【アストンマーティンアーカイブ】アストンデザインの礎となった「DB7」を解説

イアン・カラムの手になる後のアストンデザインの基本形「DB7」【アストンマーティンアーカイブ】

1993年のバーミンガム・ショーで登場した「DB7」。
1993年のバーミンガム・ショーで登場した「DB7」。
1987年7月、フォードが75%の株式を取得し、その傘下となったアストンマーティン。そこで、新世代アストンマーティンとして開発されたのが「DP1999」、すなわち1993年のバーミンガム・ショーで登場した「DB7」である。

DB7(1994-1999)

1987年、フォード傘下に

モダンで美しいスタイルと高い品質を持つDB7は、多くのユーザーに好評をもって迎えられた。
モダンで美しいスタイルと高い品質を持つDB7は、多くのユーザーに好評をもって迎えられた。

ゴーントレット体制下で様々な改革、挑戦を行い、再建への道を歩んでいたアストンマーティンに転機が訪れたのは1987年のことだ。

5月、クラシックカー・ラリーイベントのミッレミリアにマイケル・オブ・ケント王子と出場したゴーントレットは、パーティーで同席した元フォード副社長のウォルター・ヘイズと意気投合。長年あたためていた「ヴィラージュの3分の2の価格で年間600台生産できるアストンマーティン」というアイデアを披露する。

そこに商機を感じたヘイズは後日、友人でもあるヘンリー・フォード2世にアストンマーティンの買収を進言。1987年7月に75%の株式を取得し、アストンマーティンはフォード傘下に収まることとなった。

フォード傘下でもCEOとして残ったゴーントレットは早速、新世代アストンマーティンとしてDP1999の開発を遂行。プロジェクトは1990年にアストンマーティンのCEOとなったヘイズに引き継がれ、1993年のバーミンガム・ショーで「DB7」として結実する。

基本コンポーネンツを「ジャガー XJS」から流用

美しい2ドアクーペボディをデザイン。
美しい2ドアクーペボディをデザイン。

このDB7開発にあたり大きな力となったのが、1989年にフォード傘下となったジャガーの存在だ。というのもコストの削減と開発期間の短縮を目的に、ヘイズがエンジン、シャシー、サスペンションなどの基本コンポーネンツを「ジャガー XJS」から流用することを決断したからだ。

そしてその舵取りを任されたのが、グループAやグループCでジャガーのワークス活動を行い、スーパースポーツカー「XJ220」の開発、製造も担当した経験を持つTWRだった。ちなみにTWR代表のトム・ウォーキンショーは、チームオーナー兼ドライバーとしてヨーロッパ・ツーリングカー選手権にXJSで出場。1984年にはシリーズ・チャンピオンを獲得した経歴の持ち主で、その当時からXJSのシャシー・ポテンシャルの高さに注目していたDB7の開発には打ってつけの人物といえた。

ウォーキンショーは、XJ220の製造を終えたばかりのオックスフォードシャー・ブロッサムの工場に生産設備を構築。「ジャガーXJ40」用の3.2リッター直6DOHC“AJ6”ユニットをベースに、TWR設計の4バルブヘッドと米イートン社製のルーツ式スーパーチャージャーを装着することで、最高出力340PSを発生する専用エンジンを開発する。

一方のスチール製のプラットフォーム、前後ダブルウイッシュボーンのサスペンションなどは基本的にXJSを踏襲していたが、スチール製のボディはフォード・ギアからTWRへ移籍して間もない、40歳のイアン・カラムに委ねられた。

後のアストンデザインの基本形

1996年に登場した、オープントップボディを持つ「DB7ヴォランテ」。
1996年に登場した、オープントップボディを持つ「DB7ヴォランテ」。

カラムはコストなどの制約が多い中で「マツダ ファミリア アスティナ」のテールライト、「マツダ ファミリア ワゴン」のドアハンドル、「シトロエン CX」のドアミラーなど、各部に流用パーツを使いながら、「DB4GTザガート」や「DB5」など往年のモデルのエッセンスを上手くモダナイズした、美しい2ドアクーペボディをデザイン。その後のアストンマーティンデザインの基本形を作り上げることに成功した。

発表直後こそ、ジャガー・ベースであることを揶揄する声も聞かれたが、モダンで美しいスタイルと高い品質を持つDB7は、多くのユーザーに好評をもって迎えられた。そして1996年には、待望のオープントップボディを持つ「DB7ヴォランテ」も登場。クーペ、ヴォランテともに北米市場を中心に好調なセールスを記録し、アストンマーティンの生産台数は飛躍的に向上することとなる。

そしてこのDB7の成功を受け、ジャガーでは同じくXJSをベースとした「XK8」の開発がスタート。そうした意味でもDB7は、低迷気味だったブリティッシュGTシーンに新たな風を吹き込む、救世主的存在となったのである。

1988年バーミンガム・ショーで登場した「ヴィラージュ」。0-60マイル(97km/h)加速6.5秒、最高速度254km/hとアナウンスされた。

近代化された「ヴィラージュ」と進化版「ヴァンテージ」を解説【アストンマーティンアーカイブ】

その旧態化を隠せなくなっていた「V8」。V8DOHCエンジンの近代化をはじめ、多くの改良が施された「ヴィラージュ」が1988年のバーミンガム・ショーでデビューした。その後、1993年に発表された「ヴァンテージ」までの流れを解説する。

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藤原よしお 近影

藤原よしお

クルマに関しては、ヒストリックカー、海外プレミアム・ブランド、そしてモータースポーツ(特に戦後から1…