先日の記事で旧車イベントを見学するなら、展示してあるクルマのナンバープレートに注目してみると楽しめると書かせていただいた。漢字や数字が現在の表記と違う古いナンバープレートには味があるし、排気量や年式を選んだ希望ナンバーにはこだわりが感じられる。もちろん何の変哲もないナンバープレートであったとしても、オーナーのこだわりは別のところに生かされることだってある。
ナンバープレートだけですべてを判断できるわけではないけれど、見ている側とすればオーナーとの会話の糸口にもなることも確か。そんなわけでナンバーの数字が年式を示していると思われるコスモスポーツが目に止まった。しかも珍しい赤いボディカラーで、全体的に素晴らしいコンディション。近くにいたオーナーと思しき人へ思わず声をかけていた。
1970年式コスモスポーツのオーナーは63歳になる加藤義明さん。ナンバープレートが希望ナンバーだから最近手に入れられたのかと質問すれば、2013年に購入されたのだとか。とある中古車ショップがコレクターから大量のクルマを仕入れたうちの1台だったそうで、10年前だと今ほど価格は高騰していなかったからラッキーだったはず。と聞き返してみると「右から左の金額で譲ってもらえました」とさらにラッキーだったそうだ。
ではなぜコスモスポーツを選ばれたのだろうと聞くと「子供の頃からの憧れだったんです」とのこと。なんでも幼少期に住んでいた近所にコスモスポーツとトヨタ2000GTが置かれている家があり、日々見ているうちにコスモに憧れるようになったそうだ。
コスモスポーツとトヨタ2000GTといえば、同じ1967年に発売された日本を代表するスポーツカー。いずれも高価な価格設定であり、マツダとトヨタのイメージリーダーでもあった。この当時、いずれかを手に入れられたのは限られた人だろうが、同時に2台を所有していたというのも豪快なお話だ。
多くの人は子供の頃の夢を年齢とともに忘れていくもの。忘れてはいなくても実現させようとは考えない。自分の年齢と同じだけ古くなっているわけで、まともな状態のものは少なく維持費にも相応の金額が必要になると容易に想像できるから。おまけに60年代の国産車はクーラーすら装備されていなものがほとんど。
苦労が多そうだと思えるし現代の路上で走るのに適しているとは言い難い。ところが加藤さんはあえて一歩踏み出した。おそらく50代になって家庭や経済的な余裕が生まれたのだろう。さらにいえば定年する前に夢を実現させないと一生夢のままで終わってしまう。
現在は素晴らしいコンディションのコスモスポーツだが、購入時から極上だったわけではない。当初はホワイトのボディで、よく見れば再塗装されたもの。とはいえ乗るのが恥ずかしいコンディションではなかったため、しばらくはそのまま乗ることにされた。6年ほど経った頃、再塗装のホワイトが所々剥がれてきた。
古いクルマのボディを甦らせるには元の塗装の上から再塗装する場合と、古い塗装を剥離して行う場合がある。どちらも一長一短あるわけだが、加藤さんのコスモは元の塗装が剥がれただけでなく、フェンダーの下やドアの下などがサビによる腐食へ発展するところだった。剥がれた塗装を見てボディをレストアすることに踏み切るのだ。
加藤さんの場合はボディからエンジンなどを下ろして下地を剥離、サビを除去するなどの板金作業を済ませてから全塗装を行っている。もちろんプロに頼んでいるわけだが、こうしたレストア時に必要となるのが各所使われているゴムパーツ。もちろん50年も60年も前の国産車で新品のゴムパーツが手に入る機種などない。ではどうするかといえば、新たに作るしかない。
法外な金額になってしまうけれど、人気車の場合だとリプロ製品が手に入ることも多い。コスモの場合だと古くから続くコスモスポーツオーナーズクラブが熱心にリプロ製品を数多く製作している。加藤さんもクラブに所属しつつ、知り合いになったコスモスポーツオーナーと交流を進め、こうした部品を入手している。
コスモスポーツオーナーズクラブとは過去に何度も取材でお世話になった。毎年日本全国にある支部で会合を行い、ミーティングなども積極的に開催している。ミーティングに同行させていただいた時に感じたのは、多くのコスモスポーツが白いということ。
ミーティングに参加するコスモスポーツの8割から9割ほどがホワイトなのだ。加藤さんも同じ印象を抱いたそうで、レストアする時にホワイトではなくあえて少数派のレッドを選んだそうだ。幼少期の憧れなのだから、自分が思い描くように仕立て直されたかったことだろう。夢を実現させる人は予算を度外視して理想の姿やこだわりを通すものなのだと感じられた。