元祖・ビッグシングルのトレールモデル・ヤマハ XT500とは?
1976年(昭和51年)に発売されたヤマハのトレールモデル、XT500。
1976年に発売されたヤマハXT500は、2ストロークエンジンに力を入れていた当時のヤマハが世界市場に向けて設計・製作した4ストロークエンジン搭載モデル。エンジンは空冷4ストローク単気筒SOHC 2バルブで、排気量は499cc。ボア径×ストローク長はΦ87mm×84mm。最高出力は30ps/5,800rpm。 ※このエンジンは1978年に登場するSR500にも搭載(ただし最高出力は32psにアップ)
XT500を一躍有名にしたのは、同車をベースにしたカフェレーサー「XT-S 500ロード・ボンバー」。ワンオフのフレームにトレールモデルのヤマハXT500用エンジン(ノーマル)を搭載したXT-S 500ロード・ボンバーは、モト・ライダー誌の発案により、カスタムショップが製作。エイプリールフール(4月バカ)企画として「ヤマハからNEWモデル登場!」と誌面展開された。
これが思わぬ反響を呼び、1977年の鈴鹿6時間耐久ロードレース(翌年から開始される鈴鹿8時間耐久ロードレースの前身)に出場。同車のエンジンを搭載したシマR&Dのワンオフレーサー「ロードボンバーIX」は、大排気量の4スト多気筒マシンや、2ストレーサーのTZ350などが出場する中、18位で完走を成し遂げるなど、今もなお伝説として語り継がれている。誕生のディープなお話は、下記ページをチェック!
XT500のエンジンは、“ビッグシングル”と呼ばれた1978年発売の超ロングセラーモデル「SR400」と「SR500」に継承。なおXT-S 500ロード・ボンバーのカフェレーサースタイルは、SR400/500にも大きな影響を与えている。
今見ると、まるでSRのストリートカフェカスタムのようなスタイルの「XT-S 500ロード・ボンバー」。このカスタムは1978年に発売された超ロングセラーモデル・SR400/500のフォルムにも大きな影響を与えた。
ヤマハSR400/500の誕生に大きな影響を与えたハイエンドカスタム「XT-S 500ロード・ボンバー」の誕生秘話(全7回)
エイプリルフール企画が大ごとに⁉️ 42年前、業界が騒然となったヤマハ・ロードボンバー、今だから言える裏話。【モト・ライダー】|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]今から42年も前のお話である。三栄書房刊モト・ライダーというバイク専門誌があった。1976年10月号創刊、当初の編集部員は全員20代。若いエネルギーに満ち溢れ、とりわけアクティブな新雑誌としてハートの熱い読者にも支えられ人気は順調に推移。そんな中、業界を震撼させる出来事が起きた。それが「ロードボンバー事件」である。事件というと大げさすぎるかもしれないが、その背景はこうだ。モト・ライダー創刊前に発案され、水面下で進行していたカフェレーサーにまつわる編集企画が発端。「造ってしまおうか!」初代、鈴木脩巳編集長の声。やがて企画案は醸成され、1977年4月号で「ヤマハから新型カフェレーサーが登場する!」 というあたかもスクープ記事であるかのように全貌を披露した。「これは4月1日、エイプリルフール」の文字を小さく添えて。
https://car.motor-fan.jp/article/10008857
♯2 ヤマハ・ロードボンバー裏話、制作を手がけた島さんとは何者か?|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]77年に雑誌モト・ライダー誌の企画から誕生したビッグシングルスポーツバイク、ロードボンバーをトコトン走らせた男「山田 純」が綴る、開発者「島 英彦」さんとの出会い。ロードボンバーと出会うよりも前のお話。若い頃にさかのぼり、島さんとのご縁について思いを巡らす。ロードレース参戦のキッカケを与えてくれた島さんは、後に単身渡米して腕を磨いた「山田純」のライディングテクニックと走りのセンスを高く評価していた。やがてそれが、ロードボンバーでの鈴鹿耐久レース参戦へと繋がっていく。まずは序章の始まりである。テキスト●山田 純(YAMADA Jun) 編集●近田 茂(CHIKATA Shigeru)
https://car.motor-fan.jp/article/10008927
♯3ヤマハ・ロードボンバー裏話、「なぜ細い、なぜ狭い?」真実に迫る開発ストーリー|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]前回ご紹介した「島 英彦」さんのもと、ロードボンバーの開発は着々と進められた。鈴木 脩巳編集長直々の依頼を請けた後、ヤマハ・エンデューロXT500が島さんに届けられた。その後は、モト・ライダー編集部もノータッチである。果たしてどのようなバイクが仕上がってくるのだろうか。その開発ストーリーの全貌が島さん自らの執筆で明らかにされたのである。(1977年5月号のモト・ライダー誌に掲載)テキスト⚫️山田 純(YAMADA Jun) 編集⚫️近田 茂(CHIKATA Shigeru)
https://car.motor-fan.jp/article/10008986
♯4ロードボンバー裏話。最高速は174.8km/h、 谷田部での走行テスト秘話と開発ストーリー|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]ロードボンバーはナンバーが取得できないので、公道走行は叶わなかった。当時谷田部にあったJARI(日本自動車研究所)の高速周回路と筑波サーキットへはトランスポーターで搬送し、シェイクダウンテストが開始された。ロードボンバーは秘めたるポテンシャルを遺憾無く発揮。想像以上のテスト結果は周囲を驚かせたのである。ついに走ったテストシーンを2回にわたってレポート。テキスト⚫️山田 純(YAMADA Jun) 編集⚫️近田 茂(CHIKATA Shigeru)
https://car.motor-fan.jp/article/10008938
♯5ロードボンバー裏話。4輪最速マシン、ポルシェ930ターボに真っ向対決を挑むもまさかの返り討ちに!?(1977年6月号)|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]前回は動力性能試験の聖地である谷田部(JARI)でのレポートをお届けしたが、もうひとつモト・ライダー誌では操縦性能を厳しくチェックする上で、メインのテストステージとして筑波サーキットを使っていた。当然、ロードボンバーもその真価を問うべく筑波サーキットに持ち込んで走り込んだのである。テクニカルなショートコースで、いかなる走りを発揮したのか。ついにそのポテンシャルが明らかになる。テキスト⚫️山田 純(YAMADA Jun) 編集⚫️近田 茂(CHIKATA Shigeru)
https://car.motor-fan.jp/article/10009469
♯6ロードボンバー裏話、ロードボンバー製作記 その3 & 筑波サーキットテスト|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]雨の筑波でポルシェのラップタイムに及ばなかったロードボンバーのお話は前回既報の通り。意気消沈するどころか、ボンバー関係スタッフのモチベーションは上がる一方。ドライ路面の筑波サーキットに再アタックし、予想以上の好タイムを叩き出すことに成功した。ベストタイムは1分14秒7である。今回は前回お届けできなかった、「ロード・ボンバー製作記 その3」とサーキットレポートに的を絞った「走れ! ロード・ボンバー」の抜粋記事をお届けします。編集⚫️近田 茂(CHIKATA Shigeru )
https://car.motor-fan.jp/article/10009887
42年前の夏、ロードボンバーは鈴鹿サーキットにいた。/♯7ロードボンバー裏話|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]いよいよ耐久ウィーク! 鈴鹿に『暑い熱い』真夏の祭典がやって来る。鈴鹿8時間耐久レースは今年で42回目の開催。第一回目は1977年開催の6時間耐久だった。モト・ライダー誌の企画で誕生した「ロードボンバー」は鈴鹿耐久レース参戦に向けて果敢にも走り出した。しかも鈴木編集長はライダー候補に「堀 ひろ子」さんの起用を提案したのである。テキスト⚫️山田 純(YAMADA Jun) 編集⚫️近田 茂(CHIKATA Shigeru)
https://car.motor-fan.jp/article/10009829
懐かしエイプリルフール企画 「ロードボンバー」|レース参戦、順位はどうなった?#8(最終章)|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]1977年、4月のエイプリルフール。バイク誌モト・ライダーは、一つの嘘をついた。「ヤマハから新型カフェレーサーが登場する」、ロードボンバー事件である。これをきっかけに編集部では、実際にそのカフェレーサーの制作を決断し、連載企画とした。前回#7では鈴鹿耐久レース参戦決定までの経緯を報告。モト・ライダーの鈴木編集長は、山田 純(当連載の筆者)のペアライダーに「堀ひろこ」さんの起用を提案。しかしレースではマシンの押しかけ(エンジン始動)が必須である。果たして彼女はXT500のエンジンをプッシュスタートできたのか!? 今回はその続きをお伝えし全8回に渡った連載を締めるとしよう。テキスト⚫️山田 純(YAMADA Jun) 編集⚫️近田 茂(CHIKATA Shigeru)
https://car.motor-fan.jp/article/10010156
ベース車両:ヤマハ XT500 製作:296 JAPAN
写真は絶版ビンテージモデルのヤマハXT500をベースにしたダートトラック風カスタム。タンク・シート・サイドカウル・テールカウル・リアフェンダーは、すべてが一体となった流れるような“トレイシー・ボディ”にカスタマイズ。
「トレイシー・ボディ」とは、ガソリンタンク・シート・サイドカウル・テールカウル・リアフェンダーが一体となった、1970年代に北米で流行したバイクスタイルや外装パーツを指す。当時トレイシー・ボディは、ダートトラッカー、チョッパー、カフェレーサーなど幅広く対応し、ハーレーダビッドソン用、トライアンフ用、ホンダのCB用、カワサキ用などがラインナップされていた。
写真のカスタムはフレームをワンオフ製作し、リジッド式フロントフォーク&リアショックなどを導入。エンジンは1978年以降、SR400/500に継承される、XT500の空冷4ストローク単気筒SOHC 2バルブを搭載。一体感あるボディ、アップハンドル、ブロックパターンタイヤにも注目。
XT500のエンジンは、腰下(クランクケース部)のカバー類をシルバー化するなど、ブラック×シルバーのツートンカラーでエンジン周りの存在感を強調。
ズドドドでも、ドバババでもない。空冷ビッグシングルの加速を味わう。|ヤマハSR400ファイナルエディション試乗昭和53年、西暦にして1978年に登場したヤマハSR400。幾度もの環境規制をクリアしつつ43年にわたり生き残ってきた長寿モデルだが、ついに終焉を迎える。登場した時点でも、特筆する高性能ではなかったSRだが、なぜにここまで支持され愛されてきたのか、最後を記念するファイナルエディションから探ってみる。
https://motor-fan.jp/bikes/article/6854
ヤマハSR400は20世紀の傑作車。令和時代にクラシックバイクを味わえる、希少な存在だ!ビッグシングルトレール〝XT500〟で得たノウハウをオンロードに応用し、1978年に登場したスポーツモデルがヤマハのSR400/500だ。500については1999年に生産を終了。そして400も2021年3月15日に発売されたファイナルエディションをもって43年の歴史に幕を閉じた。昭和、平成、令和と生き長らえたSR、その魅力にあらためて迫る。 REPORT●大屋雄一(OYA Yuichi) PHOTO●山田俊輔(YAMADA Shunsuke)
https://motor-fan.jp/bikes/article/6955