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最後のドライブは大分県由布院!?
前回も書いた通り、ひょんなことから中古車サイトで以前から気になっていたコンパクトカーを発見。冷やかし半分で店に電話してみたところ、なぜかとんとん拍子で話が進み「現車チェックをして重大な瑕疵がなければ購入する」という運びに。そして、4年間愛用していたジャガーも同店が下取ってくれる段取りとなった。
問題は店の場所である。店があるのは九州は大分県由布院なのだ。自宅のある千葉県からはたっぷり1000km以上もある。陸送業者に輸送を依頼すれば手間はかからないが、2台分の陸送ともなり料金はかなり高くつく。それに現車確認を一切しないまま買うというのはいささか不安が残る。そこで選んだ購入方法が予備検付きの車両購入だった。これなら車両整備と車検までは店が責任をもってやってくれる上、地元に戻ってから管轄の陸運局で手続きをすればナンバーが付けられる。由布院の役所で臨番(仮ナンバー)を借り出して自分で陸送するので無駄なコストが省けるという寸法だ。
というわけで、Sタイプ最後の行き先は九州に決まった。中古車店には12日の午後に商談を予約。ジャガーには買い替えの理由のひとつにもなったエアコンの不調があるため、日中を避けて夜間走ることにした。片道1000kmを超えドライブということで、カノジョがセカンドドライバー役を買って出てくれたのは幸いだった。
ジャガーを手放すわけ……本音を言えばもう少し長く付き合いたかった
出発したのは2023年7月11日22時30分のこと。カノジョと合流してから京葉道路に乗り、交通量の少なくなった首都高を進み、東名高速道路を目指す。慣れ親しんだ東京の道をジャガーで走るのもこれが最後だ。7号小松川線から箱崎、江戸橋ジャンクションを経て、都心環状線・内回りの曲がりくねった首都高を夜間のハイペースな交通の流れに遅れを取ることなくジャガーは疾走する。さすがはビッグキャットだ。サスペンションはやや抜け気味とは言え、路面をヒタヒタと的確に掴み、安定した走りを見せる。しばらく走ると左手に皇居が見えてきた。
下取りに出した後のSタイプがどうなるかは知る由もないが、都心をこのクルマが走るのはこれが最後になるかもしれない。埼玉の中古車店でコミコミ45万円で購入したのが4年前のことだ。それから1万3000kmほど走行したが、つい最近エアコンが不調になるまで故障らしい故障もなく良く走ってくれた。
このエアコン故障について、読者からの指摘によるとSタイプにはエアミクスアクチュエーターはなく、ヒーターコアへの冷却水の流量を調整する事でエアコンの温度制御を行なっているそうで、ウォーターバルブのショートからモジュールの基板が焼け切れているのが故障原因なのだとか。エアコンモジュールの基板修理で比較的リーズナブルに修理ができるそうだが、このときの筆者はそのことを知らなかった。
昨今のガソリン価格高騰により、アシとしてジャガーを使うのが金銭面で重荷に感じていたし、さらにはルーフトリムの落下、古くなったタイヤの交換など、これから長く乗るためには手を入れる場所がいくつかあったこともあって、故障原因を把握していたとしても、やはり車検を機に手放す判断をしていたと思う。
とは言え、やはり気に入っていたクルマだけにイザ手放すとなるとなんとも寂しい気持ちになる。そのことが助手席のカノジョにも伝わったようで「買い替えを後悔している?」などと聞いてくる。「少しね。でも、もう決めたことだから……」と答えるが、正直なところ未練がなかったといえばウソになる。
ゆとりのあるパワーと特徴的なネコ足のサスペンション
ジャガーの高速ドライブは快適そのもの
東名高速東京インターを通過し、遅い夕食を取るため海老名サービスエリアに立ち寄った。時刻は23時30分を指していた。しばしの休憩のあと、再びジャガーのステアリングを握り、西を目指す。御殿場インターを通過してクルマは新東名に入った。
120km/h区間に入ったところでアクセルを踏み込みジャガーの高速性能を味わうことにした。制限速度+αで快調に走るSタイプ。最高出力243ps、最大トルク30.6kg-mの自然吸気3.0L V型6気筒エンジンは19年の年月を経ても些かの衰えを見せることなく快調に回る。
■Specifications 全長×全幅×全高(mm):4905×1820×1445 ホイールベース(mm):2910 車両重量:1720kg エンジン:2967ccV型6気筒DOHC24バルブ 最後出力:243ps/6800rpm 最大トルク:30.6kgm/4100rpm 燃料供給装置:電子制御燃料噴射 トランスミッション:6速AT 駆動方式:FR ステアリング形式:パワーアシスト付ラック&ピニオン サスペンション形式(前後):ダブルウィッシュボーン ブレーキ形式(前後):ベンチレーテッドディスク タイヤサイズ(前・後):235/50R17・235/50R17 新車価格(税抜):690万円
排気量に余裕のあるクルマは道路のアップダウンに差し掛かってもエンジンのトルク変動が少なく、運転していてストレスを感じることがない。そのことは秦野中井の延々続く勾配を走った際にあらためて感じた。昨今主流となったハイブリッドカーのモーターアシストやダウンサイジングターボでもこうした状況で不満を感じることは少ないが、アクセルペダルを踏んだ瞬間にリニアに反応し、優れたドライブフィールを持つ排気量に余裕のある自然吸気エンジンには敵わない。
また、ロングホイールベースゆえに直進安定性も申し分なく、いくぶんへたった足回りとはいえ、路面の凹凸を乗り越えた際の車体の収まりも悪くない。こういう高速道路のハイペースな移動はジャガーの得意とするところだ。
ただし、メルセデス・ベンツのような200km/hを超えてもなお安定する感覚はこのクルマにはない。スピードレンジの設定はドイツ車よりも幾分低く、おそらく快適に安定して走れる速度域はせいぜい150~160km/hという印象だ。だが、日本の公道で走るにはジャガーの性能で過不足はなく、運転したときのタッチの良さ、ドライブフィールでは決してメルセデス・ベンツやBMWに負けてはない。
深夜の新東名は秩序の伴ったカオスである。わが国の物流を支えるトラックの群れがわずか数km/hの速度差ももどかしいとばかりに抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げている。第1車線や第2車線で完結するのならまだしも、時折追い越し車線にも巨大なトラックがヌッと進入してくる。そんなときはジャガー伝統のJゲートをドライブから左側へとシフトし、必要に応じてエンジンブレーキを効かせて減速する。
高速道路は走行車線の走行が原則だが、新東名の制限速度は乗用車と大型車とでは制限速度に40km/hも差がある。おまけに走行車線はこの世の果てまで続いているのではないかと思うほどの貨物車の長い車列が伸びる。極力走行車線を走ろうとしても、どうしても追い越し車線を走る時間は長くなってしまうことは仕方がないことだ。
現実と乖離したものであっても法は法。後方に白黒ツートンのクルマや男2人組の地味なセダンがいないことをチラチラ確認しつつ、先を急ぐ。まだまだ目的地は遠いのだ。
そうこうしていると、ふいにターンシグナルも出さずに大型トレーラーが目の前に飛び出してくる。心の中で抗議の声を上げつつブレーキを踏む。新車時のレビュー記事で「Sタイプはブレーキの効きにやや不満がある」という内容のものを読んだ記憶があるが、筆者自身は4年間乗っていてそうした感想を抱いたことは一度もない。制動力は必要にして充分。ブレーキを踏んだときの安定感も申し分はない。
しかし、それにしても前のトレーラーだ。深夜を走る大多数のトラックのマナーはそう悪いものではない。追い越し車線に闖入してきたトラックも追い越しを終えればすぐに走行車線位戻って行く。だが時折こういった「本当にプロか?」と疑いたくなるようなトラックもいる。深夜の高速ではスピードの出し過ぎには要注意である。
果たされなかった約束……亡き友とのジャガーにまつわる思い出
新東名を抜け、伊勢湾岸道路を走り、新名神にクルマは入った。時刻は日付が変わって3時30分。ふと横を見るとカノジョが寝息を立てている。ここからしばらくは孤独な夜間飛行だ。暗闇の中を道路を照らす照明や追い越したトラックのテールランプが星のように流れて行く。
思えばSタイプとの4年間はいろいろなことがあった。仕事に、プライベートにと大いに活躍してくれたし、いろいろなところに一緒に出掛けた。運転はほとんど筆者だったが、他にこのクルマのステアリングを握った人間といえば、カノジョと担当編集、そして友人であったマンガ家の故人の山本夜羽音(やまもと・よはね)くらいのものだ。
山本夜羽音の名前を聞いてもパッと作品が思い浮かばない人が大多数だろう。彼は主に成人向け作品を描いていたマンガ家だ。山本直樹先生のアシスタントを経て1990年代にデビュー。「社会派エロ漫画家」「極左エロ漫画家」として漫画界で注目を集めたものの、10年以上に渡って作品を描けなくなり、新作の構想こそ雄弁に語るものの実際には作品を完成させることはなく、仕事の約束を「やっぱり描けない」といって反故にすることが多々あり、周囲からは「描く描く詐欺」などと言われた。そんな彼とは思想信条には互いに大きな開きがあったが、不思議とウマが合い、彼が主催する東日本大震災のボランティアを手伝ったり、一緒に酒を飲んだり、遊んだりした。
彼が亡くなる2年ほど前……コロナの世界的流行の前のことだ。50歳を超えてやっと自動車の免許を取得したと彼から連絡が来たのだ。「それならオレのクルマで運転の練習でもする?」と声をかけ、免許交付日の午後にジャガーのステアリングを握らせたことがあった。筆者はナビシートに座り、お台場周辺を2~3時間くらい彼の運転でドライブ。正直、彼の運転は怖かった。まっすぐ走るだけでもフラフラするし、カーブが迫っているのに舵角がまるで足りず、慌てて横からハンドルを掴んで回したこともあった。
ただ、しばらくあれこれアドバイスしながら運転させてみると、少しはコツを掴んだようだいぶ様になってきた。彼もクルマに慣れてきたようで「ジャガー良いなぁ~。なんか上品で高級感があっていいね。クルマにはこういう世界もあるんだねぇ。運転もラクだし、何よりも楽しいよ」くらいの感想を述べる余裕も出てきた。「気に入った? じゃあ手放すときに声かけるよ。いくらでもいいサ。格安で譲ってあげる」と筆者が水を向けると、「えっ、左翼のオレがジャガーなんて乗っていいのかな?」と返してきた。「いいじゃんか。乗っちゃ乗っちゃえ。左翼マンガ家がジャガー乗るって言うギャップが面白いよ。意外と維持費も掛からないし、何かあったときは相談に乗るよ」などと無責任なことを言う筆者。「そうか、オレがジャガーか。う~む、バイトを少し頑張れば維持できるかな?」とまんざらでもない彼。「いや、そこは新作マンガ描いて原稿料で維持すると言いなよ。まあ、いつでも運転したくなったら声かけてよ。また一緒に練習しようぜ」「ぜひお願いするよ。今度は少し遠出してどこかに一緒にドライブに行きたいなぁ……」。
他愛のない車内でのやりとり。まさか、これが今生の別れになるとはそのときは思いもしなかった。
その後はコロナの世界的流行を挟んだこともあり、ネットではやりとりをしていたものの顔を合わせる機会はすっかりなくなっていた。そろそろ彼の顔を見ようと連絡しようかと考えていた矢先の2022年3月14日、山本夜羽音の訃報が飛び込んできた。信じられなかった。何かの冗談かと思った。だが、共通の友人知人に確認をとっても彼の死は紛れもない事実だった。死因は心不全。長年患ってきた2型糖尿病と新型コロナの合併症だったらしい。高円寺の教会で行なわれた葬儀にもジャガーで出かけた。雨がしとしと降る寒い日だったことを今でも覚えている。
葬儀の帰り道、鬼の霍乱とでも言うべきか、迂闊にも右前輪を縁石に当ててしまった。不注意でSタイプを傷つけてしまったのはこのときが最初で最後だった。ホイールについた擦り傷はそのときのものだ。それからは右前輪を見るたびに山本夜羽音の笑顔が脳裏に浮かぶ。おそらく世間一般的に言えば、彼もまた筆者と同じくダメ人間の部類に入るのだろうが、どこか憎めないところがあり、愛すべき人間であったし、友人としてはかけがえのない存在だった。そして、マンガ家しての才能は紛れもなく本物だった。今から思えば本人も描けないことに苦しんでいたと思う。ようやく長いスランプを脱し、新作に取り組んでいた最中での急逝は返す返すも残念でならない。
ジャガーを所有した4年間で、山本夜羽音をはじめ、筆者が駆け出しの頃からお付き合い頂いたアニメーターの大塚康生さん、新人時代から可愛がって頂いた先輩ライターであり、モーターファン.jpで自衛隊関係の記事を書かれていた貝方士英樹さん、そして此度の九州遠征の直前には、一緒にアニメ誌の仕事をしたアニメ・ホビーライターの廣田恵介さんが亡くなったとの一報を知人から聞いた。もう二度と会えない知己の人たちの顔を思い浮かべながらステアリングを握る。みんな才気豊かな人たちだった。まだまだ逝ってしまうには早すぎる。やり残したことも多かっただろうに……。たんたんと深夜の高速をひとり走っているとどうしても感傷的になってしまう。
ロングドライブでの途中給油はガソリン価格の高さに悶絶する
新名神を抜けて山陽道に入る頃には空がすっかり明るくなっていた。時刻は5時30分。三木サービスエリアに到着。ここで給油をする。千葉を出てから燃料計の針は残り4分の1を指そうとしていた。給油量は43.78L。支払い金額は……9019円!? なんとハイオクの価格はまさかの206円/L!
燃費計は13.1km/Lという好燃費を示していたが、このガソリン価格の前には多少の燃費向上もまったく意味をなさなくなる。これがジャガーを手放すことを決めた理由のひとつだ。昨今の円安や国際情勢を鑑みると、このガソリン価格が将来街中のスタンドでの店頭価格になりかねない。「せめてレギュラー仕様ならなぁ~」と詮無いことを独りごち、ため息をつく。
ここでドライバーチェンジとなり運転席にカノジョが座る。筆者は助手席のシートを倒し、しばし眠りにつくことに……。
九州に入りいよいよ別れの時が近づく……
目が覚めたのは本州最西端、山口県下関市にクルマが入ったところだった。「もうすぐ関門橋だよ」とカノジョが言う。時計を見ると正午少し前。すっかり陽が登って、窓を開けていてもかなりの暑さだ。壇之浦PAに寄ってもらい再びドライバーチェンジをする。「大丈夫。ゴールまでそのまま運転できるよ」というカノジョを制して「これでジャガーを運転するのも最後だから」と半ば強引に運転を代わる。
関門橋を渡り、九州自動車道に入るとまだ東京では聞けなかったセミの声が聞こえた。南国・九州は一足先に夏を迎えているようだ。エアコンが完調のときは窓を閉め切って走ることがほとんどで、その高い静粛性ゆえに季節の変化を肌で感じることは少なかったから新鮮な体験だ。ただし、蒸し暑いのが玉に瑕ではある。
ありし日のSタイプは英国趣味満載のインテリアに加えて静かなところに特徴があった。と言っても、トヨタ車のような無機質な静けさではない。ノイジーな雑音だけを巧みにカットしてエンジン音や走行音の心地よい部分だけをフィルタリングしてドライバーに伝えてくれる。それ故にジャガーでの移動は運転という行為を常に意識させられながらも至極快適なものだった。
目的地がある別府ICまであとわずか。いよいよジャガーとの別れの瞬間が近づいてきた。これでSタイプのステアリングを握る機会はなくなる。購入から現在までを振り返ると燃費面を除けば、故障も少なく、快適で、走りも魅力的なじつに良いクルマだったと思う。次のクルマはジャガーとは対極的なイタリア製コンパクトカーだ。これはこれで魅力のあるクルマだと思ったから購入を決断したわけであるし、早く乗ってみたいという欲求はある。だが、同時にSタイプに後ろ髪惹かれる思いを感じてしまう。
ジャガーの日本における中古車相場は不当と言っていいほど安い。ネオクラシックになると相場が反転上昇することになるが、それ以前の10~15年落ちの中古車なら格安で買える。生きてればもう一度くらいジャガーオーナーになることもあるだろう。経済性もXFやXEのディーゼルならそう悪くはないだろうし。そのときまで、またね、ジャガー。さよならSタイプ。今までありがとう。達者でな。