【画像50枚】日産最後のワークスラリーマシン・パルサーGTI-RグループAのレストアが完了! 1992年WRC最終戦RACラリーを走った姿が甦る!!

日産は国産自動車メーカーの中でも古くから"ヘリテージ"に力を入れてきた方だ。「日産ヘリテージコレクション」(神奈川県座間市)には市販車からコンペティションマシンまで、実に様々なクルマが数多く収蔵されている。いずれも素晴らしいコンディションを維持しているが、その陰には「日産名車再生クラブ」の活動がある。その最新成果が、日産がワークスチームとして最後にWRCに投入したラリーマシン・パルサーGTI-R(グループA)である。2024年6月22日、日産テクニカルセンターで、その完了式が行われ完成車が披露された。

「日産名車再生クラブ」とは?

「日産名車再生クラブ」は、2006年4月に日産テクニカルセンター内の開発部門従業員を中心に活動を開始した社内クラブ。関連会社からの参加も含めて2023年の登録クラブ会員数は115名(年平均80名、コアメンバー13名)を数え、設立以来、日産の歴史的な車両を当時の状態で動態保存すること、古いクルマを再生する過程で日産の先達のクルマ作り、技術的な工夫や考え方を学ぶことを目的に活動を続けている。

この日の完了式に集まった日産名車クラブのメンバー。基本的にはクラブ活動であり、その活動は終業時間外、主に土曜日に行われる、今回の完了式も土曜日だった。

2006年の発足から現在まで16台の再生を行っており、今回のパルサーGTI-Rが17台目となった。その最初の1台となった日産のグループBマシンである240RSを皮切りに、2009年にDATSUN2000GT(バイオレットGT)、2011年にDATSUN富士号・桜号(ダットサン1000セダン)、2013年にDATSUN240Z(フェアレディ240Z)とラリーカーの再生を行って来たが、パルサーGTI-Rは10年ぶりのラリーカーとなった。

再生車仕様
2006240RS(グループB)1983年モンテカルロラリー仕様
2007スカイライン2000GT-R(KPGC110)1972年東京モーターショー出品車
2008サニーエクセレントクーペ1400GX(KPB110)1973年日本GP優勝車
2009DATSUN2000GT(バイオレットGT/PA10)1982年サファリラリー優勝車
2010たま電気自動車(E4S-47I)1947年モデル
2011DATSUN富士号・桜号(ダットサン1000セダン)1958年モービルガス・トライアル仕様
2012プリンス・スカイラインGT(S54A-1)1964年日本GP仕様
2013DATSUN240Z(フェアレディ240Z/HS30)1971年サファリラリー優勝車
2014ダットサン・ベビイ(AF8N)1965年こどもの国
2015NISMO GT-R LM(BCNR33)1995年ル・マン24時間仕様
2016チェリーF-IIクーペGX- Twin(PF10)1974年TSレース仕様
2017スカイライン2000GTS-R(HR31)1988年スパ・フランコルシャン24時間仕様
2018サニー1200クーペGX-5(KB110)1972年東京モーターショー出品車(TS仕様)
2019プリンス・グロリアスーパー6(S41D)1964年日本GP仕様
2020マーチスーパーターボ(K10)1987年リトルダイナマイトカップ仕様
2021-
2022
スカイラインGT-R(BNR32)1990年N1耐久仕様
2023パルサーGTI-R(RNN14)1992年RACラリー仕様
2024フェアレディZ300ZX(HZ31)1985年全日本ラリー総合優勝車
日産名車再生クラブの再生車一覧
240RS(2006年再生)
DATSUN2000GT(2009年再生)
DATSUN240Z(2013年再生)

2023年活動の再生車としてグループA仕様のパルサーGTI-Rが選ばれたのは、当時の電子制御4WDシステム技術やWRC グループA車両の構造、クルマづくりのノウハウを学びながら、WRCワークス活動の内容を学ぶことが目的だ。

再生では当時の関係者への聞き取り調査も行われたことから、日産がWRCから去って三十余年が過ぎた今、そのクルマ作りや活動を後世に伝えるには最後のチャンスだったのかもしれない。

日産がWRCに投入したパルサーGTI-Rとは?

1970年代から1980年代初頭にかけて、WRC発足前夜からグループB時代の直前まで、日産は二連覇(1970年〜1971年)と四連覇(1979年〜1982年)を含むサファリラリー7勝という偉業を成し遂げ、日本では「ラリーの日産」と称えられた。

ダットサン・ブルーバード1600SSS(P510)1970年第18回東アフリカ・サファリラリー総合優勝車(日産ヘリテージコレクション収蔵)

そして、1982年からのグループBに240RSを、1987年からのグループAに200SX(シルビア)を投入。結果として、いずれもレギュレーションに翻弄される形となった日産が、「ラリーの日産」復活を目指して開発したのがパルサーGTI-R(RNN14)だった。

日産名車再生クラブの2023年活動として再生されたパルサーGTI-RのグループA車両。
日産のWRC史概略についてはこちらの記事もどうぞ!

1990年8月にデビューした四代目パルサー(N14)のトップモデルとして、SR20DET型2.0L直列4気筒DOHCインタクーラーターボ(230ps/29.0kgm)を搭載し、ビスカスLSD付きセンターデフ式4WD「アテーサ」を組みわせ、4WDターボで先行するグループAのライバルに対抗するマシンとして期待された。

このパルサーGTI-Rは1992年RACラリー出走車。RACラリーは1992年シーズンのWRC最終戦であり、今のところ日産ワークス最後のWRCとなっている。

1990年の開発期間にプロトタイプをサファリラリーでテストし、1991年のサファリラリーでデビューを飾るほど「ラリーの日産」復活に賭ける意気込みは強かったようだ。

より詳しいパルサーGTI-Rの軌跡についてはRALLY CARS Vol.22がおすすめ。

しかし、いざ実戦に投入されるとコンパクト過ぎたボディが災いし、限定された参戦数で開発も思うように進まず、熟成が進んだライバルに対して厳しい戦いを強いられた。さらに、バブル崩壊の影響も受けた日産本体の業績が悪化。1992年をもってパルサーGTI-Rによる日産のWRC活動は幕を閉じることになった。

空冷インタークーラーはエンジン直上に配置するレイアウトは市販車と同じ。1.5Lクラスのコンパクトカーに2.0Lターボエンジンを押し込むのはこの時代のグループAマシンの常道だが、それにしてもエンジンルームが狭かった。エンジンルーム内のクーリングには特に苦労したと伝えられる。

名実ともに日産最後のWRCワークスマシン

今回、再生されたパルサーGTI-Rは1992年のRACラリーに出走したNME(日産モータースポーツヨーロッパ)のワークス車両で、スティグ・ブロンクビスト/ベニー・メランダー組のもの。

スウェーデンのラリードライバー、スティグ・ブロンクビストは1973年WRCデビューのベテランで、通算11勝。
イギリスで開催されるRACラリーは1992年で第48回を迎えた伝統的イベント。ブロンクビスト車はゼッケン12。
ラリーの車検をパスしたことを示すステッカーがリヤクオーターウインドウに貼られる。その右は燃料計。

1992年のRACラリーはシリーズ最終戦にあたり、同年いっぱいで撤退する日産ワークスが参戦した最後のWRCイベントとなっている。エース格のブロンクビストはSS27でアクシデントによりリタイヤしているが、後のチャンピオン、トミ・マキネン/セッポ・ハルヤンネ組が8位で完走した。

1992年、日産ワークスに加入したトミ・マキネン(右)。
ターマック要員としてフランソワ・シャトリオを起用(右)。

なお、日産ヘリテージコレクションには今回再生された1992年RACラリー出場車の他にもう1台、1991年アクロポリスラリー出場車が保管されている。グループAのパルサーGTI-Rはワークス活動年数が2年と短く、ワークス以外でもほとんど使用されなかったことから、現存台数は極めて少ないと思われる。戦績的には残念な結果ではあるが、こうした車両をメーカーがヘリテージとして保管していることはとても有意義だと言えるだろう。

日産ヘリテージコレクションが所蔵するパルサーGTI-RのグループAワークスカー。1991年WRCアクロポリスラリー出場車で、ゼッケン18のクルーはピーター・デュークマン/デビット・ルウェリン組。リザルトは総合9位。

ちなみに、パルサーGTI-Rが参戦した1991年〜1992年のWRCは、熟成極まった最強ランチア・デルタシリーズと、その牙城に挑むトヨタ・セリカGT-FOUR(ST165、ST185)がトップを争う構図。フォードが投入した4WDマシン・シエラRSコスワース4×4は次代への繋ぎながら好走。三菱ギャランVR-4は進化は止まりつつあったものの、持ち前のタフさで耐久ラリーで強さを見せ、1990年デビューのスバル・レガシィRSはスピードは見せつつも脆さは隠せなかった。また、マツダも新兵器ファミリアGT-Rを投入するが、日産同様バブル崩壊(とマツダ5チャンネル戦略の失敗)に足を救われ撤退する。

トヨタ、日産、マツダ、三菱、スバル、ダイハツ(サファリのみ)……いすゞ、スズキ、ホンダ以外の日本メーカーはこぞって1990年だい初頭のWRCにワークス体制で参戦した。

日産も含め、イベントにより各社が1台〜3台のワークスマシンを走らせ、イベントごとの特色が強くチームもクルマもクルーもとにかく経験と蓄積がモノを言うこの時代は、WRCでもなかなかにハードな時代だったと言えるだろう。

参戦数や戦績ゆえに資料写真や映像の少なさが難点……エクステリア

再生にあたっては、単に綺麗にするのではなく「ゴールした状態のまま」を基本に行われた。とはいえ、グループAラリーカーゆえのスペシャルパーツも多く苦労を重ねることになった。意外にも、この当時の写真や映像資料が少なくステッカー等の復元も難しかったという。特にリヤまわりは資料や写真が少なかったそうだ。

日産ヘリテージコレクションに保管されていた再生前の車両の画像。再生後の写真と見比べてみてほしい。

長らく日産ヘリテージコレクションに保管されていた本車だが、分解してみると見えないところに様々な補修が繰り返されていたほか経年劣化もかなり進んでいたようで、これまた再生には手間がかったようだ。
また、ラリーカーだけにボディのそこかしこから土が出てくるため、そのクリーニングにもかなり時間がかかっている。

再生前の車両の画像にはリヤフェンダーにスポンサーステッカーが無かったり、ボンネットのナンバーステッカーの劣化が激しかったりと、ステッカー類の再現にも苦労があった。
ラリーの定番装備であるランプポッドは装着状態。
テクニカルスポンサー以外はなく、日産トリコロールを纏う。
グループAは外観の変更が認められないため、大型リヤスポイラーは標準装備。
O.Z.レーシングの7J×16インチホイールに、当時のWRCでは主流ではないダンロップタイヤを組み合わせる。SP SPORT82-Rはダート用に一般販売される銘柄だが、グループA用のスペシャルメイド。195/70R16も今となってはレアなサイズ。
マッドフラップはホイールハウス内に加え、ボディ外側でも補強が行われる。サイドシル前端の穴はジャッキホールで、こちらにも石などを巻き込まないようにフラップが装着される。
ある意味もっとも人目に触れる整備時のアピール性を考慮したロゴの配置。
こちらも同様に、ハッチゲートを開けた際に正しく見える位置にステッカーを貼る。
再生前には無くなっていたリヤフェンダーのスポンサーロゴ。

スペシャルメイドのエンジンと駆動系……パワートレイン

外観以上にスペシャルなのがエンジンと駆動系。エンジンはWRC仕様で300ps程度までパワーアップされたほか、アテーサ4WDシステムも電子制御を進めた特別なものになっている。これらについては前述の『RALLY CARS Vol.22』に詳細に記されているのでぜひご一読いただきたい。

徹底的に分解・洗浄されオーバーホールされたエンジン。
インタークーラー前側から続くパイプの先にターボチャージャーがある。エンジン後方にパルサーGTI-Rの特徴でもある四連スロットルが垣間見える。
エンジン右側にはカーボンケースのエアクリーナーボックスを配置。ノーマルよりかなり大きく容量を稼いでいる。
ボンネットフードの内側には整流板で仕切られている。ボンネットのダクトからインタクーラーへの導風のようだ。
アンダーガードやマッドフラップに覆われた車体底面を後方から見る。市販車のリヤデフはビスカスカップリングだが、グループA車両は2つの油圧多板クラッチを仕様した電子制御(CSD)。4WDシステムはスカイラインGT-Rでお馴染みの(アテーサ)E-TSを応用したもので、E-TSはセンターデフに組み込まれる。
ホイール内に見えるブレーキキャリパーはブレンボ製。シール類を交換してオーバーホール。
サスペンションは四輪ストラット(リヤはパラレルリンク式)。マフラーは右出し。

6速ドグミッションはグループA用に開発された専用品で、デフと合わせてケースはマグネシウム製。センターデフにはE-TSが内蔵されており、このオーバーホールには日産モータースポーツ&カスタマイズ株式会社モータースポーツ事業部の助力が大きかったという。

市販車の雰囲気を残しつつ無駄を廃したコックピット……インテリア

グループA時代のWRCマシンのコックピットはダッシュボードやドアの内張が市販車のまま残されているなど、意外とノーマルの雰囲気を感じさせる。一方で、ホワイトボディ剥き出しにロールケージを張り巡らせ、シートはフルバケットタイプ、内装はほとんど剥がされた空間はまさに競技車両であることを強く感じさせる。

パルサーGTI-Rのコックピット。ダッシュボード経常はノーマルだが、反射防止用の処理が施されている。
メーターパネルには中央にスタックのタコメーター、右にブースト計、最低限の警告灯とシンプル。ステアリングはモモのラリー2。ステアリングコラムやワイパー、ウインカーのスイッチはそのまま残る。
グループA時代はドアにノーマルの内張が残るクルマが多い。ウインドウレギュレーターは手動。上下のポケットは適当に追加されたもののようだ。
センターコンソールは完全に作り直され、各種スイッチが配置される。中央部には電子制御(CSD、E-TS)のダイヤルが見える。シフトノブはウッド製だ。
コドライバー側にはラリーコンピューターが装着される。後の高度に電子化されたラリーカーに比べると非常にシンプルだ。

電装系でも、ECM内部は基盤に接続された素子類がラリーの振動やアクシデント時に外れることが無いよう樹脂で固められたいたそうだ。また、センターコンソール裏のブレーカーパネルなど、ハーネス類は極めて整然と配置した上で、こちらも外れないようにしっかり固定されているなど、ラリーフィールドで戦うクルマとして作り込まれていたという。

シートはレカロ、ハーネスはサベルトと定番の組み合わせ。後の時代ほどではないが、コドライバー席は低く後方に設置される。サイドバーのパッドとロゴは劣化が進んでいたため作り直している。
ロールケージの本数もそれほど多くなく、構成もシンプル。ヘルメットに繋ぐ無線のケーブルがぶら下がっている。無線本体はコドライバー席の後方に配置。

内装類も交換するのではなく徹底的なクリーニングを実施。土埃が入り込んでいたドアの内側も、トリム裏まで清掃した上で防錆処理も施している。バケットシートもリンサークリーナーで清掃し、往時の雰囲気はそのままに綺麗になっている。

ラリーカーの必須装備であるルーフベンチレーター。
ルーフベンチレーターの室内側。
リヤゲートを開けたところ。市販車と異なりリヤゲートダンパーはなくステーで支える。ラゲッジルーム中央にはスペアタイヤが備わる。サービスやタイヤ交換の規制が始まる前だからか、搭載されるスペアタイヤは1本のみ。
燃料タンク左に給油口から続くパイプ。
燃料タンクはスペアタイヤを囲む凹字型。
燃料タンクの右端。
給油口は左Cピラーに配置。ウインドウに燃料計が見える。
ラゲッジルーム右後端にバッテリーを収めるケースを設置。バッテリーは新品を用意。
バッテリーケースはカーボン製で、内側は絶縁させるためにケプラーで覆っている。

再生は協力会社の尽力があってこそ

再生には日産だけでなく関連会社が協力。貴重なパーツの提供や、現物しかないパーツの再生やオーバーホール、ステッカー類の再現など力を尽くしている。

協力企業再生部位/部品
NOK株式会社オイルシール
大場板金部品要求全般
カヤバ株式会社サスペンションのオーバーホール
デカルコ デザイン&マーキングプラークゼッケン
株式会社東名パワードエンジン部品
トミークラフトステッカー
ニコ・レーシング株式会社クラッチ・ブレーキ部品
日産モータースポーツ&カスタマイズ株式会社
モータースポーツ事業部
ETSオーバーホール、再生サポート
ロックペイント株式会社車体塗料
協力会社と再生部位及び内容

再生ステッカーを貼って完了式を終える

日産名車再生クラブでは、再生を完了した車両にその記念ステッカーを貼る。完了式で再生についてひと通りの紹介を終えたあと、クラブ代表の木賀新一氏が車両の左クオーターウインドウにステッカーを貼った。

完了ステッカーを貼るクラブ代表の木賀新一氏。

なお、再生は2023年4月のキックオフ式から14ヶ月を要しており、再生期間としては長くかかっている。それも、外観とは裏腹にスペシャルメイドな部分が多く、しかも現在では断絶してしまっているグループAのWRCマシンということから困難が多かったためだ。
再生に携わったクラブ員の一人はこのパルサーGTI-Rの作りを見て「かなりの予算をかけて作ったんだろうな……」と語った。

クラブの再生完了ステッカー。
完了式で同車の再生について語る木賀氏。

しかしこの再生により当時の姿を中身に至るまで再現され、今後は再び日産ヘリテージコレクションに展示されるという。また、テスト走行では極めて好調な走りを見せたとのことで、実際にその走る姿を見ることができる機会を期待してやまない。

日産名車再生クラブの次なる再生車は……。

そして、完了式と同時に2024年のキックオフも行われ、再生予定の車両が合わせて紹介された。この車両の詳細については次回の記事にて紹介しよう。

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市販車からコンペティションマシンまで、日産のさまざまなな歴史的名車を収蔵する「日産へリテージコレクション」(神奈川県座間市)。その車両をレストアする日産社内の有志クラブが「日産名車再生クラブ」だ。2006年の発足以来、2023年まで16台の名車をレストアしてきたが、その2024年のレストア車として選んだのがZ31型フェアレディZ300ZX。その、1985年全日本ラリー選手権チャンピオンマシンだ。2024年6月22日(土)、日産テクニカルセンターでそのキックオフ式が行われた。

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