三菱500やトヨタ・パブリカを皮切りに1000cc以下の大衆車が浸透し始めた1960年代初頭。続けて三菱はコルト600や800を開発し、ダイハツからはコンパーノが、マツダからはファミリアがといった具合に各社が大衆車のラインナップを強化していった。国産大衆車の真打は日産が1966年に発売したダットサン・サニーと、トヨタが続けて発売したカローラだ。この両車は長らく大衆車市場でライバル関係を続けたものの、現在ではサニーという車名が消滅してカローラだけが生き残っている。
ところが1980年代くらいまではサニーもカローラに負けないほど奮闘していた。販売台数はもちろん、後輪駆動とA型エンジンを採用していた4代目のB310型まではTSレースや富士フレッシュマンレースで大健闘。トヨタ勢はカローラより小さなスターレットが起用されたが、当時を知る誰しもサニーの速さを記憶していることだろう。またB310までのサニーには2ドアクーペが用意されていたから、サーキットだけでなく峠を走る好きものにも愛された。
’80年代になると峠の主役はAE86レビン・トレノなどへ移っていくことになり、多くのFRサニーが個体数を減らしていった。だが、今見ると特に310クーペは特徴的なオペラウインドーなどを備え、’80年代のクルマが失っていった時代の風を感じさせてくれる。
4月29日に開催された「関東工大クラシックカーフェスティバル」の会場で、310サニーの姿を見たとき、まさにハッとさせられるような印象を受けた。’70年代後半の国産車らしく、まだまだアメリカ寄りのスタイルを纏う姿は懐かしさと同時に今改めて乗ってみたいと思わせる魅力があると感じた。
310のオーナーを探していたら、なんと先方から声をかけていただいた。というのも310サニーのオーナーは以前の記事で110サニーのオーナーとして紹介した大村誠市郎さんだったからだ。大村さんは長らく110サニークーペに乗り続け、同時に110セダンまで所有してしまった人。
なぜサニーだったのかといえば、大村さんが幼い頃にお母さんが乗っていたのが110セダンだったから。思い入れのあるサニーに乗り始め、チューニングのベースとしても素性の良いA型を自分なりに改造する楽しみまで覚えた。東京近辺で110サニーといえば大村さんというくらい、有名にもなっていく。
2台のB110サニーに20年以上乗り続けてきたことから、同じサニーの同志も増えていきマニア間でのやりとりも活発になっていく。すると興味深い話が舞い込んできた。黒澤琢弥選手が1オーナーで素性の良いB310サニーを所有している。
いずれチューニングしてサーキットを走ろうと考えられていたそうだが、手をつけずにそのまま保管されていると知ることになる。やりとりを続けるうち、これだけ良いノーマル状態を保っていることからサーキット仕様へすることを諦め、大村さんのように熱心なマニアの方へ譲りたいというのだ。
見れば1オーナーであることはもちろん、長年車庫保管されてきたため程度の良さは抜群でフルノーマルを保っている。こんないい話を放っておくことはできないとばかり、大村さんはB310を譲り受けることにしたのだ。それが今から3年ほど前のことで、手元にやってくると同時にメンテナンスを開始。車検を再取得するのに手こずることもなく、無事に路上復帰させることができたそうだ。
程度の良いノーマル状態にある旧車は、多少車検を切らした期間があったとしても想像するほど苦労せずに乗り出せることが多い。このB310もまさに典型で、これまでトラブルや故障とは一切無縁だという。もちろん入念なメンテナンスがあってこそのお話しだが、長年B110に乗り続けてきたからこそ得られたノウハウが生かされていることだろう。
元々フルノーマルだったB310サニーだが、車高調整式サスペンションでローダウンしつつRSワタナベ8スポークアルミホイールに変更。追加メーターを装備させるなど若干のモディファイを行なっている。けれどエンジンは吸排気系ともに純正のままなので、乗りやすいうえに今でもエアコンが使えるという。’70年代後半のモデルなので日常的に使えるところも美点だが、渋滞時にエアコンを使い続けると水温が上がってしまう。現行車のようには使えないけれど、ちょっとしたことに気をつけていれば、まだまだ現役で走り続けられるところもスタイル同様魅力的なモデルといえそうだ。