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ADAC RAVENOL 24h Nürburgring
グリッド上空に低く立ち込めていた黒い雨雲
過去最多の24万人の大歓声で沸く、ニュルブルクリンク24時間耐久レースのスタートグリッドには、華々しく色とりどりのマシンが並んだ。今年は世界42ヵ国、プロアマ併せて493名ものドライバーが参戦し、国際色豊かなラインナップとなった。
5月30~31日にかけて行われた3回の予選を経て、その上位入賞者で争うトップ予選で見事にポールポジションを獲得したのは、「BMW M4 GT3」72号車をドライブする若干22歳のマックス・ヘッセ。過去のデータが残っていないとしつつも、大会オフィシャルは「恐らく」過去最年少のポールポジションを獲得したドライバーだという。
「グリーンヘル(緑の地獄)」と異名を持つこのニュル24時間レースで使用されるコースは、グランプリコースとノルドシュライフェをつないだ全長25.378km。アイフェル地方の深い森の中、それもアップダウンの高低差は約300mあり、天気予報は不要と言われるほどに変化する。
今回も、スタートグリッド上空に低く立ち込めていた黒い雨雲は、この時を待っていたかのように、スタートの16時を前にフォーメーションラップが開始した頃、ぽつぽつと雨雲がトラックを叩きはじめた。
ドライバーの視界を遮る深夜の濃霧と煙
そんな地獄の洗礼からはじまった決勝レースはレースを混乱に陥れた。この前半戦のカギを握ったのはタイヤチョイスだった。1時間程で止んだ雨だったが、20時を前にスリックで走行出来るのか、ウエットタイヤを装着すべきなのか、悩ましい天候が続いた。s
22時を過ぎる頃には本格的に雨が降り出し、各チームのピットがさらに慌ただしくなる。ニュルのコースサイドにはライトが設置されておらず、日没後は真っ暗闇となるのだ。BMW M4 GT3ではレーザーライトを採用、他のメーカーも工夫を凝らしてかなり先まで灯せるライトを装着しているが、それでもドライバー達を悩ませるのは真っ暗闇のアクアプレーンニングだ。世界トップクラスのベテランドライバーさえ、「グリーンヘル」の恐ろしさは計り知れないという。
一方でコースサイドのあちこちで愉しまれているBBQの香ばしい煙。晴天の際にはさほどドライバー達を悩ます事はないが、深夜の濃霧に加え、この煙さえもドライバーの視界を大きく遮る事となった。夜も深まるに連れて、霧はより濃くなるばかり……。その間にもこの魔物のようなノルドシュライフェの餌食になったマシンは数多く、無念のリタイアが続いた。
そして23時11分、レースディレクターにより、公式にレース中断が発表となった。森の奥深くにあるニュルは、一度濃霧に包まれるとなかなか回復しない事もあり、安全上の理由で一旦翌朝7時の状況で判断される事となり、最短でも午前8時再開だと告げられた。
30分ごとに繰り返された中断告知
翌朝7時──、案の定まだ深い霧の中に包まれたニュルではレース再開の見込みはなかった。時間の経過と共にノルドシュライフェでは霧は殆ど見られなかったが、グランプリコースでは相変わらずの濃霧で僅か150m先さえも何も見えないような状況だ。視界不良でドクターヘリの飛行できないと、安全上の理由でレースの再開は叶わない。
午前9時半、前日の中断時の順に再びマシンが並んだ。各ピットから再びエキゾーストノートが響き渡り、活気が戻る。しかし、一向に状況が回復せず無情にも時だけが過ぎ去る。相変わらず気温は11℃と低く、強風の中でファンもスタートで待機しているチーム関係者も寒さに凍えた。30分ごとにレースディレクターの中断告知が繰り返された。いち早くレースに復帰し、ポジションアップを図りたいチームには実に酷な時間だ。いつ再開されるか分からないだけに、コースマーシャルやコースサイドのファンも、辛抱強く待つ事しかできなかったのだ。
レースの終了時間が刻々と迫る13時30分からフォーメーションラップ開始との連絡が入り、一気に慌ただしくなった。天候は全く回復しない中で、5周をセーフティカーの先導で走行し、天候が回復すればレースがリスタートし、回復しなければそのままレースは終了するという。
このレースをもって勇退したレジェンド
しかし、誰もが願ったレース再開は叶わず、そのままチェッカーフラッグを受けて、シェラースポーツPHXの「アウディ R8 LMS GT3 Evo」16号車が総合優勝を飾り、大会史上最も長いレース中断と最も短い走行周回をもって第52回大会は幕を閉じた。
2008年に発足したSTI NBR CHALLENGEで総監督として指揮を執り続けた辰己英治氏はこのレースをもって勇退。「スバル WRX」88号車はSP4Tクラス優勝して、辰己総監督への有終の美を飾った。