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雨に濡れる夜の首都高湾岸線で
2021年12月某日。約束の時間は午後6時だったけれど30分前には首都高大黒PAに到着した。その日は午後6時から雨の予報が出ていた。10分前に「少し遅れるかもしれません、ごめんなさい」とメッセージが入った頃、フロントガラスには水滴がつき始めた。まもなくして、薄いグリーンのボディカラーを身にまとったクルマが、雨と街灯のシャワーを浴びながら滑り込んできた。ニッサン GT-Rの2022年モデルのひとつ、“GT-Rプレミアムエディション Tスペック”である。
前回のこの連載で紹介した日産自動車のチーフプロダクトスペシャリストである田村宏志さんから、例によってある日の深夜の長電話で「ニューZにはまだ当分乗れないけれどGT-Rは広報車があるんで乗ってくださいよ、特にTスペックに」と提案(あるいは遠回しの強要?)された。大変光栄ではあるけれど、普通に借り出して普通に試乗して普通に原稿を書いてもなんだかつまらないと思ったし、田村さんもそんなことは自分に期待していないのではないかとも思った。
そこで「じゃあ当日は田村さんご自身がTスペックに乗ってきていただけませんか? 場所は大黒PA、時間は夜。連載のタイトルは仮題で『湾岸ミッドナイト2021 feat. Tスペック』でどうでしょう」と逆提案してみたら「それでいきましょう!」と快諾を得た。個人的にはGT-Rと言えばやっぱり首都高湾岸線で、実は軽く雨でも降ってくれたら路面が光ってクルマがきれいに見えるだろうなとも思っていた。奇しくも舞台は整ったのである。あくまでも仕事なんで「ミッドナイト」というわけにはいかなかったけれど。
履いた瞬間に足へ馴染む靴のよう
Tスペックにはプレミアムエディションとトラックエディションがあり、両モデル合わせて約100台の特別仕様車で抽選販売はすでに終了している。いまや欲しくても手に入らない貴重なモデルである。薄いグリーンの外板色は“ミレニアムジェイド”と呼ばれ、R34 GT-RのNurエディションに使われていたボディカラーだ。Tスペックの“T”は、「トレンドメーカー」「トラクションマスター」を意味している、“らしい”。
自分のR35 GT-Rに対するイメージは、例えばハイブランドの革靴だった。とてもいい靴だというのは分かるけれど、馴染むまではとにかく硬くて履き心地が悪く、マメが潰れて血だらけになって途中でそれ以上履くのを諦めてしまう、そんな感じだった。つまり自分には分不相応だと思っていた。
ところが田村さんに助手席に同乗していただき走り出した途端、「ん??」となった。いわゆるタイヤのひと転がり目からスッと動いたのである。これまでのGT-Rは極端に言えば重い甲冑を着せられて、ぎこちなく重々しく動き出すような感じだったからだ。ところがこれはまるで最初から自分の足に馴染んだ革靴を履いて歩き出すようだった。「何ですかコレ(笑)」と思わず口に出してしまった。
「ダンパーを変えました。電子制御式なんで制御ロジックも作り直しています」
「なんでダンパーだけ変えたんですか」
「これにはNISMOのカーボンセラミックブレーキが移植してあります。そもそも、このブレーキの出来がとてもよかったので、プレミアムエディションにも使えないか、という発想からTスペックの開発はスタートしたんです。ブレーキの性能はもちろんいいんだけれど、カーボンセラミックなんで当然のことながらばね下が軽くなりますよね。このクルマの場合、1輪あたり約4kg。こんなに軽くなったら、サスペンションがそのまま合うはずがない。でも基本的な共振周波数はいじりたくない。つまりばねには触りたくなかったんでダンパーを変えたというわけです」
「で、減衰力を変えたけどそれでもまだ合わない。そうなるともう制御を変えるしかないわけで。減衰力には幅があります。その中をどう行ったり来たりさせるか。ウチのは車速、アクセル開度、G、ステアリングの舵角などを統合的に制御したパラメーターを使ってます。サーキット用なんかのダンパーで、手動でカチカチ回しながら減衰力を変えられるやつがあるでしょ、それを状況に応じて自動的にカチカチやってるイメージです。加速すれば後ろに荷重が動くはず、だからこれくらいの減衰力にしておく、みたいな感じに、ありとあらゆるシーンでまさしくなめるように解析してやり直したわけです。結果、こんな風にしっとりになった」
「しっとりした乗り心地って、基本はばね上があまり動かず、タイヤがうまく路面をとらえる、つまりいかに長い時間接地させるかがキモなんです。トラクションをかけなきゃいけないし、曲がらないといけない。でも飛ぶんですよ、クルマって(笑)。細かい目線で見ると飛ぶ瞬間が何度もある。それをいかに飛ばないようにするかだと思います、しっとりって」
「やりたいことをやるには時間がかかる」
サスペンションやその制御が完璧でも、それを支えているボディ側がしっかりしていなければ意味がない。GT-Rは2017年にボディに大幅な改良を加えており、今回はボディをいじる必要はなかったという。それにしても乗り心地がいい。本当に「しっとり」している。そのしっとりは、ステアリングの手応えにも感じる。
「NV(ノイズ&バイブレーション)は今回ひとつだけやりました。ステアリングについているダイナミックダンパーを交換しています。実はこれ、ずっと前からやりたくて、いわば最後まで残っていた部分がやっと出来た。とにかく時間かかるんですよ、やりたいことをやるには(笑)。コストをはじめ、いろんな事情や都合があるから、やりたいことリストがあってもいっぺんにすべてを投入できるわけではないので」
Tスペックは中立付近が明確で、そこから転舵していくとタイヤのコーナリングフォースが立ち上がる瞬間が分かるところがあって、そこから今度はヨーゲインが極めてスムーズに立ち上がってくる。この過程はすこぶる気持ちよく、例えばレーンチェンジなんかはする度にほくそ笑んでしまった。
「ヨーゲインの立ち上がり、ここがこのクルマの命ですからね。一方で、そこにのめり込みすぎると真っ直ぐ走らなくなる。気持ち良さとのせめぎ合い。とにかく自然にしたかった。不自然にゲインが立ち上がるようなことは絶対にしたくなかった。GT-Rはモビルスーツだとかいって、そのモビルスーツが自然さを主張するのは矛盾していると思われるかもしれないけれど、結局回帰するんですよ。ニスモのカーボンブレーキも、そのままだとブレーキペダルのスプリングがちょっと強い。だから踏力だけはアクセルペダルやステアリングと同じ操作荷重に合わせました。全体的にすっきりとした印象に収束できたと思います」
“羊の皮を被った狼”に原点回帰
しっとりとかすっきりとか、GT-Rなのになんでそんな無印みたいな味付けにしたのか。
「あれ?オレいまGT-Rに乗ってるんだよな?これGT-Rだよな?と思わせたい。それが究極のGTだと思うから。本来、GT-Rってスカイラインという羊の皮を被ってたわけですよ。いまではこんなスタイリングになっちゃってるけれど、裏側には奥ゆかしさみたいなものを秘めている。今回はそれをようやくカタチにできました。GT-Rっぽくなくて、いったい何に乗っているか分からなくなると数人から言われたんです。悪口で言っている人もいるかもしれないけれど、自分にとっては最高の褒め言葉。だってまさにそこを狙ったんで」
「これ、300km/hくらいでもさらにしっとりして気持ちいいんだよなあ(笑)。日本では試せないのが残念だけど」
広報車にナンバーが付いたと聞いて、田村さんは自ら慣らし運転を行ったという。「仕事終わってから毎晩走りましたよ、もちろん首都高を。嬉しくて仕方なかったんで。首都高環状線あたりで走ると抜群にいいですよ。まるでそこに合わせたかのようなセッティング(笑)」と打ち明けてくれた。やっぱりTスペックの“T”は“TAMURA”の“T”じゃんと思った。
試乗を終えて、田村さんは鞄の中から大事そうにカタログを出して渡してくれた。「最後のカタログにしたくないんだよね」と添えて。もう1冊、2023年モデルのカタログを田村さんからいただけることを、いまから楽しみにしている。
REPORT/渡辺慎太郎(Shintaro WATANABE)
PHOTO/北畠主税(Chikara KITABATAKE)