「日本フォードって一体なんだったの!?」そんなモヤモヤをスッキリ解消しよう!

「マツダとフォードとオートラマの関係性」を理解するのがポイント!

フォードの生産拠点がマツダの研究開発所に?

『日本フォード』と聞いて、それが何を指すのか、ズバリ答えられる人はどれくらいいるのだろうか?

会社のようにも思えるし、ブランドのような気もするし、オートラマで売っていたクルマ? などと思いながら「掴みどころがない…」というのが正直なところだと思う。そこへきて、マツダも絡んでくるから話がややこしい。そこで、まずマツダとフォードの関係に迫る前に触れておきたいのが、日本におけるフォードの展開だ。

その第一歩は今から90年以上も前の1925年、横浜・緑町に日本フォード社を設立し、1927年には新子安に日本初の本格的な自動車組み立て工場を建設したことまで遡る。

日本フォードは当初、世界初の量産型大衆車として大きな成功を収め、モータリゼーションを成立させたT型フォードの左ハンドル仕様をノックダウン生産していたが、1927年からはその後継モデルとなるA型フォード右ハンドル仕様の生産も開始した。

実は、新子安工場があった場所に現在建つのが1986年から稼働するマツダR&Dセンター横浜だ。首都高速神奈川1号横羽線の子安ランプを降りて数分、自動車雑誌編集者からすると新型車の技術説明会や発売前の事前撮影会などで足を運ぶことがある、お馴染みの場所だったりする。

しかし、R&Dセンター横浜はマツダ技術開発の中枢というのが本来の姿。ちなみに、広島の本社研究開発部門が量産技術の開発に重きを置くのに対し、横浜では主に先進技術の開発や先行研究が行なわれるなど、明確な住み分けが図られている。

狭義ではフォード車輸入会社、広義だとマツダ製フォード車

さて、ここからが本題。フォード自動車(日本)株式会社、通称“日本フォード”とは、アメリカ・フォードモーターカンパニーによる100%出資の子会社だ。日本にフォード車を輸入するための会社として1974年に設立された。

それとほぼ時を同じくして始まったのが、マツダとフォードの業務提携。北米やアジア向けの小型ピックアップトラック、フォードクーリエをマツダがプロシードベースで生産したり、ボンゴもフォードエコノバンとしてアジア市場に供給されるようになった。

R&Dセンター横浜が建つ前の貴重な写真。白い建物は入口の守衛所だったと思われる。

実はマツダとフォードが業務提携する前段階の話として外貨が自由化された60年代末、三菱とGMが手を組むなど、国内外の自動車メーカーが提携を結ぶ動きが活発化していた。

その頃、マツダ(当時は東洋工業)もフォードと資本提携を行なう話が進んでいたが、諸般の事情で破談に至ってしまったため、まずは業務提携から始めることになったのだ。

ライン生産工場の建屋を外から撮影。ノコギリ(風)の屋根が特徴的だ。ちなみに1935年当時、日本でもっとも規模が大きかった自動車メーカーは日本フォードだった。トヨタ初の量産車、トヨダAA型がまだ発売される前の話だ。

その後、1979年に両社の資本提携が実現。日本でもフォードブランド車を販売するための新しいチャンネルとして1981年にオートラマが設立され、1982年10月に営業がスタートした。

つまり、日本フォードと言った場合、本来の意味では『フォード車の輸入会社』ということになる。しかし、もっと広い意味で捉えたり、クルマ好きが抱くイメージからすると『マツダ(東洋工業)が生産したフォードブランド車全般』という解釈も成立する。

日本フォードという言葉が理解しにくく、掴みどころのなさを覚えるのは、結局2つの意味を持っているからに他ならない。

3車種で始まったオートラマ、遅れて専売モデルも追加!

1982年から1997年にフォードセールスジャパンが設立されるまで、新宿センタービル(東京都新宿区新宿1-25-1)の38階にあったオートラマの本社。念のため確認してみたが、フロアガイドの38階にオートラマの社名は見つけられなかった。

オートラマ発足時の取り扱い車種はファミリアベースのフォードレーザー(画像は1500 GHIA)と、カペラをベースとするフォードテルスターの2モデル。レーザーは広島の宇品工場で、テルスターは山口の防府工場で生産される、フォードバッジを付けたマツダ車だった。

ちなみに、カペラは当初2ドアクーペと4ドアセダンで展開し、マイナーチェンジ後に5ドアハッチバック(画像はTX5 2000MEGI/GHIA)を追加。対してテルスターはドアセダンと5ドアハッチバックで、ドアクーペはラインナップされなかった。また、1986年にはオートラマ専売モデルとしてフォードフェスティバがカタログモデルとして加わった。

提供から提案にシフト、ディーラーの新しい姿

日本フォード車を扱うオートラマで注目したいのは、それまでの国産車ディーラーとは違う新たな施策を積極的に採り入れていたことだ。

まずは、従来の訪問販売から店頭販売への切り替え。ディーラー営業マンが家を訪ねて新車を売るのではなく、ユーザーが店舗(ディーラー)に出向いて新車を購入するスタイルだ。

また、単に新車の提供=販売に留まらず、ユーザーの多様なニーズに合ったカーライフを提案する情報発信基地的な位置づけも新しかった。そこでは新車販売はもちろん、カー用品やアクセサリー、クルマ関連アパレルの販売、さらにはクルマの修理や整備まで行われることになった。そのため、従来のディーラーでは売上げのほぼ100%を新車販売が占めていたが、オートラマでは新車販売が50%、カー用品などの関連商品販売が50%という売上げ構成比が掲げられた。

さらに、ディーラー展開にあたって鉄道やデパート、鉄鋼メーカー、造船会社など、本来はクルマ業界と関係がない新規資本の大幅参入を実現したことも特筆すべき点と言える。

あらゆる面で既存ディーラーの概念を打ち破り、新たな営業スタイルを確立したオートラマ。販売面で一定の成果を上げることに成功したこの方法論は、ユーノスやオートザムの展開でも用いられることになった。

バブル崩壊のあおりを受け、終焉を迎えた日本フォード

マツダ生産の日本フォード車を販売していたオートラマは、1988年から輸入フォード車の販売(輸入業務はマツダが担当)を開始し、翌1989年に日本フォードが資本参加。1992年には、アメリカ製フォード車(リンカーンコンチネンタル、フォードトーラス/サンダーバード/プローブ)の輸入権がマツダから日本フォードに戻された。

5チャンネル化で拡大路線を取っていたマツダの経営戦略はバルブ景気の崩壊とともに見直しを迫られ、まず1994年にオートラマ店がフォード店に名称を変更。1997年には社名がフォードセールスジャパンへと改められた。

一方、その時点で輸入会社としての日本フォード=フォード自動車(日本)は存続していたが、1999年にフォードセールスジャパンとの統合によりフォードジャパンが設立。日本フォードは25年の歴史に幕を下ろしたのである。

TEXT:廣嶋健太郎(Kentaro HIROSHIMA)/PHOTO:マツダ株式会社

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