時代錯誤な「女性の運転禁止」が近代まで残されていた驚くべき理由

1970年代には、女性の運転について議論が行われたが、宗教界からの反発で解禁されることはなかった。

サウジアラビアにおける女性の運転禁止は、実際には法律として明文化されていたわけではない。世界中から批判された女性の運転禁止令は、正式な法律ではなく「慣習」と「宗教解釈」に基いた実質的な規制だったのだ。

そもそも、国教をイスラム教とするサウジアラビアでは、その保守的解釈により女性が公共の場で顔を見せることや男性の親族(マハラム)以外と接触することが厳しく制限されている。禁止を支持する宗教指導者たちの主張は、女性が運転すれば必然的にガソリンスタンドの店員や交通警察官など、男性とのやりとりが増え、道徳的退廃を招くというものだ。

さらには、科学的根拠のない「運転は女性の骨盤に影響を与え、生殖機能に害を及ぼす」といった現代とは思えない主張も、2013年まで公然と語られていたというのだから驚きだ。もちろん、サウジアラビアの女性はこのような根も葉もない規制に対して、ただ黙っていた訳ではない。

首都リヤドでは1990年11月、湾岸戦争の混乱に乗じて47人の女性が車を運転し、運転許可を政府に要求するというデモが行われている。この抗議運動の参加者たちは職を失い、パスポートは没収、一部は投獄される事態にまで発展した。

しかし結果として、この弾圧は「女性の運転は西洋の腐敗した価値観の侵入」とする保守派の声を一層強め、禁止令がより確固になる契機となってしまった。

権利を主張する女性活動家たち。国際的に批判された女性の運転禁止

2010年以降もサウジアラビアの女性たちは、車を運転すると拘留されていた。

2011年のアラブの春以降、サウジアラビアの女性活動家たちは運転する権利を求める運動を活発化させた。特に象徴的だったのが、女性の運転を合法化する運動を牽引したとされるマナル アル・シャリフ氏の行動だ。

彼女は2011年5月17日、自身が車を運転する様子をYouTubeに投稿し、その動画は瞬く間に拡散した。その結果、シャリフ氏は「公の秩序を乱した」という罪で逮捕され、9日間の拘留措置という代償を払うこととなった。

「ウーマン2ドライブ(Women2Drive)」と呼ばれる女性の運転許可を求めるこのような運動は、国際的な注目を集め、2011年6月17日には約70人の女性が全国で一斉に運転するという史上最大の抗議にまで発展した。彼女たちの多くは威嚇や脅迫、職場からの解雇といった報復に直面したが、それでも声を上げ続けた。

国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは2013年に詳細な報告書「Boxed In: Women and Saudi Arabia’s Male Guardianship System(囲い込まれた女性たち)」を発表。国連女性差別撤廃委員会も再三にわたりサウジアラビアの女性に対する制限の撤廃を勧告した。

サウジアラビアは「女性が運転できない世界で唯一の国家」という不名誉なレッテルを貼られることとなり、欧米諸国からは経済制裁の可能性まで示唆される事態に発展。一方、王族内部では改革派と保守派の間で激しい権力闘争が続いており、女性の運転問題は国の将来の方向性を象徴する重要な争点となっていた。

転機を迎えたサウジアラビア。女性の運転解禁と残された課題

サウジアラビアにとって転機となったのは2015年、若き改革者としてのイメージを持つムハンマド・ビン・サルマン皇太子の台頭だった。彼の主導する「ビジョン2030」は石油依存からの脱却と経済多角化を目指すもので、女性の社会進出は重要な柱とされた。

2017年9月26日、サルマン国王の勅令により、サウジアラビア政府は女性の運転を2018年6月24日から許可すると発表。解禁初日には、多くの女性が運転する様子をSNSに投稿し、世界中のメディアによって報じられた。

しかし、運転解禁だけでサウジアラビアにおける女性の自由が完全に保障されたわけではない。同国では依然として「後見人制度」が残され、女性が結婚や留学、パスポート取得などの重要な決断をする際には男性親族の許可が必要となっている。

運転解禁は大きな一歩と言えるが、男女平等へのサウジアラビアの女性たちの挑戦は今もなお続いているのだ。