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■パジェロやプラドに対抗し日産が放ったRVミストラル
1994(平成6)年6月7日、日産自動車のスペイン生産の輸入モデル「ミストラル」がデビューした。RVで後れを取っていた日産が、欧州で人気を獲得していたスペイン生産の「テラノII」を日本に輸入、ミストラルの車名でデビューさせた。
●RVブームに上手く乗れなかった日産の挽回策
1980年代後半、日産はハイソカーの頂点に君臨した「シーマ」が爆発的な人気を獲得するなどして好調を維持していた。ところが、1990年代に入るとバブル景気が崩壊し、市場は高級車志向から一気にRVへと流れを変えた。
三菱自動車「パジェロ」やトヨタ「ランドクルーザー」、「ランクル・プラド」、「ハイラックスサーフ」が市場を席巻。一方日産には「サファリ」と「テラノ」を投入した。サファリは、ランクルに対抗したが、1986年にデビューしたテラノは5人乗りだったこともあり、7人乗車を用意したパジェロやプラドには太刀打ちできなかった。
さらにバブル崩壊後に日産は、拡大路線の修正が上手くいかなかったこともあり、経営状況は逼迫した。そこで計画されたのが、新車開発ではなく、当時スペインのニッサン・モトール・イベリカ(NMISA)で生産していたSUV「テラノII」を輸入し、日本で販売することだったのだ。
●欧州市場で人気を獲得していたテラノII
テラノIIは、ニッサン・ヨーロピアン・テクノロジー・センター(NETC)が開発した欧州向オフロード4WDで、スペインのNMISAで1993年から生産が始まった。テラノIIは、ドイツや英国で大きなシェアを持つヨーロッパ・フォードにもOEM供給し欧州市場で大ヒット。ランドローバー「ディスカバリー」をも上回る販売実績を残していた
テラノIIは、小型ピックアップ(D20)や初代テラノなどのシャシーをベースにしたラダーフレームを共用し、エンジンは2.4Lから3.0Lまでのガソリン&ディーゼルエンジンの多彩なラインナップを用意していた。
テラノIIをミストラルとして日本で販売するために、オーバーフェンダーやサイドステップの装着、エンジンとATのセッティング変更。装備の充実化などに1年以上の年月を費やした。結果として、日本への投入は欧州発売の約1年遅れの1994年のこの日となったのだ。
●廉価ながら販売は苦戦を強いられ短命で終わったミストラル
ミストラルのキャッチコピーは、“欧州テイストの走りを実現したピュア・ヨーロピアン・オールローダー”で、3列シート7人乗りのロングボディのみだった。
パワートレインは、最高出力100ps/最大トルク24.8kgmの2.7L直4 OHVディーゼルターボと電子制御4速ATの組み合わせ。駆動方式は、パートタイム4WDである。
車両価格は、261万円(タイプS)/279万円(タイプX)の2タイプ。一般的な3列シート7人乗り4WDのSUVは、当時300万円超だったことを考えると、廉価なモデルと言えた。ちなみに当時の大卒初任給は、19万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算で現在の価値では315万円/338万円に相当する。
その後も商品力強化を図ったが、上手くRVブームに乗れずに販売は苦戦。これを受け、経営不振に陥っていた日産は、ミストラルも車種整理の対象とし1代限り、1998年に販売を終えた。
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ミストラルは、テラノの弱点だった3列シートの7人乗りを実現したが、パジェロやプラドに比べると装備面での高級感で劣っていた。欧州市場では、このクラスのSUVは実用性を重視して使い勝手優先だったので、それを日本市場に投入したため、苦戦を強いられたのだ。
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