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Porsche 911 Carrera 3.0
息子のオリバー・メツガーが思い出の愛車を修理
子供の頃、オリバー・メツガーは父親が家に帰宅する前から、帰ってくる音をずっと聞いていたという。一家が住んでいたのは丘の上にあり、家までは18%もの勾配があった。会社で遅くまで残業したハンス・メツガーが帰路につくなか、周囲に響く低いボクサー6のエンジンサウンドを聴きながら、オリバーは眠りについた。そう、父親が設計したエンジンが奏でるエキゾーストノートが子守唄だったのだ。
「父が坂道を登り切った頃には、いつも眠っていました。父は平日は遅くまで働いていましたが、日曜日は家族と過ごす時間を大切にしてくれていましたね」
近くのサーキットでF1レースが開催されるときには、息子を連れてサーキットを訪れることもあった。「姉も私も寂しい思いをしたことはありません。家にいるときはいつも私たちのそばにいてくれましたから……」と、オリバーは振り返る。
子どもたちはポルシェにおいて父親がどのような仕事を行っていたのか、多くの思い出を持っている。オリバー自身も、父と共にヴァイザッハのテストコースを訪れることを許されていた。
「父がベンチテストでの分析結果を家に持ち帰ると、信じられないほど興奮したものです。当時の開発チームは小規模で、父は20〜25人と密接に仕事をしていました。彼らは “ポルシェ・ファミリー ”と呼ばれる、結束の強いチームでしたね。夜中になっても彼らはヴァイザッハでアイデアを練っていました」
991のボクサー6や917の12気筒エンジンを開発
ハンス・メツガーは、ポルシェにおけるエンジン開発の絶対的な権威だった。911に搭載された空冷6気筒ボクサーエンジンや、ル・マン24時間レースで優勝した917の水平対向12気筒エンジンも彼が開発を担当している。また、ターボチャージャーエンジンをレースに投入し、量産化にも成功。ニキ・ラウダとアラン・プロストは、彼が開発を手掛けた1.5リッターV6 TAGターボを搭載したマシンを駆って、F1ワールドチャンピオンに輝いた。
そんなハンス・メツガーは1979年10月、ヴァイザッハでテスト車両として使用されていたグランプリホワイトの911 カレラ 3.0を購入する。彼はこのクルマを生涯にわたって所有し続けた。
当時のポルシェは、テストに使用した車両をすべて売却していた。それはラリーカーであっても同様で、フィニッシュした直後にオーナーが変わることもあったという。最高出力200PSを誇るこの911 カレラ 3.0が初めて公道を走ったのは1977年4月。テスト車両用の登録ナンバープレートを付けたときだった。
ハンス・メツガーが2万2400マルクに13%の付加価値税を加えて購入したとき、その走行距離は2万7540km。引き渡しの際には、トリップメーターをゼロにリセットした新しいスピードメーターが付けられている。
テスト車両だった911 カレラ 3.0を購入
それから約40年をかけて、さらに1万601kmを走行。天気が良ければ、ハンス・メツガーは定期的に911 カレラ 3.0のステアリングを握り、シュトゥットガルト近郊に出かけていた。中でも、湖畔にある「モンレポス」でコーヒーを飲むのがお気に入りだったという。彼はテストも兼ねて911シリーズの最新モデルにも乗っていたため、白い911 カレラ 3.0で走るのは、年間数百kmに留まっていた。
2008年10月、ハンス・メツガーは911のヴィンテージ登録プレートを申請。しかし、このポルシェは1977年4月からヴァイザッハでテストカーとして使用されていたものの、正規登録のための完全な証明書が発行されたのは1979年8月になってからという問題があった。
検査当局にとって走行距離の不正を疑う状況となってしまい、申請当初はヴィンテージ登録プレートの発行は拒否された。これを受けて、当時ポルシェ・ミュージアムの責任者であったクラウス・ビショフ(Klaus Bischof)が状況を説明するステートメントを提出。そのステートメントには、状況を説明しながら「ハンス・メツガー氏は、ポルシェ 911に搭載されているエンジンの開発責任者でもでもあります」と、付け加えている。
家族と共に様々な場所へドライブしたハンス・メツガーの911
亡くなる前に行われた最後のインタビューで、ハンス・メツガーは「早くこの911 カレラ 3.0を走らせたい」と話していた。何年も乗っていなかったため、ちょっとしたレストアが必要だったのだ。悲しいことに、彼がその願いを実現することはなかった。2020年6月10日、90歳でこの世を去ったのである。そして彼の一周忌を機に、息子のオリバー・メツガーはこの911 カレラ 3.0を再び公道走行可能な状態に戻すことを決意した。
「この911は私たち家族が、特別な日に乗ることになるでしょう。父の墓参りにもこのクルマで行きますし、父の名誉のためにポルシェ・ミュージアムも必ず訪れようと思っています。いつの日か、ツェル・アム・ゼーまでドライブにも行きたいですね」とオリバー・メツガーは語る。
メツガー一家は、毎年夏になるとツェル・アム・ゼーに避暑を兼ねてドライブに出かけていた。ルーフラックを装備した911 カレラ 3.0での旅は、夏休みのハイライトだったとオリバー・メツガーは振り返る。
「今はトンネルが開通していますが、1970年代のツェル・アム・ゼーにはザールフェルデン側から来ると花崗岩の巨大な壁がありました。 その壁に空冷ポルシェのエキゾーストノートが響き渡って、車内が揺れそうになるほどでした。あれは忘れられません」
この壁を通過すると、折りたたみ式のリヤシートに座る子どもたちに、父は「目的地まであと5分だよ」と伝えたという。
父の時計をつけて思い出の愛車をドライブ
オリバー・メツガーは、父親が50年前に使っていた時計にも思い出があるという。それは透明なアクリルガラスのカバーと文字盤にプリントされたような針が特徴的な「ゾディアック・アストログラフィック SST(Zodiac Astrographic SST)」。この時計は宇宙からインスピレーションを受けている。
「子どもの頃は、この時計が磁石で動いていると思っていました(笑)。今でも、私はその魅力に取りつかれています。針が宇宙船のように浮いていたり、秒が赤い球体で表示されていたり、天体の動きをイメージしたデザインになっているんです」
この時計は、1970年代に北米で開催されていたレースシリーズ「CanAm」のスポンサーから贈られたものだ。ポルシェは、1972年と1973年に「917/10」と「917/30」で同シリーズに参戦。ハンス・メツガーが率いる開発チームは、当時のターボチャージャーが苦手としていた良好なレスポンスを実現していた。この技術によってポルシェはターボの先駆者となり、1974年には911 ターボという形で市販化にも成功している。
オリバー・メツガーは、911 カレラ 3.0でドライブするときは、あえてこの時計を着用している。多くの思い出が蘇るだけでなく、亡くなってから1年経っても父を身近に感じることができるからだ。多くの人々が今も彼のことを語り、彼の声が聞けるポッドキャストやYouTube、彼が講義をする動画も残されている。
「こういった思い出の品があると、ずっと記憶が鮮明になります」と、オリバー・メツガーは目を細めた。
そして道路に目を向ければ、メツガー・エンジンを搭載したポルシェが今もたくさん走っている。そう、18%の勾配がなくとも、その声を聞くことができるのだ。