スズキのリトルモンスター「アルトワークス」。軽自動車の自主規制値64psの発端となったパワーとは?【歴史に残るクルマと技術052】

スズキ・アルトワークス
スズキ・アルトワークス
1970年代のオイルショックと排ガス規制強化を乗り越えた1980年代、低迷していた軽自動車市場が一気に活況を呈し、各メーカーから高性能モデルが続々と登場、高性能競争が再燃した。そのような中、スズキが1987年に放った「アルトワークス」は、軽初のDOHCインタークーラー付ターボエンジンを搭載し、最高出力64psを発生。あまりの高出力ぶりに、64psが軽自動車の自主規制値のキッカケになったのだ。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・‘92軽自動車のすべて、HYPER REV vol.220 スズキ・アルトワークス

1980年再び軽自動車の高性能時代到来

スズキ・アルトワークス
1987年にデビューした圧倒的な高性能を誇ったリトルモンスター、スズキ「アルトワークス」

1970年代のオイルショックと排ガス規制の強化は、特に排気量の小さい軽自動車には大きな負担となり、軽人気に大きなブレーキがかかった。しかし、1980年を迎える頃にはその難局を乗り越え、1979年に発売された「アルト」が開拓した軽ボンネットバンブームが起爆剤となり、軽自動車市場は再び活況を呈した。
ちなみにボンネットバンとは、乗用車のようなスタイルだが、物品税がかからず価格が安くできる商用車のこと。これにより、アルトが驚異的な47万円という低価格を達成したことから、1980年代に一大ブームとなったのだ。
活気を取り戻すと、三菱自動車の「ミニカエコノ」やダイハツの「ミラ」がターボ搭載車を投入するなど、続々と高性能モデルが登場し、さらに1980年代後半のバブル好景気が、軽の高出力化を加速した。

活気を取り戻すと、三菱自動車の「ミニカエコノ」やダイハツの「ミラ」がターボ搭載車を投入するなど、続々と高性能モデルが登場し、さらに1980年代後半のバブル好景気が、軽の高出力化を加速した。

スズキ「セルボ」
1982年のデビューしたスズキ「セルボ」。主に女性をターゲットにしたパーソナルクーペ

スズキが、初めてターボを搭載したのは、1982年の2代目「セルボ」だ。「セルボ」は、規格改定に合わせて「フロンテクーペ」をベースに、排気量を360ccから550ccに拡大したパーソナルクーペ。「セルボターボ」は、直3 SOHCエンジンにターボを搭載して、最高出力40psを誇った。

ターボ化とDOHC化によってアルトに高性能グレード追加

スズキ2代目「アルト」
1984年にデビューしたスズキ2代目「アルト」

セルボターボに続いて、1984年にモデルチェンジした2代目アルトで高性能化が図られた。アルトのエンジンは、550cc直3 SOHCで最高出力31ps/最大トルク4.4kgmと決して高性能ではなかったが、500kg台に収まった軽量ボディのおかげで走りは軽快だった。

スズキ2代目「アルトワークス」
1988年にデビューしたスズキ2代目「アルトワークス」

高性能化の第1弾は、1985年にデビューした「アルトターボ」である。当時、他車がキャブ仕様だったのに対し、EPI(電子制御インジェクション)を採用して、550cc直3 SOHCターボエンジンを搭載し48ps/6.5kgmを発揮した。

さらに1986年のマイナーチェンジで、スズキ初であり、軽自動車としてはホンダ「T360」以来19年ぶりとなるDOHCエンジンを搭載した「ツインカム12RS」を投入。レッドゾーン8000rpmで42ps/4.2kgmを発揮し、DOHCエンジンらしい高速の伸びが魅力だった。

スズキ3代目「アルトワークス」
1994年にデビューしたスズキ3代目「アルトワークス」

真打として究極の高性能モデル、アルトワークス登場

初代アルトワークス
初代アルトワークス

高出力化の集大成として、1987年に登場したのが、2代目アルトに設定された究極の高性能モデル・アルトワークスである。

排気量550cc直3 DOHCエンジンにインタークーラー付ターボを搭載した、軽初となるツインカムターボエンジンを搭載。EPIに加えて、ESA(電子進角)、水冷オイルクーラーと当時の最新技術を盛り込んだ高性能エンジンは、最高出力64ps/7500rpm、最大トルク7.3kgm/4000rpmを発生、レッドゾーンはなんと9500rpm以上というスパルタンなモデルだった。

あまりの高出力ぶりに、この64psが最高出力規制のきっかけになり、2024年現在でも軽自動車の自主規制値になっている。高出力規制は、当時クルマの高性能化とともに交通事故が急増したため、政府が自動車メーカーに自主的に出力規制を要求したことで始まったメーカーによる自主的な規制である。

アルトワークスは、FFの「RS-X」とフルタイム4WDの「RS-R」を用意し、「RS-X」では0-100km/hの加速が11.8秒と1.5Lクラスに匹敵する速さを誇った。特に、クラス初の13インチ65扁平タイヤ、大型フォグランプ、フルエアロチューンの4WD仕様「RS-R」が若者の間で大人気となり、アルトワークスはピークで年間8.5万台超の販売を記録した。

車両価格は、87.5万円に統一。当時の大卒初任給は15.2万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値で約132万円に相当する。

進化し続けたアルトワークスだが、消滅の危機に

その後もアルトワークスは、進化しながら現行5代目まで、唯一無二の軽自動車のホットハッチとして圧倒的な人気を獲得している。

・2代目(1988年~)
1989年の消費税導入によって物品税が廃止され、アルトワークスも商用車から乗用車に変更。また1990年に、規格変更に対応して排気量550ccから660ccに拡大することでパワーアップ。

2代目アルトワークス
2代目アルトワークス
スズキ2代目「アルトワークス」
スズキ2代目「アルトワークス」
スズキ2代目「アルトワークス」
スズキ2代目「アルトワークス」のドライビングシート
スズキ2代目「アルトワークス」
スズキ2代目「アルトワークス」のコクピット
スズキ2代目「アルトワークス」
スズキ2代目「アルトワークス」のエンジン

・3代目(1994年~)
新開発のオールアルミ製直3 DOHCターボエンジンと、シンプルなSOHCターボエンジンの2種を設定。モータースポーツでは他を寄せつけない圧倒的な強さを発揮。

3代目アルトワークス
3代目アルトワークス

・4代目(1998年~)
規格変更で一回りスケールアップして登場。VVT(可変バルブ機構)を採用したエンジンを設定したが、大きくなったボディが重くて走りは不評。1990年代の市場は、トールワゴンが主流になり、またスズキが国内モータ-スポーツから撤退することを決めたため、アルトワークスは4代目でいったん市場から撤退。

4代目アルトワークス
4代目アルトワークス

・5代目(2015年~)
4代目の販売終了から15年余りで、低速からトルクフルなハイパワーホットハッチの復活に多くのファンが歓喜

5代目アルトワークス
5代目アルトワークス

2024年の現時点で10年近くモデルチェンジしてないことから、6代目の登場が期待されていたが、2021年の9代目アルトのモデルチェンジで、新型アルトワークスの発表はなかった。残念ながら、新型アルトワークスの登場は望み薄のようだ。

アルトワークスが誕生した1987年は、どんな年

1987年には、アルトワークスの他に日産自動車の「Be-1」も登場した。
「Be-1」はレトロ調のキュートなコンパクトカーで、“パイクカー”と呼ばれるデザイン重視の個性的なモデルの先駆けとなった。

Be-1
1987年にデビューした「Be-1」。日産が展開したパイプカー第1弾

自動車以外では、米国ニューヨーク株式市場が大暴落(ブラックマンデー)、国鉄が分割民営化(JRグループ発足)、利根川進氏がノーベル生理学・医学賞受賞、大ヒット作「サラダ記念日(俵万智))と「ノルウェイの森(村上春樹)」が発刊された。
また、ガソリン126円/L、ビール大瓶314円、コーヒー一杯308円、ラーメン408円、カレー540円、アンパン94円の時代だった。

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軽自動車ながらDOHC、EPI、インタークーラー付ターボ、フルタイム4WDと、当時の先進的な高性能技術をすべて組み込んだアルトワークス。“速い、楽しい、安い”を具現化した軽のホットハッチ、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…