1991年式日産セフィーロ・タウンライド。

1台のクルマに長く乗り続ける人がいれば、頻繁に乗り換える人もいる。自営業者なら一定のスパンで中古車を乗り継ぐなんて人もいることだろう。知り合いのカメラマンから聞いた話には、行きつけのスナックへ行くと先客がいた。カメラマンがクルマを撮影対象にしていることを知っているママは、その先客を「こちらの社長さん、3年ごとに新車のクラウンを買い替えているクルマ好きなんですよ」と紹介されたとか。カメラマン曰く「そんなのクルマ好きじゃねぇ」とオチをつけてくれたが、世の中には色々なクルマ好きがいるものだ。

アルミホイールまでノーマルを保っている。

けれど同じ車種を何台も乗り継いだという人は少ないのではないだろうか。2026年1月25日に開催された「第2回水戸クラシックカーフェスティバル」の会場で、そんな人と知り合えた。それが今回紹介するセフィーロのオーナーであるアベさん。18歳で運転免許を取得すると、初めての愛車として選んだのがA31セフィーロだった。それ以来何台ものセフィーロを乗り継ぎ、今でも白いタウンライドを所有しているのだ。

当時最新だったプロジェクターヘッドライト。

最初に乗ったセフィーロがよほど良かったのだろう。その後、アベニールやモビリオなどにも乗ったことがあるそうだが、結果的に何度もセフィーロへ戻ってきている。セフィーロの魅力を聞くと「スタイルです」と、A31初期型ならではのデザインに惹かれているそうだ。デザインの特徴といえば、先にS13シルビアにオプション設定されたプロジェクターヘッドライトを標準装備したことによるフロントマスクではないだろうか。

独特な形状のドアノブ。

初代セフィーロは「くうねるあそぶ」というキャッチコピーが話題となり、テレビCMでの「お元気ですか?」というセリフが特徴的だった。ただ、この宣伝は昭和天皇が体調を崩された際に不適切とされ、音声だけがカットされる。こうしたことも話題になり、斬新なスタイルのセダンにも関わらず14万台以上が生産されるヒット作となった。

リヤガーニッシュに車名とメーカー名が入る。

初代セフィーロはR32スカイラインやC33ローレルの兄弟車と言ってよく、基本的な構成は3車共通。直列6気筒のRBエンジンをフロントに積む後輪駆動車であるものの、斬新なスタイルによりスカイラインやローレルとは異なるユーザー層へ訴求することを狙った。発売されたのは1988年でありバブル景気が盛り上がりを見せていた時期。そのためか凝ったデザインのドアノブなど高コストな仕様が随所に見られる。その当時、時勢を反映してか高性能ターボエンジンであるRB20DET型を搭載するクルージングをよく見かけた記憶がある。

エンジンは2リッターのRB20E型直列6気筒SOHC。

RBエンジンというと前述のターボやDOHC仕様が人気だったが、アベさんが乗っているのはSOHCのRB20E型を搭載するタウンライド。意外な気がしないでもないが、今となっては少数派のセフィーロだから生き残っている個体はおとなしい仕様が多いのかもしれない。特にターボエンジンは部品としての人気が高かったから、それこそエンジン・ミッションだけ抜き取られてしまうケースもあったことだろう。

ステアリング含めてノーマルを保つインテリア。

最も出力の低いグレードだからトラブルとは無縁だろうと思いきや、まったくそんなことはなかった。聞けばヒーターが故障して修理したことに始まり、オーディオの液晶が欠けてしまい社外のカーナビに交換したりと色々と苦労されたそうだ。中でも不思議な症状が出たという。冷間時にエンジンを始動すると、なぜかハイビームが点灯してしまうというのだ。

走行距離はまだ8万キロ台でしかない。

エンジンが温まると症状は自然となくなるそうで、それほど深刻に捉えていないそうだ。とはいえ何かしらハーネス関係に不具合があるのだろう。考えてみればこのセフィーロの年式は1991年であり、すでに35年もの歳月が経過している。トラブルと無縁に過ごせるわけもない、立派なネオクラシックカーなのだから。ただ、走行距離は伸びてなく、取材時点で8万キロ台を示していた。だからエンジン本体やトランスミッションには深刻なトラブルは発生していない。

厚みのあるシートにはレースのカバーがかけられている。

アベさんのセフィーロはほぼノーマルを保っている。何台もセフィーロを乗り継いだ結果としてノーマルに行き着いたのだろう。展示されていた車内にはセフィーロのカタログなどが並び、セフィーロ愛が感じられた。今では数少ないモデルだからだろうか、隣にも後期型のA31セフィーロが並んでいた。聞けばお知り合いだそうでセフィーロ乗りのネットワークもあるそう。ネオクラなら同じ車種に乗る知り合いを作ることも維持し続ける大切な要素なのかもしれない。