【アストンマーティンアーカイブ】月産わずか2台だった「V8ヴァンテージ ザガート」

名だたるセレブがオーダーした「V8ヴァンテージ ザガート」【アストンマーティンアーカイブ】

ベースとなったのは既存の「V8 ヴァンテージ」。後の自動車デザインにも影響を与える特徴的なグラスエリアと、ザガートのアイデンティティというべきダブルバブルのルーフをもつデザインが特徴だ。
ベースとなったのは既存の「V8 ヴァンテージ」。後の自動車デザインにも影響を与える特徴的なグラスエリアと、ザガートのアイデンティティというべきダブルバブルのルーフをもつデザインが特徴だ。
1986年のジュネーブ・ショーで公開された「V8ヴァンテージ ザガート」。名だたるスターやセレブがオーダーリストに名を連ねるなど大反響をもたらし、ハンドメイドのため月産2台ながら、当初の予定を上回る52台が製造された希少車誕生の背景を紹介する。

V8 Vantage Zagato / V8 Zagato Volante(1986-1990)

プレミアムスポーツカーマーケットへの参入を目指して

ホイールベースこそ既存の「V8 ヴァンテージ」と変わらないものの全長が4670mmから4390mmへと短縮された。
ホイールベースこそ既存の「V8ヴァンテージ」と変わらないものの全長が4670mmから4390mmへと短縮された。

1981年からCEOを務めていたビクター・ゴーントレットは、アストンマーティンの経営の立て直しを図る中で、あるアイデアを実行に移そうとしていた。それは1980年代中盤から盛り上がりを見せていた少数限定のプレミアムスポーツカーマーケットへの参入であった。

そこで彼が目をつけたのが、かつて「DB4GT ザガート」を手がけた経験をもつカロッツェリア・ザガートだった。というのもエンスージアストとしても知られるゴーントレットは、1983年に発表されたアルファロメオ・ゼータ6コンセプトのうちの1台を購入するほど、ザガートのジュゼッペ・ミッティーノのデザインに心酔していたからだ。

しかも当時のザガートはデ・トマソの意向で、それまで担当していたマセラティ・ビトゥルボ・スパイダーの生産をイノチェンティに奪われ窮地に陥っており、両社のコラボレーションはスムーズに実現することとなった。

ハンドメイドのため月産2台

今回はコンペティションユースを目的にしたものではなかったが、開発にあたり彼らは最高速度300km/h、0-60mph(96km/h)加速5秒前後という目標を設定。ベースとなったのは既存の「V8ヴァンテージ」で、ミッティーノは後の自動車デザインにも影響を与える特徴的なグラスエリアと、ザガートのアイデンティティというべきダブルバブルのルーフをもつアルミボディをデザイン。ホイールベースこそ変わらないものの全長が4670mmから4390mmへと短縮された結果、車重が1590kgにまで軽量化されたほか、Cd値も0.29と大幅に改善された。

ところが搭載する予定だったフューエルインジェクションを備えた5.3リッターV8がテストの結果、目標であった400PSを達成できないことが判明。その対策としてダウンドラフトのツインチョーク・ウェーバー・キャブレターに換えた結果、415PSを発揮できたものの、ボンネットに大きなバルジを付けざるを得なくなってしまった。そこでアストンマーティンはサザンプトン大学の風洞施設の協力を得てボンネットのデザインを変更。最終的なCd値は0.32に落ち着いている。

1985年のジュネーブ・ショーでスケッチのみで発表された「V8ヴァンテージ ザガート」は、翌年のジュネーブ・ショーで実車を公開。名だたるスターやセレブがオーダーリストに名を連ねるなど大反響をもたらし、ハンドメイドのため月産2台というペースではあったものの、1990年までに当初の予定を上回る52台が製造された。ちなみにジュネーブ・ショーで公開されたのは、438PSを発生するエンジンと5速MTを搭載する3台のプロトタイプの中の1台だったのだが、その個体そのものが日本で新車として販売され、今もワンオーナーで現存している。

7.0リッターへとアップデートされたモデルも

追加されたヴォランテはオープン化にあたりシャシーに多くの補強が加えられ、クーペとの差別化を図るためフロントフェイスはリトラクタブルヘッドランプを持つデザインに変更された。
追加されたヴォランテはオープン化にあたりシャシーに多くの補強が加えられ、クーペとの差別化を図るためフロントフェイスはリトラクタブルヘッドランプを持つデザインに変更された。

その成功で自信を得たアストンマーティンは、生産台数を闇雲に増やしてオーナーの反感を買うのでなく、新たなバリエーションとしてオープンのヴォランテを追加することを決定。オープン化にあたり多くの補強が加えられたシャシーには、クーペとの差別化を図るためフロントフェイスはリトラクタブルヘッドランプを持つデザインに変更。またエンジンもウェーバー・マレリ製フューエルインジェクションを備えたスタンダードな305PSの5.3リッターV8が搭載されていた。

1987年にデビューした「V8 ザガート ヴォランテ」は、クーペと同様シャシーとドライブトレインがザガートに送られ、ボディを架装するという工程で製作され、1989年までに37台が販売された。なお、その後V8 ザガート ヴォランテのヴァンテージ仕様、クーペのさらなるパワーアップを希望するごく少数のオーナーに応え、ニューポートパグネルで6.3リッターV8、もしくは7.0リッターV8へとアップデートを施されたモデルも存在すると言われている。

DB4GTよりさらに軽い1159kgの車重を実現した「DB4GTザガート」。DB4より高い価格設定が災し、わずか19台の製造にとどまった。

DB4GTのライトウェイトバージョン「DB4GTザガート」の貴重さを解説【アストンマーティンアーカイブ】

「DB4」のコンペティションバージョンたる「DB4GT」を、さらにライトウェイトバージョンとした「DB4GT ザガート」。より美しく、より軽く、より速いスポーツカー誕生の背景を振り返る。

小さなグリルの脇に並べた6灯式のヘッドランプへと変更されたシリーズ4。

「圧倒的低さと大きさ」他に類を見ない「ラゴンダ シリーズ2」【アストンマーティンアーカイブ】

アストンマーティンと1947年に合併したラゴンダブランド。様々な体制下で、その再興がトライされたが、いずれもうまくいかなかった。そんな中「シリーズ2」と呼ばれる「アストンマーティン ラゴンダ」は、厳しい状況の中でもついに日の目を見ることになった貴重なモデルである。その波乱の歴史とは?

キーワードで検索する

著者プロフィール

藤原よしお 近影

藤原よしお

クルマに関しては、ヒストリックカー、海外プレミアム・ブランド、そしてモータースポーツ(特に戦後から1…