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LAGONDA S2(1974-1990)
大きく、圧倒的に低い、他に類を見ないボディ
アストンマーティンと1947年に合併して以降、デイヴィッド・ブラウンは、何度かラゴンダブランドの再興を試みてきた。最初は1961年に発表した4ドアサルーンの「ラゴンダ・ラピード」であったが、わずか55台を製造したのみで終了。続いては1969年に「DBS V8」をベースとした4ドアサルーン「ラゴンダ」として2台のプロトタイプが作られたものの、製品化されることなくブラウンのカンパニーカーとして使われるだけにとどまった。
1972年、アストンマーティンを買収したカンパニー・デベロップメントは、眠っていたラゴンダのプロジェクトを呼び起こし、さらなる投資を呼び込む起爆剤とすることを画策。しかしながら「AMV8」に似たフェイスマスクにリデザインされた「ラゴンダ」は、わずか5台が製造されただけだった。
そして1975年、新たにアストンマーティンの舵取りをすることとなったアラン・カーティス、ピーター・スプラーグ、ジョージ・ミンデン、デニス・フラザーの4人は、有望な新興市場である中東を意識して、ラゴンダの名を冠したラグジュアリーサルーンの開発に取り掛かる。
こうして1976年のロンドン・ショーで発表されたのが、便宜上「シリーズ2」と呼ばれる「アストンマーティン ラゴンダ」である。ベースとしたのはV8で、ホイールベースを305mm延長。ウィリアム・タウンズが描き溜めていたアイデアの中でも最もインパクトのある、リトラクタブル・ヘッドランプを備えたウェッジシェイプのボディは、全長5282mm、全幅1816mm、全高1302mmとロールス・ロイス・シルバーシャドウよりも大きく、圧倒的に低い、他に類を見ないものとなった。エンジンは5.3リッター“マレック”V8ユニットで、4基のツインチョーク・ウェーバー・キャブレターを備え、284PSを発生した。ギヤボックスはZF製の5速MTもしくはクライスラー製3速ATが組み合わされた。
そんなラゴンダのもうひとつの特徴が、ウォルナットとコノリーレザーをふんだんに使用した豪華なインテリアだ。奇抜なデザインのインパネには市販車としては世界初となるデジタルメーターを採用。また車両のコントロールにコンピュータを使用したほか、各種の操作はキーボードのようなインパネ上のタッチボタンで行われるようになっていた。ところが、これらの装備がラゴンダの開発費を大幅に引き上げる結果になったうえ、やっと1979年に生産が開始されてもトラブルが頻発する事態となった。
シリーズ4の生産ペースは週1台
その後、ゴーントレット体制下においても細々と生産が続けられたラゴンダは、1986年にフューエルインジェクションを装備し、インパネのディスプレイをブラウン管に変更したシリーズ3へと進化。しかしながら、さらにトラブルが増える結果となり、わずか1年で75台が製造されただけで、シリーズ4へバトンタッチすることになる。
シリーズ4の開発にあたり、ゴーントレットはオリジナル・デザイナーのウィリアム・タウンズを再び招聘。タウンズは特徴的なリトラクタブル・ヘッドランプを諦め、小さなグリルの脇に並べた6灯式のヘッドランプへと変更した。それにあわせてボンネットやボディサイドのキャラクターラインのエッジが弱められたほか、16インチホイールを採用。またインパネのデザインも少しだけ一般的なものへと近づいた。
こうして1987年から生産を開始したラゴンダ・シリーズ4だが、その生産ペースは週1台というもので、8万7500ポンドという高価格(1989年には12万ポンドにまで上昇)もあり、1990年1月までに105台が作られたところで、すべての製造を終了した。ちなみに12年間におよぶシリーズ全体で生産された台数も、643台しかない希少車である。