
平成の初めから中ごろ、家の前に当たり前のように停まっていたクルマがある。白かシルバーのトヨタ・カローラだ。特別に速いわけでもないし、特段カッコいいというわけでもない。けれど「あの頃の風景」を思い出そうとすると、必ずそこにいる1台だろう。
1990年代前半、7代目にあたり、100系と呼ばれる世代のカローラは、まさに“日本の標準”だった。この当時、このクルマを選んだ理由を、家族や親族、友人・知人などの身近なオーナーに、きちんと聞いた記憶はない。おそらく理由は一つではなく、「無難だから」「壊れないから」「みんな乗っているから」。今思えば、それらすべてが「正解」だったのだと思う。

後席は決して広くはなかった。長距離移動では、子ども同士でも足がぶつかり、シートの感触も余り優れていたとは言えない。それでも不思議と「狭いクルマだった」という印象は残っていない。カローラは、過度に快適さを主張しない代わりに、不満も強く残さなかった。むしろさらに旧世代のカローラを知る世代は、「え、これがカローラかい?」と驚いていたようにさえ思う。

エンジン音は静かだった。少なくとも、うるさいと感じたことはない。高速道路では風切り音が増え、会話の声が少し大きくなる。だが、それは当たり前のことで、誰も気にしなかった。むしろ家族にとっては、車内の他愛のないおしゃべりこそが重要な時代だったのだ。
この頃のカローラは、家族の行事と強く結びついていた。正月の親戚回り、夏休みの帰省、日曜日の買い出し。特別なイベントではない、繰り返される日常。そのすべてに、同じクルマが使われていた。

今の目で見ると、100系カローラは驚くほど素っ気ない。装備もデザインも、特段に感情を刺激しないだろう。だが、それこそが、「家庭用の道具」としての完成度の高さだったのだと思う。家族の記憶の中で、クルマが前に出すぎない。その距離感が、長く使われる理由だったのかもしれない。
もし今、同じ条件で同じ役割のクルマを選べと言われたら、ここまで「普通」に徹した選択は難しいかもしれない。だからこそ、あの頃のカローラは、少し懐かしく、少し誇らしい。
このクルマのカタログには「大きな、愛のような、カローラ誕生。」とある。そこからは、世間ではバブルだと浮かれているのに薄給、出世からも少し遠く、ヨレヨレの一張羅がトレードマーク、けれども家族を飛び切り大切にして粉骨砕身、毎日毎日コツコツ働いた父親の背中が見えてくる。カローラと同じく、決して派手ではなかったが、確かに役目を果たしていた。あの頃、「家にあったクルマ」とは、そういう存在だったのだ。
