第一世代GT-Rは3代目のC10型と4代目のC110型に追加された、直列6気筒DOHCエンジンを搭載するスポーティなグレード。なかでもハコスカと呼ばれるC10型のGT-RはセダンのPGC10、ハードトップになったKPGC10ともにツーリングカーレースで大活躍したことから人気が高い。次世代のケンメリではGT-Rこそ存在するが、こちらでのケース活動はなく別な意味で人気が高い。それは少ない生産台数ゆえの希少性だ。
一般にケンメリGT-Rは197台しか存在しないとされてきた。この台数は筆者が専門店である「プリンスガレージかとり」の協力を得て、アナウンスされている車台番号以外のケンメリGT-Rが存在することを確認。すでに200台以上が生産されていたことを突き止めている。とはいえ200台。とても数の少ない名車であることに変わりはない。
なぜこれほど少ないかといえば、ひとえに時代ゆえのこと。GT-RのGT-Rたる所以は前述した直列6気筒DOHCであるS20型エンジンを搭載することだが、このエンジンはケンメリが発売された直後に施行される排出ガス規制をクリアできる見込みがなかった。だから生産車に採用し続けることはできず、早々に生産を打ち切っていた。いわば余剰在庫のS20をさばく意味でケンメリに搭載されたともいえた。
ケンメリGT-Rは発売前の東京モーターショーでレーシング仕様として参考出品されている。実際には大きく重くなったケンメリのボディにS20を積んでもレースで勝てる見込みはなく、レース参戦計画もなかったはず。ひとえにスポーティなイメージを主張するための展示だったことだろう。
やはり時代が産み落とした異端児とでも表現できるのが、ケンメリGT-Rなのだ。少ない生産台数ゆえ、現在の中古車相場ではとんでもない金額になっている。すでに1億円を超えた例もあるようで、もはや手の届かない存在。だが、それは今に始まったことではなく、長らく高値で取引されてきたのだ。
今回紹介するケンメリGT-Rは関東近県で開催される旧車イベントの常連とでも言っていい柳沢誠さんが所有する個体。平成7年に購入されたというから、かれこれ28年も所有し続けている。その当時でさえ、ハコスカGT-Rの倍近い価格でお買いになったそうだから、ケンメリGT-Rが高いのはもはや普遍的なこと。ところが柳沢さん、憧れのケンメリGT-Rを買っても、ほとんど乗らずに保管されていた。
なぜなら当時、小学生だった息子さんがポケバイでレースを始め、週末になるとサーキットへ遠征していたから。いずれ息子さんは年間チャンピオンを獲得して、ノービス・ジュニアへステップアップ。さらにサーキット通いが本格化して、一時期はマイクロバスに5台のマシンを積んで参戦してきた。
バイクのレースをサポートしていたから、週末ごとに各地へ移動する。念願かない手に入れたケンメリGT-Rに乗る時間はそうそうない。とはいえ、ただガレージで眠らせていたわけではく、適度に動かしてメンテナンスを続けてこられた。
柳沢さんが手に入れる前のオーナーは乗らずにガレージで保管されていた。それを専門店の社長が手に入れ徹底したメンテナンスを実施して普通に乗れるコンディションへ戻された。その後に手に入れたのが柳沢さんで、せっかくのコンディションをまた元に戻してはいけない。レースサポートで忙しい中、時間を見ては乗るようにされてきた。ところが息子さんがレースを止めると一気に時間ができる。それからは旧車イベントに足繁く通うようになる。
10年ほど続いたレースサポートがなくなり、休日ごとに乗れるようになった当時は太いRSワタナベのアルミホイールを履かせていた。この時代のクルマの多くがパワーステアリングを装備してなく、当然ケンメリGT-Rにも装備されていない。据え切りでとんでもない力が必要なうえ、コーナリング中の保持力も結構な重さになる。
そこでルックス的に劣るものの純正の細いスチールホイールに戻された。ところがこの状態だと乗りやすいうえ、ステアリングフィールもごく自然で路面との感覚を掴みやすい。近年は開催される旧車イベントが増えてきたこともあり、乗りやすさを重視した現在のスタイルで落ち着いた。購入後10年ほど乗る機会が少なかったから、今はその反動でよく乗られるようになったのだろう。