本来は緊急時に使用する警告灯

まず確認しておきたいのは、ハザードランプ(正式名称:非常点滅表示灯)の本来の機能である。これは、車両が故障した際や、事故などによりやむを得ず停車する場合に、自車の存在を他のドライバーに知らせるためのものだ。
日本の道路交通法でも、「故障車両を示す灯火」として定義されており、例えば高速道路上でやむを得ず路肩に停車する際などに使用するよう求められている。
また、トラックやバスの運転手が、停車して荷降ろしなどの作業を行う際に点灯するケースも多い。つまり、ハザードランプとは本来、「注意を促すための信号」であり、感謝の意思を伝える目的では設計されていない。
なぜ「お礼の合図」として使われるようになったのか

本来は緊急時に使用するハザードランプが、なぜ「ありがとう」を伝える手段になったのか。始まりは、1980年代後半から90年代初頭にかけて広まったとされる、トラックドライバー同士の無言のコミュニケーションにある。
長距離輸送を担うトラック同士は、互いに道を譲り合う場面が日常的に多い。言葉では交わせない中で、「ありがとう」の意思をどうにかして伝えたい。そんな気持ちから、ハザードの短い点滅が感謝のサインとして使われるようになった。
やがてその慣習は、トラック業界にとどまらず一般ドライバーの間にも広がっていった。とくに高速道路の合流や、渋滞時の車線変更など、ちょっとした思いやりを示すシーンで自然と使われるようになり、今では無言のお礼として一般化している。
ハザードランプによる感謝のサインは、法律にも教習所のマニュアルにも載っていない。あくまで非公式なマナーであり、強制力も正解も存在しない。しかしながら、この行動には、日本人ならではの価値観が色濃く表れている。
「言葉にしなくても察する」「控えめに、それでいてきちんと気持ちを伝える」といった日本独自の美意識が、このマナーの背景にある。ハザードをわずか1~2回、さりげなく点滅させるその動作には、ささやかな気遣いが詰まっている。
相手に感謝を強要せず、あくまで自然体でありながらも確かに伝わる思いやり。こうした静かなコミュニケーションが成立するのも、日本の道路文化の魅力といえる。
海外では通じない“ローカルルール”に注意
日本では広く浸透している「ハザードでのお礼」だが、このマナーはあくまでも日本独自のもの。海外ではまったく異なる意味で捉えられることがあるため、注意が必要だ。
海外の中には、ハザードランプの点滅は「故障車」や「危険を知らせるサイン」として認識される場合もある。そのため、走行中に点灯させると「何かトラブルがあったのか」と誤解されかねない。
国によっては、意味を取り違えられるばかりか、不要な混乱や危険を招く可能性もある。海外で運転する際には、その国の交通文化やハンドサインのルールに従い、日本流のマナーを持ち込まないことが鉄則である。
無言の「ありがとう」を伝える、日本独自のハザードマナーが残すもの

ハザードランプで感謝を伝える行為は、法的な義務でもなければ明文化されたルールでもない。だが、そのわずか数秒の点滅に込められた「ありがとう」の気持ちは、確かに受け手に届いている。
クラクションや手を振るジェスチャーに比べ、ハザードの点灯は控えめで上品な表現だ。言葉を交わすことなく感謝を伝えられる手段として、多くのドライバーに支持されてきた背景には、「察する文化」を大切にする日本人ならではの価値観があるといえる。
しかし一方で、「点滅時間が短すぎる」「点滅のタイミングが早すぎる」といった使用方法によっては、かえって不快感を与えてしまうこともある。とくに、強引な合流の直後に一瞬だけ点滅するハザードは、「本当に感謝しているのか」と疑問を持たれかねない。
結局のところ、大切なのはハザードそのものではなく、それが使われる状況や相手への配慮である。合流時のマナーや前後の動きも含めた思いやりが、ハザード以上にドライバー同士の印象を左右するポイントとなるはずだ。
