クーペカブリオレベースという異色のラリーカーはなぜ生まれた? 「プジョー307WRC」【ラリー名車列伝 SS3】 | 3枚目の写真(全7枚)

「クーペカブリオレベースという異色のラリーカーはなぜ生まれた? 「プジョー307WRC」【ラリー名車列伝 SS3】」の1枚目の画像 1986年、グループB規定の廃止とともにWRCから撤退、ダカールラリーや世界耐久選手権を戦っていたプジョーは、1999年にWRカー規定で開発された206 WRCで復帰を果たす。
「クーペカブリオレベースという異色のラリーカーはなぜ生まれた? 「プジョー307WRC」【ラリー名車列伝 SS3】」の2枚目の画像 当時はスニーカーやスリッパなど称された、ラリーカーとしては異形のフォルムを持つプジョー307 WRC。
「クーペカブリオレベースという異色のラリーカーはなぜ生まれた? 「プジョー307WRC」【ラリー名車列伝 SS3】」の3枚目の画像 コンパクトな206 WRCが抱えていた問題の多くは、307 WRCで解消されたものの、デビュー直後からトラブルが多発。そのハンドリングやサイズにも、ドライバーは不満を漏らすことになる。
「クーペカブリオレベースという異色のラリーカーはなぜ生まれた? 「プジョー307WRC」【ラリー名車列伝 SS3】」の4枚目の画像 最強を誇った206 WRCの性能が陳腐化しつつあり、プジョーはニューマシンの投入を決定。ベースに選ばれたのは、車格が上の307、しかも開閉式メタルトップを持つ「307 CC」だった。
「クーペカブリオレベースという異色のラリーカーはなぜ生まれた? 「プジョー307WRC」【ラリー名車列伝 SS3】」の5枚目の画像 当時はスニーカーやスリッパなど称された、ラリーカーとしては異形のフォルムを持つプジョー307 WRC。
「クーペカブリオレベースという異色のラリーカーはなぜ生まれた? 「プジョー307WRC」【ラリー名車列伝 SS3】」の6枚目の画像 撤退が決まっていた2005年シーズン、プジョーは拡幅化された307 WRCの改良型を投入した。
「クーペカブリオレベースという異色のラリーカーはなぜ生まれた? 「プジョー307WRC」【ラリー名車列伝 SS3】」の7枚目の画像 撤退が決まっていた2005年。この年のラリーGBでマルコ・マルティンがクラッシュ。コ・ドライバーのマイケル・パークが亡くなってしまう。それでも、直後に開催されたラリージャパンでマーカス・グロンホルムが勝利を飾った。
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