父から受け継ぎ親子で乗り続ける! 49年間見続けてきたいすゞ117クーペ! 【 関東工大クラシックカーフェスティバル】

現在はトラックやバス専業メーカーであるいすゞは、長らく乗用車も生産してきた老舗メーカー。いすゞの乗用車を親子で49年間も所有し続けていると聞けば、どれだけ愛されたメーカーだったかお分かりいただけるだろう。今回は幸福な車生を過ごしたいすゞ117クーペを紹介しよう。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1973年式いすゞ117クーペ1800XE。

いすゞは第二次世界大戦後の1953年から、イギリスのヒルマン・ミンクスをノックダウン生産して乗用車を作り続けてきた。ヒルマン・ミンクスは当初、イギリスから部品を輸入して日本で組み立てる方式を採用していたが、徐々に国産化を進めた結果、いすゞに乗用車生産のノウハウをもたらすことになる。

ノックダウン生産の期限が終わり乗用車生産の下地が整った1962年、自社開発として初の乗用車となるべレルを発売。さらに1963年にはべレルより小さなボディの小型乗用車であるベレットを発売。ベレットは素性の良いハンドリングを備えていたことから、モータースポーツでも大活躍する。

複雑なプレスラインが特徴だ。

いすゞの乗用車生産を支えたベレットに続き、1967年にはベレットより大きくタクシー需要にも応えるモデルとしてフローリアンを発売。4ドアセダンボディに1.6〜1.8リッターエンジンを搭載し、さらにディーゼルエンジンも用意されていた。

このフローリアンと同時に開発が進んでいたのが117クーペで、フローリアンのシャーシをベースにイタリアのジョルジェット・ジウジアーロへボディスタイルを委託。1966年のジュネーブ・モーターショーで「117スポルト」として発表されると、この時点で数々の賞を獲得している。流麗なスタイルは世界的に好評を得たのだ。

フロントグリル中央に陣取る唐獅子エンブレム。

1968年にようやく発売されたいすゞ117クーペは、あまりに複雑なスタイルゆえ当時の生産技術ではプレスで打ち抜くことができなかった。そのため初期モデルではボディ成型を熟練工が手作りすることになる。「ハンドメイド」と呼ばれるのはこのためで、現在でも非常に人気が高い。また搭載されたのはいすゞ量産車初となるDOHC機構を採用した1.6リッター直列4気筒のG161W型。このエンジンをベレットに転用して生まれたのが名車ベレット1600GTRで、レースでも大活躍している。

量産モデルはウインカーがバンパー下に位置する。

複雑なボディラインは1971年になるとプレス成型が可能になり、いよいよ量産体制に入る。1973年のマイナーチェンジで117クーペは量産型となり、エンジンも初期の1.6リッターを廃止してハンドメイド期に追加された1.8リッターが主体となる。その後もマイナーチェンジを繰り返し、実に1981年まで13年近くも作り続けられた人気モデルとなった。

長いモデルライフゆえさまざまな仕様が存在するが、今でも人気が高いのは初期のハンドメイド。続いてよく売れた1977年以降の角形ヘッドランプ期の残存率が高く、中期の量産初期モデルは意外と残っていない。ある意味117クーペらしさを残しつつハンドメイドより安価だったため、一部では人気が高い仕様とも言えた。そんな中期モデルを4月29日に開催された「関東工大クラシックカーフェスティバル」の会場で見つけた。

XEは電子制御燃料噴射装置を備える最高級グレード。

オーナーは66歳になる菊地一男さんで、もう随分と長い間乗り続けられてきたという。興味深く思い「何年乗っているのですか」と聞けば、なんとお父さんが1年落ちの中古車を手に入れて以来、菊地家から出たことがないという! この個体は1800XEで1973年式だから、お父さんは1974年に買ったことになる。それから実に49年もの間、他人の手に渡らず親子で愛し続けてきたというのだ。

ウッドをあしらった内装は外装同様にエレガント。

菊地さんが受け継いだのは運転免許を取得してしばらくしてからのこと。それでも45年以上は前のことで、実質的に菊地さんが乗り続けてきたといっていいだろう。その当時、117クーペに乗ることは相当に特別なことだったはずで、喜びもひとしおだったことだろう。だからだろうか、その後も手放すことなく維持し続けてきたのだ。

117クーペはいすゞ自らほとんどの個体が廃車されずに残っていると発表するほど、多くの個体が長く愛され続けた。それはひとえに唯一無二のスタイルとエレガントな内装デザイン、さらに優雅なハンドリングによるものだろう。

ズラリとメーターが並ぶのが古くクルマの特徴だ。
エアコンのスイッチパネルはオーナー自作のウッド製。
1.8リッター直列4気筒DOHCのG180型エンジン。
冷却性の効率アップを図るためアルミ板を追加。
補修部品が入手難なためステンレスで製作してもらったマフラー。

長く乗れば維持する苦労だってある。流麗なボディは新車時からシルバーだったが、経年により色褪せが進む。そこで菊地さんは2度ほど全塗装をして現在のホワイトに生まれ変わらせた。また電子制御燃料噴射装置を備え当時非常に先進的だったDOHCエンジンもフルオーバーホールされている。その時にヘッドカバーの結晶塗装も化粧直しした。

また美しいボディを維持するため、ボディ各所に使われているメッキパーツは再メッキして輝きを保ってきた。もちろん現在は普段乗る別のクルマも所有しているので、117クーペはもっぱら晴れた日専用。現在では時折友人と連れ立って旧車イベントへ参加するのが楽しみになったそうだ。それにしても、長年維持し続けて来られた菊地さんの情熱には脱帽ものだが、愛され続けた117クーペはなんと幸福なことだろう。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…