【ポルシェ年代記】ポルシェ初のモデルとして登場した「タイプ356」

ポルシェ初のスポーツモデルであるミッドシップ「タイプ356」の誕生前夜【ポルシェ年代記】

356 Pre- A
356 Pre- A
スポーツカーの代名詞、ポルシェ──。その主張に意を唱える人はいないだろう。これまでに多くのスポーツカーを生み出し、モータースポーツで勝利し、ファンのみならず多くのクルマ好きを楽しませてきたポルシェの歴史を振り返る。記念すべき第1回は「ポルシェ」の名を初めて冠した「356」を紹介する。

356(1948-1965)

1949年のジュネーブ・ショーで発表

第2次世界大戦後、オーストリア・グミュントで再スタートを切ったフェリー・ポルシェ率いるポルシェ設計事務所は、勾留中のフェルディナント・ポルシェ博士の保釈金を捻出するため、イタリアのチシタリアからグランプリカーの設計を請け負った。そこで何度かイタリアに赴くうちにフィアットのコンポーネンツを使ったスポーツカーにインスパイアされたフェリーは、フォルクスワーゲンにビートルをベースとしたスポーツモデル製作を提案する。

結果的に復興途上にあったフォルクスワーゲンは興味を示さなかったものの、新たに出資者が現れたことで自社プロジェクトとして開発がスタート。鋼管スペースフレーム・シャシーにVWビートルの空冷フラット4を搭載した、当時としては特異なミッドシップ2シーターオープンカーの「タイプ356.001」が1948年3月に完成した。

さらにポルシェは、より現実的な2号車の開発にも着手。同年7月にはスチール製フロアパンに、VWビートルから流用したエンジン、前後アクスル、ギヤボックスを搭載したRRレイアウトという基本骨格を完成させている。ここでポルシェはスイス人実業家のベルンハルト・フランクとディーラー権を締結。スイス中から集めたビートルの中古パーツを元に生産をスタート。1949年のジュネーブ・ショーで自製アルミボディのクーペとボイドラー製のカブリオレを正式に「ポルシェ 356」として発表した。

4速MTに“ポルシェシンクロ”を採用

その後ポルシェはVWと交渉し、新品パーツの供給と、永続的なビートルのロイヤリティ収入の確保に成功。元々の本拠地であったドイツ・シュトゥットガルトに戻り本格的な生産をスタートさせた。

この際、ボディ製造はクーペ、カブリオレともにロイターの手に委ねられ、アルミから生産性のいいスチール製に変更。エンジンは当初ビートルの1.1リッター空冷フラット4OHVのままだったが、1949年から自社設計のシリンダーヘッドを採用している。そして1951年からは1.3リッターと1.5リッターの2本立てとなるとともに、1954年にはクランクケースも専用設計となるなど独自の進化を遂げることとなる。またギヤボックスも1952年からVW製に代わって“ポルシェシンクロ”を採用した自製の4速MTを搭載している。

ちなみに1950年から55年までにシュトゥットガルトで生産されたモデルを“Pre-A”と呼ぶが、その生産台数は1万466台。それ以前のグミュント製356はプロトタイプも含め52台が製造されたと言われている。

スティーブ・マックイーンなどのスターもこぞって

1955年、ポルシェはラウンドタイプのフロントウインドウなど、各部を大幅にリファインしたT1ボディ、15インチタイヤ、クッションパッド付きのダッシュボードのインテリアなど、各部を一気にモダナイズした「356A」を発表する。エンジンは1.3リッターと1.6リッターの2機種で、それぞれにハイパワー版のS(スーパー)を用意。ビートル譲りのフロントツイントレーリングアーム、リヤシングルトレーリングアームのサスペンションもフロントにスタビライザーを追加するなど独自のアレンジが加えられた。

そんな356には1954年から第3のボディバリエーションとしてスピードスターも加わっている。これはニューヨークのインポーターであるマックス・ホフマンの「イギリス製ライトウェイトスポーツに対抗できる安価でスパルタンなオープンモデル」というリクエストに応え、1952年に16台のみが製造されたアルミボディのアメリカロードスターの進化版で、カブリオレをベースに低いウインドシールドや専用のボディパネルを採用。サイドウインドウやリヤシートも撤去して車重760kgを実現していた。

またスティーブ・マックイーン、ジェームズ・ディーンら、スターもこぞってオーナーリストに名を連ねたことで話題になったが販売は思わしくなく、1958年8月にウインドシールドを大型化して居住性が向上したコンバーチブルDへと代わられた。そのほか1955年には550スパイダー用をデチューンした101PSの1.5リッターフラット4DOHCエンジンを搭載したホモロゲモデルの「カレラ」が登場している。

最終モデルで4輪ディスクブレーキを採用

1959年8月にはヘッドランプ位置の上昇、前後バンパーの大型化といった安全対策、三角窓の採用による快適性の向上が図られたT5ボディをもつ「356B」が登場。2基のソレックス40PII-4キャブレター、フェラル加工のアルミシリンダーを採用するなどの改良で91PS発生するハイパワー版の「スーパー90」も追加された。

その後1961年に前後ウインドシールドの面積拡大、2分割エンジングリル、右フロントフェンダー給油口など実用性を増したT6ボディへと進化。あわせてコンバーチブルDの後継となるロードスターが終了し、ノッチバッククーペのカルマン・ハードトップが加わっている。またホモロゲモデルのカレラはGTレースのレギュレーションに合わせ、131PSを発生する2.0リッターフラット4DOHCの「カレラ2」へと進化している。

そして911が発表された1963年に4輪ディスクブレーキを採用した最終モデルの「356C」が登場。結局356は1965年までシリーズ合計で7万9250台が生産された。

ポルシェを象徴するクレストは、1950年代から現在に至るまで、ポルシェ製スポーツカーのボンネットやステアリングホイールで輝いてきた。

ポルシェのロゴマーク「クレスト」の起源はシュトゥットガルトではなく1950年代初頭のニューヨーク?

ポルシェのボンネットに輝く「クレスト(Crest:紋章)」は、世界で最も人気のあるロゴマークのひとつだ。この美しい紋章は、1952年以来、ツッフェンハウゼンで製造されたすべてのスポーツカーを彩ってきた。そして、その起源は1950年代初頭のニューヨークにまで遡る。

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藤原よしお 近影

藤原よしお

クルマに関しては、ヒストリックカー、海外プレミアム・ブランド、そしてモータースポーツ(特に戦後から1…