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清水と富士と男伊達
のそのそ起き出し、清水の宿を走り出したのは午前10時をまわった頃だ。フューエルメーターの目盛りは残りひとつ。快晴の空には雲ひとつない。
気分よく走り出したとたん、さっそくフューエルメーターのラスイチ目盛りがピコピコと点滅をはじめた。ガス欠までの最終警告だ。
もうすぐガス欠すると思うと、たいていのライダーは心がザワつくものだ。でもわざわざガス欠させようとして走ってるタカハシにとっては、旅のゴールが見えてきたようなもの。逆に気が楽になって、ちらっと観光でもしようかと思い始めた。
静岡県民のアイドル、清水次郎長
つい最近、清水次郎長(しみずのじろちょう)を知らないという人物に会い、マジこいつ人間か? くらいにめっちゃ驚いた。だが、もしかすると次郎長がウルトラメジャーな世界的大偉人として崇敬を集めていたのは、京都に生まれたタカハシが、少年時代に一時暮らした昭和期の静岡周辺に限ったことだったのかもしれない。
清水次郎長は、幕末から明治にかけて現在の静岡市清水区あたりで活躍した侠客(きょうかく)だ。今風にいえば、いわゆる「反社」にあたるが、じつは社会事業家として地域の発展に尽くした人でもあった。
清水市には今でも次郎長の名をもつ通りがあり、次郎長の生家が保存・展示されている。なんとなく暴力団っぽいイメージの次郎長をお堅い自治体が公然と褒めたたえていることに違和感をもつ人もあるかもしれないが、それも現代とは違う当時の社会背景あってのことなのだ。
かつて少年タカハシがハマった次郎長のテレビドラマは、コンプライアンスに厳しい令和の時代ではとても放送できないような代物だったが、子どもだったタカハシは、切った張ったの次郎長親分のカッコよさにしびれ、腕っぷしの強さに身もだえし、義理人情の切なさにボーダの涙を流しまくったものだった。だが、テレビ時代劇が放送されなくなった最近では、次郎長生家を訪れる人もめっきり減ってしまったという。
名勝 三保の松原
せっかくここまで来たんだし、せっかくの晴天だしで、三保の松原に足をのばすことにした。東海道に名立たる景勝地だから、見て損はないはずだ。気温はたった8度だが、日差しのおかげでまあまあぬるっと生暖かい。
三保の松原からは、国道150号を西へ進む。駿河湾岸にべったり張り付き、大海原を見晴らしながらスカッと豪快に突っ走る清水バイパスだ。が、これが並走する別ルートと合流すると、なぜかとたんに「いちご海岸通り」という、どことなくサ○リオ少女っぽいキラキラネームに成り下がってしまうのも愛おしい。
国道150号が安倍川を渡る静岡市あたりでは、東海道は海を離れた北側を通っている。でもめんどくさいからこのまま行こう。焼津市から内陸へ舵をとり「おおむね旧東海道」にあたる県道381号線に乗り換えることにした。
駿河から遠州へ
同じ静岡県でも、大井川を西へ渡るともう駿河とは呼ばれない。旧国名で遠州(遠江/とおとうみ)と呼ばれた別の国だ。金谷宿を過ぎ、小夜の中山(さよのなかやま)へ。少しでも早くガソリンを減らそうと休まず走りっぱだったから、さすがに疲れ、「子育て飴伝説」で知られる小泉屋の軒先で一息いれた。
トリップは249.5km、フューエルメーターはいまだに最後の一個が点滅したままだ。いったいどこまでこの状態で走る気なのか……モンキー125のピコピコへの粘着ぶりは異様というほかはない。
3日目は91.9km、累計278.8kmでチャレンジ継続中
日坂宿をすぎると、国道1号は県道415号に名を変える。行く手に沈む陽はたちまち朱に染まり、袋井バイパスを降りる頃には、すっかり薄暮の空に変わっていた。
日没後の2月のライディングは、寒さで全身がきりきり痛む。辛抱たまらず磐田市のビジホの部屋に転がりこむと、すぐさまシーツにくるまって暖をとった。
モンキー125のフューエルメーターはあいかわらずピコピコしたままだ。日本橋からの走行距離は278.8km、この日の走行距離は91.9kmだった。