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ボンジョルノ!在伊ジャーナリストの大矢アキオ ロレンツォです。
2024年10月14日から7日間にわたって開催された第90回パリ・モーターショーは、48ブランドと158の出展社・団体が参加。展示はパビリオン5館にわたり、50万人を超える一般来場者が訪れました。大手ブランドの概要は、すでに各メディアで伝えられていますが、実は小さなブースにも意欲的なクルマが見られた、というのが今回の話題です。
約70年の眠りから覚めたブランド
最初は「ドラージュ」です。ヒストリックカーに詳しい方なら承知のとおり、ドラージュとは、かつてフランスを代表する高級車のひとつでした。1905年にルイ・ドラージュによって創業した同社は、黎明期のグランプリ・レースや速度記録で輝かしい戦績をあげました。その傍らで、「フイゴニ&ファラシ」「アンリ・シャプロン」といったカロスリによる華麗なボディと組み合わされた豪華モデルは、コンクール・デレガンスの華となりました。しかし、1929年の世界恐慌の影響は避けられず、1935年には競合企業ドラエ(デラヘイ)の傘下に入ります。さらに終戦直後に今度はドラエが他企業であるオチキスに吸収された時点で、ドラージュは消滅してしまいました。
その復活を2019年に試みたのは、ローラン・タピ氏とそのグループです。タピ氏は1974年生まれ。フランス屈指の実業家ベルナール・タピ氏の子息です。彼のもと新生ドラージュの株主リストには、高級ブランドを多数擁する「ケリング・グループ」のオーナー、フランソワ&フランソワ=アンリ・ピノー父子やドバイ系企業など、錚々たる名前が連なっています。サーキットで有名な中部マニクールに、すでに工場を構えています。
タピ氏は筆者に「かつてレースやコンクールでは、常にブガッティと一、二を争うブランド。それがドラージュだったのです」と熱く語ります。Delageの商標はクラブが所有していたものを貸与してもらうかたちで使用しているとのことです。
復活ドラージュ第1弾は「D12」と名付けられ、すでにグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードなど一部イベントで公開されてきました。自社製とアナウンスされているV型12気筒6.6リッターは850psを発生。そこに150psの電気モーターを組み合わせています。限定台数は30台。2024年中に生産を開始し、年産6台のペースで造ってゆきます。2024年から、30台限定で生産される予定です。
「路上を走るF1マシーン、もしくは戦闘機」を謳うD12のデザインを担当したのは、キュール・ミュンヤラツィKuhl Munyaradzi氏です。英国ウェールズ・トリニティ・セント・ディヴィド大学の自動車デザイン学科を2016年に卒業。フリーランス・デザイナーとして活動ののち、2019年から2022年までドラージュにデザイン担当責任者として参画しました。任務を終えた現在は、メキシコのカリブ海に面したプラヤ・デル・カルメンをベースにしています。そのミュンヤラツィ氏に、文書で回答を寄せてもらいました。
まず、ローラン・タピ氏との出会いは?
「ローランが呼んでくれたとき、私はフリーランスの自動車デザイナーとして働いていました。彼は当時、私が使っていたオンライン・プラットフォームを通じて私を見つけてくれました」
D12は、極めてユニークなハイパーカーです。タピ氏があなたにアプローチしたとき、彼らは製品コンセプトをどの程度固めていましたか?
「ローランが私に D12 のデザインを任せたとき、彼はすでに D12 がどうあるべきかについて明確な考えを持っていました。私がプロジェクトに貢献したのは、彼のアイデアを視覚的にまとめ、デザインのいくつかの側面を改善することでした」
ドラージュは過去に長い歴史をもっています。伝統的なイメージをどのようにD12に反映したのですか?
「個人的にはD12 は、 ドラージュというブランドを復活させるためのユニークなプロジェクトだったと思います。私が注力したのは、レースの豊かな歴史に敬意を表することでした。かつてドラージュは限界を打ち破ったのです。その目的は D12 を開発するときも同じでした」
デザイン開発には、どの程度の期間を要しましたか?
「ローランと私は D12 に対して同一のビジョンを持っていたので、プロセスはかなり迅速でした。デザインの大部分は 6 か月で完成したと思います。ご想像のとおり、エンジニアが参加してからは、デザインの改良にもう少し時間がかかりました」
部品点数わずか1800点!
もう1台紹介するのは「ソフトカーSoftcar」です。こちらはスイスを本拠とするエンジニアのジャン=リュック・テュリエーズJean-Luc Thuliez氏率いる同名の研究開発企業による提案です。フラットなEVシャシー上に、樹脂製ボディを載せた4人乗りのシティコミューターです。
一般的な乗用車で約4万5千点ある部品を、僅か1800点にまで削減することに成功しています。
目下ソフトカー社は、車両設計のライセンスを、環境負荷が少ない生産工場のノウハウとともに供与できる先を模索しています。
会場では、デザイナーのフランソワ・ビュロン氏と会うことができました。ビュロン氏は、1983年から40年以上にわたり、自身の工業デザイン・ストゥディオ「DIEDRE DESIGN 」 を主宰。ルノー、エアバス、ヴァレオといった自動車関連企業に加え、エミレーツ航空、カールフールなど幅広い分野のクライアントと仕事をしてきました。
説明によれば、ボディはリサイクル可能なポリマーで成形されており、軽量性、断熱性、衝撃吸収といった利点に加えて、内装まで同じパーツで済ませることができます。ダッシュボードも再生可能な別のポリマーで成形されています。なお、このポリマーに関して、もう少し詳細な情報をビュロン氏に求めたのですが、「まだ機密事項です」との返答でした。
ユーモラスな前面の造形は、何を意図したのでしょうか? その質問に対してビュロン氏は、「フロントエンドに表現された、微笑みをたたえたポジティブなアイデンティティによく気づきましたね」と答えるとともに、「この持続可能なモビリティ・ソリューションの親しみやすさと楽観性を表現したものです」と教えてくれました。彼は続けます。「それは柔らかなタッチな車体素材、コクーン(繭)感覚の車体形状とともに、独自の温和なキャラクターを生み出しているのです」
温和なデサインといえば、2007年「フィアット500」をデザインしたロベルト・ジョリート氏が筆者に語ったところによれば、前面だけでなく、ダッシュボード上端まで外から見たとき弧を描くようにして親しみやすさを表現したとのこと。同車は17年にわたるロングセラーとなりました。
また、欧州でいまだ人気がある初代「マツダMX-5」のオーナーたちは、自車を愛する理由を「リトラクタブル・ヘッドランプを持ち上げたとき、ユーモラスな顔に通行人が微笑むから」と答えます。威嚇的なフロントフェイスのクルマが跋扈するなか、かくも穏やかな顔をもったクルマに好印象をもつ人がいることを考えると、ソフトカーにも好感を抱く人は少なくないでしょう。
今回紹介した2社の将来は未知数です。休眠ブランドの復活は、たとえ大メーカーでも容易ではないことはメルセデス・ベンツの「マイバッハ」を見ればわかります。また秀逸なアイディアも、ホモロゲーションという大きな壁を乗り越えなければなりません。しかし、成熟化した自動車産業において、アイディア次第では参入の余地があるかもしれないことを示す出展は、モーターショーを活気づけます。同時に、次代を担う若者たちを自動車デザインの世界に引きつけるうえでも大切です。
昨今「ヴァーチャルの世界が充実すれば、リアルなショーは要らない」と考える人が少なくありません。しかし未知のコンストラクターやデザインファームの仕事を自分の目で見ることができて、さらに作り手に出会えるリアルなショーには、まだまだ魅力と役割があるのです
それでは皆さん、アリヴェデルチ(ごきげんよう)!