日本を代表する国民車と呼んでいいのがスバル360。1958年に発売されると年々販売台数を伸ばして軽自動車市場トップの人気モデルになる。何度かのマイナーチェンジを経て1970年まで生産され続けたことからも、人気のほどがうかがえる。スバル360の偉大なところは新車がなくなり次期モデルであるスバルR-2が発売されても、中古車市場で変わらぬ人気を維持していたことだろう。
排気量が360ccまでだった軽自動車規格は1976年に排気量の上限を550ccまで引き上げる。すると当然、人気は排気量の大きなモデルへ移っていく。ところがスバル360は中古車市場でも人気を維持していたのだから、いかに偉大だったかを示している。人気の秘訣は走行性能や乗り心地の良さ、居住性はもちろんだが、なんと言っても愛らしいスタイル。薄い鉄板でも強度を得るため入れられたボディのプレスラインや庇のついた丸形ヘッドライトの表情など、他車と明かに違うスタイルは今も昔も人気なのだ。
スバル360にはいくつかのバリエーションモデルが存在する。強化樹脂製だったルーフを外してホロにしたコンバーチブルやリヤクオーター部を可倒式にして荷物の出し入れを容易とした商用車のコマーシャル、排気量を450ccにまで拡大した登録車のスバル450などがある。
まだまだ庶民が乗用車を所有できる時代ではない高度経済成長期には、個人商店主などが商用バンを日頃の仕事に使い、休日にはファミリーカーにする例が多かった。軽自動車にも商用車ニーズは多く、スバルにも商用車が求められていた。そこでルーフを延長してバンボディとしたのがカスタム。1963年に発売されると一定の人気を獲得したため、モデル末期まで継続して生産された。
やはり商用車だからだろうか、乗用車であるセダンのように中古車となって人気を維持することは難しかったようだ。令和の現在、残存しているスバル360のほとんどがセダンで、商用車のカスタムはレア車と呼んで差し支えないほど数が少ない。
ところがレア車になると不思議なもので人気が高くなる。現在の中古車市場で同じような程度のセダンとカスタムがあれば、カスタムに高値が付くようだ。4月29日に開催された「関東工大クラシックカーフェスティバル」の会場には数台のスバル車が展示されていたが、珍しいカスタムが1台だけ展示されていた。
オーナーの櫻井崇雄さんは現在49歳。すでにこのカスタムには20年近く乗られているが、購入時はなんと事故車だった。ヤフオクに出品されていたもので、右側面を派手に凹ませていた。だが「カスタムだから」という理由で落札してしまう。というのも櫻井さんは過去に何台もバイクを復活させてきたり、AE86やS15シルビアを改造して楽しんできた。だから右側面を凹ませたカスタムを見ても「起こせる!」と考えたのだ。
友人に板金職人がいたことも落札の後押しとなったが、自宅と工場が若干離れた場所で土日にしか足を運べなかったため、友人に手伝ってもらっても3年の月日がかかった。ボディが仕上がってから、エンジンを自分でノーマルスペックのままオーバーホール。電装系を新しい部品で強化しつつ車検を取って路上復帰させたのだ。
若干ローダウンしているものの、基本的にはノーマルな内外装を維持している。希少なカスタムだから、派手なカスタムはしたくなかった。けれどエンジンには手を加えている。当初からガソリンの流れが良くなく何度か手直ししたもの、キャブレター本体にも問題があったようだ。オーバーホールしても本調子にならず、考えた末に口径などが異なるスバル360ヤングSの純正キャブレターを手に入れ組み直してみた。これで症状は改善されたが、まだ納得いかない。そこで吸気効率を上げるためエアクリーナーを加工してみたら、以前からは考えられないほど調子が良くなった。
小さなサイズやシンプルな構造のため、サブロク時代の軽自動車はオーナー自ら試行錯誤して手を加える楽しみ方ができることも魅力。また360ccの排気量で1974年までに登録された軽自動車には白い小判ナンバーがつく。これは今から中古新規登録しても同様で、時代を感じさせるところ。面白いのは種目の数字で乗用車は「88」、商用車は「66」と記されている。分類番号は現在だと8ナンバーは特種用途自動車だが、この時代の軽乗用車は8が与えられているのだ。