【ニュルブルクリンク24時間2024】ニュル24時間史上最も短いレース

「濃霧と煙」波乱のレースとなった2024年ニュルブルクリンク24時間耐久レースの顛末

SC先導で再スタートしたものの天候晴れず。
SC先導で再スタートしたものの天候晴れず。
こんなにもレースウィークが悪天候に見舞われたニュルブルクリンク24時間耐久レースがあっただろうか──。5月末、そして6月に入ったというのに気温は僅か11℃程だ。連日冷たい雨に見舞われた第52回ニュル24時間レース、その波乱のレースを振り返る。

ADAC RAVENOL 24h Nürburgring

グリッド上空に低く立ち込めていた黒い雨雲

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若干22歳でポールポジションを獲得したマックス・ヘッセ。

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ポールポジションを獲得した75号車BMW M4 GT3。

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9月に発表予定の新型MINI JCW。

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大混雑のグリッドは人が多過ぎてもはやマシンもドライバーも全く見えず。

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フォーメーションラップ後すぐタイヤチェンジでピットインをするチームが多々あり。

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ニュルの顔と言えばマンタイレーシング。波乱の展開でも2位となった。

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夜中のレース中断中のピット。

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午後13時30分、フォーメーションラップ開始直前。霧は依然として濃いまま。

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SC先導で再スタートしたものの天候晴れず。

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150m先の視界もゼロ。

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優勝したシェーラースポーツPHXの「アウディR8 LMS GT3エボII」16号車(フランク・スティップラー/クリストファー・ミース/リカルド・フェラー/デニス・マーシャル)。

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優勝したシェーラースポーツPHXの「アウディR8 LMS GT3エボII」16号車(フランク・スティップラー/クリストファー・ミース/リカルド・フェラー/デニス・マーシャル)。

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ゴール直後の辰己総監督。

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クラス優勝のスバルはチームとファンと一緒に記念撮影。

過去最多の24万人の大歓声で沸く、ニュルブルクリンク24時間耐久レースのスタートグリッドには、華々しく色とりどりのマシンが並んだ。今年は世界42ヵ国、プロアマ併せて493名ものドライバーが参戦し、国際色豊かなラインナップとなった。

5月30~31日にかけて行われた3回の予選を経て、その上位入賞者で争うトップ予選で見事にポールポジションを獲得したのは、「BMW M4 GT3」72号車をドライブする若干22歳のマックス・ヘッセ。過去のデータが残っていないとしつつも、大会オフィシャルは「恐らく」過去最年少のポールポジションを獲得したドライバーだという。

「グリーンヘル(緑の地獄)」と異名を持つこのニュル24時間レースで使用されるコースは、グランプリコースとノルドシュライフェをつないだ全長25.378km。アイフェル地方の深い森の中、それもアップダウンの高低差は約300mあり、天気予報は不要と言われるほどに変化する。

今回も、スタートグリッド上空に低く立ち込めていた黒い雨雲は、この時を待っていたかのように、スタートの16時を前にフォーメーションラップが開始した頃、ぽつぽつと雨雲がトラックを叩きはじめた。

ドライバーの視界を遮る深夜の濃霧と煙

フォーメーションラップ後すぐタイヤチェンジでピットインをするチームが多々。
フォーメーションラップ後すぐタイヤチェンジでピットインをするチームが多々あり。

そんな地獄の洗礼からはじまった決勝レースはレースを混乱に陥れた。この前半戦のカギを握ったのはタイヤチョイスだった。1時間程で止んだ雨だったが、20時を前にスリックで走行出来るのか、ウエットタイヤを装着すべきなのか、悩ましい天候が続いた。s

22時を過ぎる頃には本格的に雨が降り出し、各チームのピットがさらに慌ただしくなる。ニュルのコースサイドにはライトが設置されておらず、日没後は真っ暗闇となるのだ。BMW M4 GT3ではレーザーライトを採用、他のメーカーも工夫を凝らしてかなり先まで灯せるライトを装着しているが、それでもドライバー達を悩ませるのは真っ暗闇のアクアプレーンニングだ。世界トップクラスのベテランドライバーさえ、「グリーンヘル」の恐ろしさは計り知れないという。

一方でコースサイドのあちこちで愉しまれているBBQの香ばしい煙。晴天の際にはさほどドライバー達を悩ます事はないが、深夜の濃霧に加え、この煙さえもドライバーの視界を大きく遮る事となった。夜も深まるに連れて、霧はより濃くなるばかり……。その間にもこの魔物のようなノルドシュライフェの餌食になったマシンは数多く、無念のリタイアが続いた。

そして23時11分、レースディレクターにより、公式にレース中断が発表となった。森の奥深くにあるニュルは、一度濃霧に包まれるとなかなか回復しない事もあり、安全上の理由で一旦翌朝7時の状況で判断される事となり、最短でも午前8時再開だと告げられた。

30分ごとに繰り返された中断告知

150m先の視界もゼロ。
150m先の視界もゼロ。

翌朝7時──、案の定まだ深い霧の中に包まれたニュルではレース再開の見込みはなかった。時間の経過と共にノルドシュライフェでは霧は殆ど見られなかったが、グランプリコースでは相変わらずの濃霧で僅か150m先さえも何も見えないような状況だ。視界不良でドクターヘリの飛行できないと、安全上の理由でレースの再開は叶わない。

午前9時半、前日の中断時の順に再びマシンが並んだ。各ピットから再びエキゾーストノートが響き渡り、活気が戻る。しかし、一向に状況が回復せず無情にも時だけが過ぎ去る。相変わらず気温は11℃と低く、強風の中でファンもスタートで待機しているチーム関係者も寒さに凍えた。30分ごとにレースディレクターの中断告知が繰り返された。いち早くレースに復帰し、ポジションアップを図りたいチームには実に酷な時間だ。いつ再開されるか分からないだけに、コースマーシャルやコースサイドのファンも、辛抱強く待つ事しかできなかったのだ。

レースの終了時間が刻々と迫る13時30分からフォーメーションラップ開始との連絡が入り、一気に慌ただしくなった。天候は全く回復しない中で、5周をセーフティカーの先導で走行し、天候が回復すればレースがリスタートし、回復しなければそのままレースは終了するという。

このレースをもって勇退したレジェンド

しかし、誰もが願ったレース再開は叶わず、そのままチェッカーフラッグを受けて、シェラースポーツPHXの「アウディ R8 LMS GT3 Evo」16号車が総合優勝を飾り、大会史上最も長いレース中断と最も短い走行周回をもって第52回大会は幕を閉じた。

2008年に発足したSTI NBR CHALLENGEで総監督として指揮を執り続けた辰己英治氏はこのレースをもって勇退。「スバル WRX」88号車はSP4Tクラス優勝して、辰己総監督への有終の美を飾った。

2024年のニュルブルクリンク24時間レースは、スタートから7時間後にコースに立ち込めた濃霧により、長時間の中断を余儀なくされた。

濃霧で長期中断したニュル24時間決勝は「アウディ R8 LMS GT3エボII」16号車が優勝、「ポルシェ 911 GT3 R」911号車が2位【動画】

6月1〜2日にかけて決勝が行われたニュルブルクリンク24時間レースは、濃霧のため長時間の中断を余儀なくされ、当初の予定よりも早くレースがフィニッシュ。シェーラースポーツPHXの「アウディR8 LMS GT3エボII」16号車(フランク・スティップラー/クリストファー・ミース/リカルド・フェラー/デニス・マーシャル)が優勝。マンタイEMAのポルシェ 911 GT3 R 911号車が、2位表彰台を獲得した。

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著者プロフィール

池ノ内 みどり 近影

池ノ内 みどり

ミュンヘン大学在学中にアルバイトをしていたドイツの広告代理店での仕事がきっかけで、モータースポーツ…