2010年3月に開港した茨城空港は、航空自衛隊・百里(ひゃくり)基地と同居している。民間航空と航空自衛隊が使用する官民共用飛行場と呼ばれる空港だ。時系列でなら百里基地が先に開かれている。永らく空自の独自運用拠点だったが増設計画を受け滑走路は2本となり、民航用ターミナルなど空港施設が建設され茨城空港として使用開始されたわけだ。茨城空港・百里基地の所在地は小美玉市。県中央南部にあり、霞ヶ浦の北部に位置している。滑走路を挟んで東側が空自施設を抱える百里基地、対して西側が茨城空港だ。
百里基地の歴史は古い。先の大戦開戦前へさかのぼる1937年(昭和12年)、旧海軍の飛行場が当地に開設された。ここに教育部隊が置かれ航空機操縦教育が始められた。大戦末期の1945年(昭和20年)には特攻隊(神風特別攻撃隊)の出撃拠点にもなった(百里から出撃基地の九州へ向かった)。
戦後、航空自衛隊が創られると百里は首都防空の一大拠点へと成長することになる。1965年(昭和40年、昭和の東京オリンピックの翌年)1月には滑走路が完成した。その12月にはF-104J戦闘機を運用する第7航空団第206飛行隊が置かれ、翌年には第207飛行隊を置いた。1966年(昭和41年)7月に空自百里基地として正式発足している。
その後の百里は空自の主力重要基地として定着してゆく。1970年代にはF-4EJ戦闘機を運用する第301飛行隊を置き、RF-4E偵察機を使う偵察航空隊・第501飛行隊を入間基地(埼玉県)から移駐させた。F-15J/DJ戦闘機を導入した80年代には同機を運用する第204飛行隊を置いた。百里基地と、基地に置かれた第7航空団はその時代の最新鋭戦闘機部隊を抱え首都防空の任についてきた。
2000年代には第301飛行隊と第302飛行隊は引き続きF-4EJと、改良発展型のEJ改を運用するようになり、百里は「ファントムの基地」となる。そして老朽化したファントムの運用期限となった2019年には同機の引退とともに運用する飛行隊の廃止や変更等を開始。偵察航空隊・第501飛行隊は廃止、第301・302飛行隊は運用機体をF-35Aに変更して三沢基地(青森県)へ順次移動した。だから2019年と20年はファントム最後の年として記念行事や催事、フライトなどが行なわれるはずだったが、コロナ禍により国民を招いてのイベント等はほぼすべて中止された。仕方ないが、残念なことだった。
ファントムの消えた百里には2020年3月、F-2戦闘機を運用する第3飛行隊が長年置かれた三沢基地から移ってきて、第7航空団に編入された。現在の百里は、松島基地(宮城県)や築城基地(福岡県)と同様「F-2の基地」となっている。従来の百里はファントムを見に行く・撮影する場所だったが、現在はF-2を見学する場所へと変わった。
茨城空港/百里基地の周辺には見学・撮影スポットが多い。もっとも簡便なのは茨城空港ターミナルビル2階送迎デッキだ。滑走路や百里基地のほぼ全体、自衛隊機や民航機の離着陸の様子を一望できる。撮影にも適していて愛好家の通う場所のひとつでもある。ビル2階にはフードコートやお土産店などがあるので、食事や休憩、買い物にも応えてくれる。お土産店の一角には自衛隊グッズも置かれている。
空港ターミナルビルの南側にある「茨城空港公園」も同様だ。公園内には小さな築山があって空港・基地を一望でき、離着陸する航空機の撮影にも適している。築山は混み合うことも多いようなので、密集を避けるためにも譲り合って利用したい。また、公園には引退したF-4EJ改とRF-4EJが野外展示されており、間近で見学や撮影が可能。この公園は駐車場が隣接していて便利だ。
茨城空港の西には「空のえき そ・ら・ら」がある。いわゆる道の駅だ。レストランやお土産店などが多数あって、地元・小美玉市の農産物なども手に入る。なかでも「ヨーグルトハウス」がいい。ヨーグルトやソフトクリームが美味しいのだ。各種乳製品も販売している。小美玉市は茨城県の生乳生産量第1位だという。
この「空のえき そ・ら・ら」のホームページも便利だ。トップページから「ひみつのおみたま マップダウンロード」を開くと、「小美玉市を楽しむ魅力発見マップ 【Vol.5 飛行機ビューポイント】」をダウンロードできる。これは茨城空港/百里基地の周囲に点在する撮影・見学ポイントを詳しく解説しガイドしてくれる情報地図だ。たいへん参考になるのでオススメです。