
1991年に発売されたホンダ・ビートには数々の「初」が冠せられた。当時世界初となるミッドシップ・フルオープン2シーターボディ。もちろんこれは軽自動車としても初めてのことであり、さらに軽自動車初の4輪ディスクブレーキ、軽自動車初のSRSエアバッグシステム搭載などなど、発表時は非常に驚かされたクルマだった。

発売時にはエンジンが3気筒SOHCであることに不満を漏らす向きもあったようで、確かに後発のライバルたちがDOHCターボであったことへの不利さはあった。けれど高回転までストレスなく回るエンジン特性は、ミッドシップレイアウトやフルオープンボディと相まって他モデルでは味わうことのできない操縦性をもたらしてくれた。

ビートの魅力はスタイリングにも表れている。イタリアンデザインだとする説が有力なボディはタイヤを四隅に配したことで安定感をもたらし、全体をかたまり感ある造形としている。またボディサイドのラインがエアインテークまで直線的に繋がることで、とてもシャープな印象。なのに、全体として見ると可愛らしいとさえ表現したくなる。ホンダの傑作デザインの一つと数えても構わないほどだった。

2025年5月11日に埼玉県北本市にある「北本ヘイワールド」で開催された「昭和平成クラシックカーフェスティバル」では、ホンダ車が特別企画として集められた。ズラリと並ぶ歴代ホンダ車の中に、とても存在感のある黄色いクルマが目を引いた。それが今回のビートで、ナンバープレートには「群馬51」というとても古い数字が記されている。これはもしやワンオーナー車か!と思って近づいてみると、ビートのオーナーである瀬川篤記さんとお話しすることができた。

実にこのビートは発売年である1991年式だから、34年も経った個体。ボディの輝きからは、とてもそれだけの歳月を経過したようには思わせない。とても大事に保管されているのだろうと話を聞くと、残念ながらワンオーナーではないものの23年前に手に入れた実質2オーナー車であることがわかった。

一時期はNAユーノス・ロードスターに乗り2シーターオープンの魅力に目覚めた瀬川さんだったが、訳あって手放すことになった。一度オープンカーの魅力に目覚めてしまうと、次のチャンスを虎視眈々と狙ってしまうようだ。瀬川さんも次なるオープンカーを求めていたが、ロードスターを手放してから8年後にチャンスが訪れた。それがこのビートであり、中古車店に展示されているものを見てオープンカー復活を遂げることにした。

2002年に入手してから23年が経つものの、ボディの輝きは購入時からあまり変わっていない。やはり車庫保管であることが効果的だったようで、この当時のホンダ車でソリッドカラーのボディだと色褪せが目立ってしまうもの。ところが全塗装することもなくこれだけのコンディションを維持している。それにノーマルにこだわってきた点も程度の劣化を最小限にとどめることに貢献していることだろう。実にステアリングを除けばフルノーマルを保っているのだ。

とはいえ手を加えていないという意味ではない。手に入る部品があればその度に刷新してきた。例えば燃料の給油口はアルミ削り出しの純正アクセサリーへ変更、純正マフラーカッターの追加、2012年に発売された新車時と同じデザインを踏襲するiPhone、iPod対応のUSB付きスカイサウンドコンポへ入れ替えなどを行っている。さらに2023年にはホロを純正で新調したし、翌年には劣化したものから純正新品マフラーに交換している。

オープンカーにとりホロの劣化は避けて通れないことで、四季を通じて温度差によりどうしても縮んでしまう。定期的な交換が必要になる代表的な部品だが、ホンダでは人気のあるビートについては純正部品の供給を再開している。そのため傷んで交換が必要になっても一部の部品なら困らない状況なのだ。これは旧車やネオクラに乗るオーナーにとっては、なんとも羨ましいこと。さらにビート固有のトラブルにも対策を施してきた。その代表が上写真のシートベルトガイド。シートベルトを外して乱雑に離すことを繰り返すと樹脂製のガイドが損傷してしまうのだ。

これまで走行距離は10万キロを超えたところで、まだまだエンジンやミッションに不具合はないという。例えば吸排気系を社外品にして高回転を多用する走りを繰り返したりメンテナンスを疎かにしていると、これくらいの走行距離でもトラブルに見舞われることがある。だがノーマルを保ちつつ適度に走らせてあげてメンテナンスを定期的に実践することで、ネオクラシックカーはまだまだ元気に走らせることができる。その代表のような瀬川さんのビートなのだった。