4月9日に埼玉県にある「道の駅かぞわたらせ」で開催されたイベントは、小規模ながら粒揃いの名車が集まった。過去に取材したことがあるオーナーも多く、いずれも20年30年と所有し続けられた個体が多い。
なかでも今回紹介する新津光洋さんのスバルR-2は、貴重な新車時塗装を維持するオリジナルコンディション。しかも新津さんが2人目のオーナーという、とても履歴がはっきりした個体なのだ。
スバルR-2は1958年に発売されたスバル360の後継車として、1969年に発売された。いかに名車とはいえスバル360が旧態化していたことは誰の目にも明らかだったため、R-2は基本的な車体構成をそのままに各部を改良しつつ新たなスタイリングを纏って発売された。
ところが思ったほどの販売実績を上げることができず、R-2は迷走を始める。一新されたスタイルを矢継ぎ早に変更することを繰り返し、初期モデルと後期モデルでは同じクルマとは思えないほどデザインが異なるようになる。それゆえ発売から3年後の1972年には生産を終了。途中でR-2に追加された水冷エンジンを軸に新開発されたレックスへバトンタッチしてしまうのだ。
そのため名車スバル360ほど残存数がないスバルR-2だが、前期モデルの可愛らしい姿に憧れる人は多く大事にされてきた個体が少なくないのと同時に、カスタムベースにとても人気のあるモデルだった。
だからかフルオリジナルのまま残っているケースは少ないように感じられる。すでに定年退職して10年ほど経つ新津さんのR-2は、実に新車から乗り続けた前所有者から直接引き継いだ貴重な個体。どのようにして直接譲り受けることになったのか聞いてみると、国産旧車を手に入れようと考えている人にとって参考になるエピソードを聞くことができた。
新津さんは当時、都内から埼玉へ引っ越され以前からの趣味である古いクルマを複数所有できる環境に恵まれた。すると必然的に所有車が増え、以前から乗っていたVWビートルのほかにRT40コロナやホンダN360にも乗られていた。
このN360で近所のJAへ買い物に行くことが多かったのだが、とある日にN360で向かうと駐車場にスバルR-2が停められていた。同じような年式の軽自動車なので興味を持って近づくと、偶然にも所有者の人と話す機会に恵まれた。それから何度かJAの駐車場で立ち話する仲になり、当時すでに高齢だった所有者の方へ「手放すことがあれば教えてほしい」と伝え名刺を渡すことになる。
名刺を渡してしばらく、あまり会う機会に恵まれなかったのだが、3年ほど経った頃に電話があった。R-2を手放すので譲りたいというのだ。3年も経てば保管場所の都合など事情が変わって引き取れないケースもあるが、新津さんは増え続ける所有車のために農機具置き場だった広大な倉庫を借りていた。
電話を受けたその日に所有者宅まで出向いて譲り受けたのだ。このエピソードから伺えるのは、旧車との出会いはどのようなものでも大切にして気を長く持ち続けること、話があったら即対応することがとても大事なことだとわかる。もし電話があった時に「しばらく考えさせてほしい」などと返したら、すでに出会いは遠のいていただろうし、3年も待てずに連絡をしていたら相手に不快な思いをさせることになったかもしれない。
こうして新車からの1オーナー車を手に入れることになった新津さんには、同じように新車から乗り続けたオーナーから直接譲り受けた旧車がほかにもある。いずれも入手時はコンディションが良くなかったが、適切なメンテナンスを施すことで本来の性能を取り戻している。ところがスバルR-2はほとんど手がかからない優等生。車検を切らしたことがなく、継続的に乗り続けられたことがポイントだろう。
目立った故障はないものの、燃料配管に不具合があったため、燃料コックとフィルターを変更したことが唯一の変更点。それ以外は新車からの状態を保ち続けているため、前オーナーがつけたボディの傷などは修理せず、あえてそのままの状態を残している。貴重な新車時塗装だから全塗装してしまえば価値がなくなるからだ。
また長年乗るうちエンジンの脇にある点火タイミングを確認するための窓からキャップが外れ紛失してしまった。そこであれこれ試してみると、お酒の一升瓶につく蓋がピッタリだと判明。熱による変形が考えられたから試しに使ってみると、何事もなく継続使用できた。
同じようにキャップを紛失してしまうR-2オーナーは多いようで相談を受けると、代用品があると教えてあげるのだとか。良いクルマとの出会いは偶然に訪れるものだし、良縁はタイミングを逃さないことが大事なのだ。