国産旧車を代表する名車がハコスカこと3代目スカイラインに追加設定されたGT-Rだろう。ハコスカは1968年に発売されたC10型で、ボディは当初4ドアセダンとバン・エステートのみだった。C10発売の翌年、プリンス陣営が開発したレーシングプロトタイプであるR380に搭載されたGR8型エンジンをベースに、公道向けの再開発を行なって生まれたS20型直列6気筒DOHCエンジンを搭載するGT-Rが追加された。
C10発売の2か月後にセドリックなどに搭載されていたL型6気筒SOHCエンジンを搭載するGTも追加された。GTの最高出力は105psでスタートして後には120psへ改良された。対してS20を積むGT-Rは当初から160psという高性能ぶりだった。
第2世代GT-RであるBNR32はグループAレースでの必勝を期して開発されたが、そもそものルーツはハコスカGT-Rであり、さらに言えば2代目スカイラインによる日本グランプリの活躍にまで遡る。ハコスカGT-Rでいえば発売直後からツーリングカーレースに投入され、初戦こそ実質的には負けているが(首位のトヨタ勢に走路妨害があり減算されたため)、その後は破竹の勢いで連戦街道を突き進む。
ところが徐々にロータリー勢の速さを無視できなくなると、1970年にはコーナリング性能を引き上げるためホイールベースを短縮した2ドアハードトップを追加発売。以後、GT-Rによるレース活動は2ドアハードトップに切り替わり、1972年シーズンまでに50勝以上を記録した。
レースでの速さが人気を生み出し、ハコスカGT-Rといえば2ドアハードトップが長年人気を維持してきた。ただ、スカイラインの歴史にこだわるなら「GT-Rはセダン」という人も多い。真紅の4ドアGT-Rでイベントへ参加された落合和彦さんもそんな一人。2005年にハコスカGT-Rを手に入れようと考え、最終的に数台の候補まで絞り込んだ。
2台あるセダンのうち、過去に九州の専門店でメンテナンスされてきた個体を選ぶ。専門店とは「GT-Rの神様」と呼ばれた店主が営むGT-Rサービスワタナベのことで、ここで組まれたエンジンは240km/hの最高速度が可能だったと語られる。別の候補車より高価だったが、素性の良さから選ばれたのだ。
おまけにこのGT-Rに積まれるS20には特殊なシリンダーヘッドが使われている。通常のハコスカGT-Rだとシリンダーヘッド脇にK2やK3、K4という文字が射込まれている。ところがこのGT-RはKとしか文字がない。おそらく試作段階のものか、レースで使用されたヘッドの可能性を否定できない貴重品なのだ。そのシリンダーヘッドにはレース用のカムシャフトまで入っている。九州時代に組み込まれたものだろう。
無骨ながら国産車離れしたスタイル、タイミングチェーンによる独特の音を発するS20型の音色に惚れ込んだ落合さんだが、乗り始めてからしばらくするうちに気になる個所が出てきた。肝心のエンジンが本調子の時より性能を落としてきたのだ。
そろそろオーバーホールする時期だと判断するや、お住まいの栃木県にあるGT-R専門店だったRファクトリーという有名店に持ち込む。すでに九州の専門店は存在しないからだ。現在は店主が世代交代しているが、初代の時代にエンジンのオーバーホールを依頼した。
同時に落合さんによるモディファイも進行させた。レースに参戦していた当時に作られたレース用ワイドホイールやワイドミラーなど、こだわりの部品が使われている。ただし、サスペンションに関しては当時のものであることをやめた。減衰力調整も車高調整もできないうえ、ハード過ぎて街乗りが辛いと感じたためで、現在はスターロード製のフルタップ式車高調サスペンションに変更している。
ハコスカGT-Rの魅力はエンジンにあるから、何回オーバーホールしてでも本調子を維持していたいと思うオーナーは多い。落合さんはその典型だが、ボディにもこだわっている。なんとこのGT-Rは落合さんの元にやってきてから板金塗装などボディ修理を行なっていないのだ。
年数が経っているのでボディにあちこちに傷みはあるのだが「それも味」と考え、あえて修理しない。古いクルマなのだから新車のような輝きはあり得ないことだし、大掛かりなレストアをしてしまうと新車から保ってきたオリジナリティが消えてしまうと考えている。これも一つのGT-R愛なのだ。