高級車の象徴だった「自動車電話」
日本で自動車電話サービスが本格的に始まったのは1979年のこと。車に搭載された黒いアンテナは、ひと目で「特別な車」であることを示すサインでもあった。
当時の自動車電話は、トランクに大型の制御装置を積み込み、ダッシュボードやセンターコンソールには固定式の受話器が設置されるという重厚なシステム。今の感覚からすると大げさに思えるが、当時としては最先端の通信手段だった。
利用料金は非常に高額で、月額基本料に加えて通話料もかかったため、一般ユーザーには手の届かない存在だった。実際に利用していたのは、企業役員や政治家、緊急対応が求められる医師などごく一部。車内から直接電話をかけられるという利便性は、ビジネスや業務において大きな武器であり、同時にステータスシンボルでもあった。
「車で通話できる」という体験は、当時の人々にとって未来を先取りするような体験であり、自動車電話を備えた車はまさに移動するオフィスとして注目を集めた。
携帯電話の普及で姿を消す

1980年代後半、通信の世界に大きな転機が訪れる。肩から提げる「ショルダーフォン」に始まり、その後は片手で持てるサイズの携帯電話が次々と登場した。これにより「車の中だけで使える電話」よりも「どこでも持ち歩ける電話」の価値が圧倒的に高まっていった。
車載電話は確かに便利だったが、車外に出てしまえば使えないという致命的な制約があった。一方、携帯電話は自宅でもオフィスでも、さらには電車の中でも利用できる。その利便性の差は明らかであり、瞬く間にユーザーの関心は携帯電話に移っていった。
1990年代に入ると携帯端末の小型化と価格低下が進み、個人利用が一気に拡大。結果として、車載電話は「携帯電話登場前の過渡期の技術」としてその役割を終えることになった。1990年代半ばにはほとんど姿を消し、アンテナを立てた車は過去の象徴へと変わっていったのだ。
カーナビとETCが車をネットワークにつなげた

車載電話が姿を消した1990年代後半、車と通信の関係は一度途切れたように見えた。しかしその後、別の形で再び結びつくことになる。その中心にあったのがカーナビゲーションシステムだ。
初期のカーナビはCD-ROMや地図データを頼りにルートを示すだけだったが、1996年に始まったVICS(道路交通情報通信システム)によって大きく進化した。渋滞情報や事故情報をリアルタイムで受信し、ドライバーは刻々と変わる道路状況に応じた最適なルート選択ができるようになったのである。
さらに2001年から本格導入されたETC(電子料金収受システム)によって、車は高速道路の料金ゲートと直接通信する存在となった。料金所を止まらずに通過できるだけでなく、交通流の円滑化や渋滞削減にも貢献し、車と社会インフラをつなぐ仕組みとして定着した。
この頃から、自動車は単なる「移動の道具」ではなく、「情報をやり取りする端末」としての役割を担い始める。車載電話が果たせなかった車とネットワークの融合は、カーナビとETCによって確実に現実のものとなっていった。
現代のコネクテッドカー

21世紀に入ると、車と通信は一層密接に結びつくようになった。スマートフォンの普及を背景に、車内ではApple CarPlayやAndroid Autoが標準装備として広がり、音楽再生や地図アプリの利用、メッセージ送受信などがシームレスに行えるようになった。
さらに各自動車メーカーは、独自のコネクテッドサービスを展開。代表的な機能としては、事故や急病時に自動で緊急通報する「SOSコール」や、専用アプリから車両の位置を確認できる「リモート位置情報サービス」。
またスマートフォンでエアコンやドアロックを操作できる「リモートコントロール」や、車載ソフトを無線で更新する「OTAアップデート」などが挙げられる。これにより、車は単なる移動手段ではなく、ドライバーの生活全体を支える「情報端末」としての性格を強めている。
かつて「車内から電話ができる」ことが最先端だった時代から比べると、現代のコネクテッドカーは安全性、快適性、利便性のあらゆる面で通信を活用しており、もはや通信機能なしでは成り立たない存在となっている。
未来はV2Xと自動運転へ

次の大きな進化の舞台は、V2X(Vehicle to Everything)と呼ばれる技術である。これは「車と車(V2V)」「車と道路や信号機(V2I)」「車と歩行者(V2P)」といったあらゆる対象が通信でつながる仕組みを指す。
例えば、前方の車が急ブレーキをかけた情報を後続車に瞬時に共有すれば、追突事故を未然に防ぐことができる。信号機や交差点と通信すれば、青信号に切り替わるタイミングを事前に把握し、無駄なアイドリングを減らすことも可能だ。
災害時には避難ルートや交通規制情報をリアルタイムに反映し、地域全体の安全を守る役割も期待されている。これを支えるのが5Gや将来の6G通信である。大容量・低遅延の通信が普及すれば、自動運転車が安全に走行するための基盤が整う。
かつては「車内で電話ができる」ことが革新だった。今後は「車そのものが都市インフラと会話する」時代が訪れようとしている。技術は常に移り変わり、当たり前と思っていた仕組みもやがて歴史の一ページとなる。かつての車載電話がそうであったように、現代のコネクテッドサービスや先進安全技術も、未来の人々から見ればネタのひとつとなるかもしれない。