新車からのワンオーナー! 55年を共に過ごしたパブリカ800! 【第6回昭和平成クラシックカーフェスティバル】

古い国産車には古いナンバープレートがよく似合う。1960年代だと通称シングルナンバーと呼ばれる都道府県の一文字や、サイズを示す5が一桁などの特徴があるのだ。イベント会場で見つけたトヨタ・パブリカに「埼5」という古いナンバーが付いていた。話を聞けば、なんと新車から乗り続けているという。一体どのような人が乗ってきたのだろう。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1968年式トヨタ・パブリカ800デラックス。

古いクルマが集まるイベント会場を歩くなら、ナンバープレートに注視してみると面白い。希望ナンバーで年式や排気量、モデル名を選んでいる個体があるかと思えば、ナンバーに書かれている漢字や数字が今のものと異なることもある。クルマ同様に古いナンバープレートが付いていると「どうやってナンバーを受け継いだのだろう」や「昔から乗り続けているのかな」といった想像が膨らむ。

2023年3月5日に開催された第6回昭和平成クラシックカーフェスティバルの会場でも、こんな目線でクルマたちを眺めていた。イベントの模様を記事にしたとき、パブリカの700と800が仲良く並んで展示されていたことを紹介した。パブリカは1961年に700が発売され、1966年にマイナーチェンジされて排気量が800へと拡大する。

ナンバープレートも車体も新車時のままだ。

当然、800より700が古いわけだが、並んで展示されていたパブリカは700に新しいナンバープレートが付き、800には古いナンバープレートが付いていた。新しいモデルに古いナンバープレートとは面白いな、などと勝手に想像していたところ、近くにいたオーナーから声をかけられた。

白いパブリカ800のオーナーは折原茂男さんで今年84歳になる大ベテラン。さらには埼玉クラシックカークラブの重鎮であり、筆者も過去に何度か取材でお世話になっている。赤いパブリカコンバーティブルを同時所有されていてイベントにはそちらで参加されることが多いので、白いパブリカ800と折原さんが直結しなかったのだ。

グリルにはトヨタのT型があしらわれている。
細いステアリングホイールにカバーを被せている。

国産車の歴史を自らの人生とともに過ごしてきたような折原さん。実はこの800の前にパブリカ700にも乗っていた。700にはトヨタスポーツ800のエンジンを載せ換えて楽しんでいたが、マイナーチェンジで800となったことから乗り換えることにされた。今思い返すと「もったいないことをした」と後悔されているが、この800は1968年に新車で購入したワンオーナー車。だからナンバープレートも古いままなのだ。

オドメーターの数字は実走行距離だ。
前後のシートにカバーを被せている。

コンバーティブルも所有されていると前述したが、折原さんは実にこの800のほかパブリカ・ピックアップも所有されている。ご自宅のガレージへ伺った時は3台のパブリカが並んでいて壮観だった。では何がそこまで折原さんを夢中にさせているのだろう。もちろん空冷水平対向2気筒エンジンゆえの鼓動感や独特の操縦性、可愛らしいスタイルなど誰もが感じる魅力が備わるパブリカだが、形が異なるとはいえ3台も所有されるには、もっと違う魅力があるはずだ。

劣化したクオーターウインドーのゴムはジムニー用がピッタリなので交換している。
当初の700ccから800ccへ拡大された空冷水平対向2気筒エンジン。

折原さんが挙げた魅力の一つに「エコカー」であると力説されたことが興味を引いた。なんでも一般道で18km/L、高速道路なら20km/Lを突破するほど燃費性能に優れているのだ。乗り方により若干変わるだろうが、概ね良好な燃費であることは間違いない。800のダッシュボードには新車時に貼られていた「ならし運転の速度制限」が書かれたステッカーまで残っている。

このステッカーを見ながら慣らし運転をされたことだろう。慣らし期間が過ぎるとさらに速度を出せるようになるが、愛車への労りとともに操縦が一番楽しく感じられる速度域をご存じなのだろう。同時にその速度域が燃費も伸びるのだと知っているからこその燃費性能なのだ。

700に比べて800はオイルフィラーキャップ付け根の長さが違う。
空冷エンジンのため冬場はグリル内側のフラップを閉じてオーバークールを予防する。

驚くべきは燃費性能だけではない。すでに55年も所有されているわけだが、その間一度も故障したことがないというのだ。確かに走行距離が伸びていないとはいえ55歳である。人間ですら55歳にもなれば体のあちこちに不調が生じる。機械である自動車なのだから人間より故障しそうなものだが、困ったことやトラブルには遭遇したことがない。

確かに水冷ではないためラジエターや水路のトラブルは起きないし、クーラーやパワーアシスト機能は一切ないから余計な負荷もかからない。装備が非常にシンプルゆえ電気系でトラブルになる個所は数えるほど。パブリカの特徴は壊れづらさに直結しているともいえるが、おそらく入念なメンテナンスや無理をしない運転などが功を奏しているのだろう。

調整数値が記されたステッカーが残っていた。
昭和の時代に流行したエアホーンを装着している。

新車で購入された時期と前後して折原さんにはお子さんが生まれている。パブリカより1歳上と1歳下のお子さんがいて、奥様がパブリカを運転してそれぞれの幼稚園へ送り迎えに乗せて行った。お子さんとともに成長してきたパブリカだから、思い出もひとしおだろう。おそらく折原さんにとっては家族と同じような存在になっているのだろうと感じられた。

キーワードで検索する

著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…