを覚えてるよ。そういえば、ホシノインパルを始めて何年になるの?

星野:1980年だから、今年で42年目。俺、多分ホシノインパルを始める時、Daiちゃんにも「商売を始めようと思っている」って相談してると思うんだよね。「レースをやりながら商売はできるもんだろうか?」って、色々な人の顔色を伺いながら意見を聞いて回って「今やらなかったらこの先の生活はない」と決断したんだ。

Dai:そうだよな。インパルを始めた頃の星野は、レーサーとしてはもうかなりのところまでいっていたんだけど、多分、本人としてはそれだけで食べていけるかどうかと心配だったんだろうね。

当時はね、レーサーとか未経験の人がクルマの用品業界に進出するには、ホイールが一番手を出しやすかったんだよ。だから、星野もきっと先に始めた人達を見て、「よし、ホイールを作ろう」って思ったんじゃないかと想像するけど…。

星野:本当はショップをやりたかったんだけど、物件を見つけてパーツなど在庫を抱えるには最低でも1億円はかかる。そんな資金はないから、まずはパーツを作ろうというわけ。周りを見ると、すでにアフターパーツの商売をしていた人達が沢山いたからね。

RSワタナベもハヤシレーシングも、レイズやワークも、創業者はみんな油でツナギを真っ黒にしながらFL500を押していたメカニック達じゃない。それが年商100億円も稼いで、すごくリッチな暮らしをしていたからね。一方レースで実績を残してきた歴代のトップレーサー達はどうかというと、彼らが得たのは栄誉くらい。そこで俺はトップレーサーとしての栄誉とリッチな暮らしの両方を、この手で掴んでやろうと考えたわけ。

Dai:これは俺の持論なんだけど、チューニングパーツの“王様”的な存在がホイールだと思うんだ。だって誰でもが最初に買うでしょ。しかも、必ず4本単位なんだから当たればデカいわけよ。当時はね、『ホイールが当たればビルが建つ』って言われてたくらいだからね。

インパルD-01シルエット

星野:そうしてレースで貯めたお金を元手に、42年前にスタートしたのがホシノインパル。ただし、俺はレースのプロではあるけど商売なんて未経験。そこで相棒として担ぎ出したのが妹のダンナである金子 豊。アイツは埼玉ダイハツで成績トップの営業のプロだったんだ。最初は本社を静岡の俺の自宅、埼玉の金子の自宅を東京営業所としていたんだ。

で、最初の商品として発売したのがD-01だったんだけど、実はこれ、今もウチのホイールを作り続けてもらっているエンケイの鈴木社長(当時)の厚意のお陰で生まれたものなんだ。今でも本当に感謝している。

Dai:ほう、それは興味深い話だね。どういうこと?

星野:元々は自分でコンロッドタイプの5本スポークをデザインして木型で試作品まで作ったんだけど、それを見て鈴木さんが「こりゃあ星野さん、あかんで」って言うわけ。メッキ代わりの銀紙がうまく貼れてなかったのもあるんだけど、まぁ自分で見てもイマイチで、こんなのは売れるわけないって。

それがショックでふらふらと外に出て、2時間くらいボーッと田んぼのあぜ道を歩いてエンケイに戻ると「星野さんの本気さは分かった。良ければウチのデザインを見せるから、気に入ったのがあればあげるよ」と鈴木さんが言ってくれたんだ。で、会議室の壁にぎっしり貼られた中の一つがD-01。何百枚もあるデザイン画の中で、一際輝いて見えた。まさに運命の出会いってやつだね。

Dai:星野が持ってきて最初にD-01を見た時は「うわぁダサ!!」って思ったよ。確かに他にはない特徴的なデザインではあるんだけど、正直センスねぇなって感じ。俺の最初のストリートZにD-01を履かせてオプションで紹介したりもしたな。目立ちはしたけど、最初のうちは他に履いているクルマは見かけなかったような気もするね。

星野:そう、最初の2年は全く売れなくて苦労した。北海道から鹿児島までホイール1本を持って、全国のタイヤシショップに営業に回ったよ。もちろん、レースやテストもそれまで通り全てこなしながらだよ。レースがあってGCやフォーミュラのテストもある。その合間にホイールの営業。そんなことをしている俺を見て、松本恵二なんかは「よくそんなことをするなぁ、俺にはできん」なんて言ってたよね。辛かったけど、ハンドルを握らない生活っていうのがこんなに大変だと分った当時の経験が、その後にすごく役に立っている。

そんな状況が一気に変わったのは、やっぱりシルビアのシルエットフォーミュラに履いてからだった。レースにD-01を使うにあたって、強度を上げるためにディスクを固定するボルトの数とサイズをアップしてD-01シルエットにモデルチェンジ。最初は「こんなにカッコ悪くしてどうするんだ!」って気に入らなかったんだけど、実際はこれがバカ売れしたんだよ。

売れないうちは、D-01を履いてるクルマを見かけると「ありがとうございます」と名刺に書いてワイパーに挟んでおいたりもした。初めて月に500本売れた時には金子と天丼でお祝いした。それがシルエットに履いたのをきっかけに、ついにピークの時は月に2万本。エンケイでも製造が間に合わなかったから、全国のショップが奪い合い状態。だから、ちょっとでも安売りしたもんなら即取引停止。今じゃ考えられないような強気の商売をしていた。D-01の大ヒットのお陰でできたのがこの世田谷のお店。まさにDaiちゃんが言うように、ホイールでこの世田谷のビルが建ったんだよね(笑)。

Dai:クルマの動力は変わっても、絶対に必要なのがホイール。だからさぁ星野、今こそD-01を復活させてもう一発ドーンと当てようよ。そうだ、一緒にやらない? ジジイ二人でホイール持って全国を営業しちゃおうよ…。

●取材協力:ガレージインパル世田谷区ショールーム TEL:03-3439-1122

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ガレージインパル
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