
昭和33年(1958年)、高度経済成長の入り口に立った日本で誕生したスバル 360は、戦後の焼け跡からようやく立ち上がり始めた国民にとって、“マイカー”という新しい夢を現実のものにした記念碑的な存在でした。当時、日本政府は“国民車構想”のもと、自家用車の大衆化を目指していましたが、スバルは航空機技術で培ったノウハウを活かし、全長3メートル以下、排気量360ccという軽自動車規格に収まりながら、4人が乗れて長距離も走れる“本格的なクルマ”を実現させたのです。

その丸みを帯びた愛らしいフォルムから“てんとう虫”の愛称で親しまれ、庶民にとって初めて現実的に手の届くクルマとして、日本のモータリゼーションを一気に加速させました。ちょうどこの頃、テレビの普及とともに新しい大衆文化が花開き、東京タワーが建設され、東京オリンピックに向けたインフラ整備が急速に進む中、スバル 360はベビーブーム世代の家庭を中心に圧倒的な支持を集め、「一家に一台」の時代を切り拓いていったのです。

軽量なFRPルーフや空冷2ストロークエンジンといった独創的な技術も注目を集め、日本の自動車工業の自立を象徴する一台となりました。10年以上にわたって生産され、軽自動車の、いや、日本の自家用車の礎を築いたこの小さなクルマは、単なる移動手段ではなく、戦後ニッポンの復興と希望を運んだ、“走る国民的アイコン”だったのです。


