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日産名車再生クラブは、日産の車内クラブとして2006年の発足以降、日産へリテージコレクションに収蔵される車両のレストアを行ってきた。
その最新の成果が2023年の再生対象車であるパルサーGTI-RのWRC参戦車両だった。そして、その完了式では同時に2024年のキックオフ式が行われ、その対象車であるZ31型フェアレディZ300ZXもあわせて展示された。
なぜフェアレディZがラリーマシンに選ばれたのか?
このZ31型フェアレディZ300ZXは神岡政夫/中原祥雅組が1985年に全日本ラリー選手権のトップカテゴリー(Cクラス)に参戦しチャンピオンを獲得したマシン。当時はAE86型カローラ(主にレビン)やA175型ランサーといったコンパクトなマシンが多かったなか、大柄なフェアレディZが選ばれたのは何故だろうか?
当時、1985年シーズンの全日本ラリー選手権用マシンを開発するにあたり、ニスモは神岡選手にこのフェアレディZかS12型のシルビアを提案したという。その結果、神岡選手の「ホイールベースの短い方」というリクエストからフェアレディZに決まったそうだ。
Z31型フェアレディZ300ZX(2シーター)のホイールベースは2320mm。一方、S12型シルビアのホイールベースは2425mmと100mmも長い。
さらに、全長でもフェアレディZの4335mmに対し、シルビアは4430mmとこちらも100mm近く長く、GTカー的なオーバーハングさえ気にしなければ実は意外とコンパクトなのだ。しかも全幅は1725mmとシルビアの1660mmよりも広くスクエアなディメンジョンとなっている。
ちなみにボディサイズを含むスペックの違いは以下リストを参照してほしい。比べてみると、重量的なハンデはあれどすでに参戦中で実績もあり熟成された他車を超えるためにフェアレディZという選択肢は”あり”だったのだろう。
車両 | フェアレディZ300ZX(2シーター) | シルビアハッチバックターボRS-X |
型式 | HZ31 | S12 |
年式 | 1985 | 1983-1988 |
全長 | 4334mm | 4430mm |
全幅 | 1725mm | 1660mm |
全高 | 1295mm | 1330mm |
ホイールベース | 2320mm | 2424mm |
トレッド | 前1415mm/1435mm | 前1400mm/1425mm |
車両重量 | 1325kg | 1140kg |
エンジン | VG30ET 2960cc V型6気筒SOHCターボ | FJ20ET 1990cc 直列4気筒DOHCターボ |
最大出力(※) | 230ps/5200rpm | 190ps/6400rpm |
最大トルク(※) | 34.0kgm/3600rpm | 23.0kgm/4800rpm |
サスペンション | 前:ストラット 後:セミトレーリングアーム | 前:ストラット 後:セミトレーリングアーム |
ブレーキ | 前:ベンチレーテッドディスク 後:ディスク | 前:ベンチレーテッドディスク 後:ディスク |
タイヤ・ホイール | 215/60R15 | 195/60R15 |
“ニスモ”ブランド初のコンペティションマシンの再生は前途多難?
1984年9月に設立されたニスモ。これまで部署や事業所ごとに分かれていた活動していた日産ワークス(いわゆる追浜や大森など)が、ニスモのブランド名で活動することになる。その最初のマシンがこの全日本ラリー用のフェアレディZ300ZXだったのではないか、とのことだ。
当時の全日本ラリーは基本的にノーマルを前提としており、改造には厳しい制限が設けられていた。そのため、この車両もロールケージやバケットシート、マッドフラップ、アンダーガード、ライトポッドといった最低限のラリー装備以外はほぼノーマルといった印象だ。
Z31型フェアレディZのモデルライフが1983年から1989年だが、前期型は1986年のビッグマイナーチェンジまで。すでに40年が経過している”旧車”だ。日産ヘリテージコレクション収蔵車ではあるが、内装まわりは”当時感”溢れる状態だった。
そして国内戦とはいえラリーを戦ってきた車両だけにボディへのダメージも計り知れない。特にボディ底面についてはすでに多くの錆が見受けられ、前途多難を予感させる状態だ。さらに、スペアタイヤを搭載するのか、ラリーコンピューターは装着するのかなど、どこまで当時の状態に近づけるのかも気になるところ。
とはいえ、スペシャルメイドのグループAマシンに比べれば厳しい改造制限によりノーマルに近い形で争われた全日本選手権のマシンだけに前年のパルサーGTI-Rに比べれば再生は容易だろうか? 気になるのはボディの痛みや錆だが、これまでもこのフェアレディZ300ZXより古いラリーカーを再生してきた日産名車再生クラブなら対処は可能だろう。
全日本ラリー選手権最後のFRチャンピオン
斯くしてフェレディZは1985年シーズンの全日本ラリー選手権に第3戦(KANSAI-RALLY)から出場。デビュー戦を5位で飾ると、第4戦をスキップして第5戦から最終戦(第11戦)まで戦い、第6戦、第7戦と連勝。2勝と2回の3位に加え上手くポイントを重ね参戦初年度にチャンピオン獲得に成功している。
なお、これが全日本ラリー選手権のおける、FR車が獲得した最後のチャンピオンになる。
キックオフ式の会場には、このフェアレディZの活躍が載った当時の雑誌や、ニスモブランドをアピールするステッカーやミニカーなど、貴重なグッズも展示された。
国内モータースポーツにあって、レースに比べて地味な感は否めない全日本ラリー選手権ではあるが、ニスモの活動としてアピールしていこうという姿勢が強く感じられる。実際、国内ラリーにおいてはこの後、ブルーバードSSS-R(U12)やマーチ(K10)の競技ベース車両にはトリコロールカラーまで設定し、競技用のパーツも展開。日産によるモータースポーツ活動を大いに盛り上げていくことになる。
ニスモは2024年で40周年!ニスモフェスティバル展示を目指す!!
NISMO(ニスモ)とはニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社のこと。日産社内のワークスチームを母体とし、モータースポーツ活動やパーツなどの設計販売を行っていた。2022年にオーテックジャパンと統合し、現在は日産モータースポーツ&カスタマイズ株式会社となっている。
その設立が1984年であり、2024年は設立40周年の節目にあたるのだ。
そのため、ニスモが手がけた最初のコンペティションマシンであるこのフェアレディZ300ZXを、例年12月に開催される「ニスモフェスティバル」に展示することを目指して再生作業が進められることになる。
同車はこれまでのニスモフェスティバルなどで展示されてきているが、クラブの再生活動は動態保存が前提とされており、2024年のニスモフェスバルでは走行が披露されるのではないかと期待せざるを得ない。