視覚情報が生み出す錯覚現象「ベクション」

赤信号で停止中、隣の車が動き出すと自分も動いているような錯覚に陥ることがある。この現象は「誘導運動」あるいは「ベクション(Vection)」と呼ばれ、周囲の視覚情報と運動認識との強い関連性を示している。この現象が起きる理由は、人の脳の運動知覚の仕組みにある。
私たちの脳は自身の動きを判断する際、視覚情報を最も重視する傾向がある。特に大きな物の動きは自己運動の手がかりとしての意味合いが大きくなるため、隣に停車している車両が動くと、静止している自分が逆方向に動いたように錯覚してしまうのだ。
この現象に関する研究は、複数の機関によって行われており、それぞれ結果は異なるものの、被験者のおよそ65〜95%が自己運動の錯覚を経験し、そのうち約25〜40%が無意識にブレーキを踏み込むなどの反応を示すようだ。
特に2014年の日本の交通安全環境研究所の研究では、被験者の約75%が動いていないにも関わらず自己運動感覚を報告し、そのうち約25%が反射的にブレーキ操作をする傾向が確認された。このデータは、この錯覚が単なる知覚の問題ではなく、実際の運転行動にも影響を与えることを示している。
自己運動知覚における多感覚統合の影響

ベクションは視覚情報が主な要因とされているものの、複数の感覚が絡み合って生じるとされている。
2016年に慶應義塾大学の研究グループが発表した研究では、ベクションの強度は視覚情報の強さだけでなく、前庭感覚(平衡感覚)と体性感覚(触覚や姿勢感覚)からの情報との整合性に大きく影響されることが示された。これは自己運動知覚における多感覚統合の重要性を示す証拠となっている。
通常、これらの感覚は整合性のある情報を提供するが、赤信号での停止状態など特定の状況では不一致が生じる。視覚情報が「動いている」と伝える一方、前庭感覚と体性感覚は「静止している」と伝えるのだ。この感覚の不一致を解消するため、脳は視覚情報を優先的に処理し、実際には動いていなくても動いているという疑似的な加速感を生み出す。
特に興味深いのは、この現象が年齢を重ねたドライバーにより顕著に現れる点だ。年齢とともに前庭感覚が低下するため、視覚情報への依存度が高まったことが原因と考えられている。
新技術や教育プログラムによる錯覚への対策

ベクションに対し、自動車メーカーやテクノロジー企業は様々な対策を講じている。メルセデス・ベンツをはじめとする自動車メーカーは、近年の先進運転システムに、停止状態での意図しない加速を防ぐ機能を搭載している。
自動運転に関して言えば、2022年にはメルセデス・ベンツの周囲環境の精密な認識能力を持つレベル3自動運転システム「Drive Pilot」が例として挙げられる。この機能が適切に作動している場合は、例え事故が生じたとしても搭乗しているドライバーは法的責任を問われず、その責任を負うのは車を製造したメルセデス・ベンツだ。自社の性能と安全性に絶対的な自信がなくては、成立しない機能と言えるだろう。
また日本の自動車メーカーは、ダッシュボード上のディスプレイに車両の正確な動きを視覚的に表示することで、ドライバーの錯覚を抑制する技術を開発している。これは脳の視覚優位性を逆手に取り、正確な視覚情報を提供することで錯覚を打ち消す試みだ。
さらに運転教育の分野でも、この錯覚現象を積極的に取り上げる動きが広がっている。英国の交通安全団体が実施した運転教育プログラムでは、錯覚現象への対処法を学んだドライバーのシミュレーター上でのヒヤリハット事象が有意に減少したことが報告されている。
ベクションは環境に適応した結果か?認知機能の適応的側面との見解も
ベクションのような現象は、私たちの認知システムが持つバイアスの一例として理解することができる。認知科学では、このような知覚のずれは単なる欠陥ではなく、特定の環境への適応の結果として捉える視点が広がっている。
特に注目すべきは「予測符号化理論(Predictive Coding Theory)」という枠組みだ。この理論によると、脳は常に外界の状態を予測し、実際の感覚入力との差分を処理することで資源を効率的に使用しているという。2010年のユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのカール・フリストン博士らの研究は、人間の知覚が純粋な感覚入力ではなく、予測と感覚の統合であることを示した。
さらに、進化の過程で特定の方向へのバイアスが生存価値を持つ場合があることを示す「エラー管理理論(Error Management Theory)」も重要な視点だ。
例えば、静止状態で動いていると誤認する方が、実際に動いているのに静止していると誤認するよりも、生存上のリスクが低いケースが多い。これらの知見は、ベクションが単なる誤りではなく、人の認知システムの適応的側面を反映していることを示唆している。
日常の中の小さな錯覚に気づくことは、人間の脳の複雑さと洗練された仕組みへの理解を深める第一歩とも言えるだろう。