フランスから勲章! Mr.ル・マン寺田陽次郎氏がル・マン、ロータリーエンジンを語り尽くした

フランスから勲章を受章したミスター・ル・マンこと寺田陽次郎さん
フランスからフランス共和国 国家功労勲章 シュヴァリエの叙勲を受けたミスター・ル・マンこと寺田陽次郎さん。ル・マン24時間レース日本人最多出場記録29回を誇る寺田陽次郎さんに、勲章受章、ル・マンへの想い、ロータリーエンジンのことを訊いた。
TEXT:鈴木慎一(SUZUKI Shin-ichi)

叙勲は一通の手紙から

現在もジムに通い身体を鍛えている寺田さん。低酸素環境でのトレーニングもしているそうだ。

マツダ東京本社の会議室で待っていたのは、言わずと知れたミスター・ル・マン、寺田陽次郎さんだ。1947年生まれの寺田さんは現在76歳。レーシングカー、マツダ787Bのデモランも軽々とこなすだけあって、迫力も柔和な笑顔も現役時代と変わらない様子だ。

—まずは 国家功労勲章シュヴァリエ受章、おめでとうございます。
寺田さん:ありがとうございます。
—月並みですが、まずはご感想から。
寺田さん:初めて案内をいただいたときは、わけわかりませんでした(笑)。フランス大使館から一通の手紙が届きました。それで、誰かフランスで交通違反でもしたのかな(笑)って思っていたら、「違いますよ、叙勲のフランス大統領から 国家功労勲章シュヴァリエの叙勲の案内です」っていうから、ええ!!って絶句しました。

—ル・マン24時間最多出場の活躍が認められたってことですか?
寺田さん:手紙には理由は書いてないんです。「このたび、フランス大統領から 国家功労勲章が叙勲されます」ってだけです。もうひとつはサポート・アワー・キッズといって、東北で震災を受けた被災児童の自立支援を行なうNPOでの活動を10年近く続けた(2013−2019年)ことを評価していただいたのかもしれません。その活動でフランス大使館とつながりがあります。ル・マン24時間レースに毎年10名の子ども達を連れていっているんです。その日本の窓口がフランス大使館なのです。社会貢献をしていることと、フランスと日本の自動車文化の架け橋をしている。29回ル・マンに出場していることもあるかもしれません。主催者(ACO)の名誉理事もしていて、文化的な架け橋というのを評価してくださったんじゃないかと思いますね。

787BはCX-60より乗りやすい!

寺田陽次郎さんは、2006年にスピリット・オブ・ル・マンを日本人第一号で受章している。

—今年、ル・マン100周年でした。残念ながらトヨタは勝てませんでしたが、すごく盛り上がりましたね。寺田さんは、100周年記念でマツダ787Bをデモランされました。デモランは久しぶり……じゃないんですよね?
寺田さん:昨年のル・マンクラシックでも走りましたから、一年ぶりですね。

マツダが1991年にル・マン24時間を制した伝説のマシン、787B

—787Bは、もう寺田さんの手足のようなものですか?
寺田さん:787Bは開発からずっとやっているから、あれに乗るのが一番ラクですよ。居心地がいい。
—でもレーシングカーだからコックピット、狭くないですか?
寺田さん:いや、787Bはレーシングカーにしては広いですよ。一応、レギュレーション上、二人乗りだし。居住性は一番いいんじゃないですか、レースカーとしては。

—787Bはドライブして楽しいクルマですか?
寺田さん:楽しいですよ。いい音もするし、乗っていて楽しい。
—またレースしたくなりますか?
寺田さん:ガチガチのレースはシンドイかもしれないですが、デモンストレーションは楽しいですよね。乗りたいクルマだもん。
—みんな喜んでくれますしね。
寺田さん:そうです、そうです。手前味噌かもしれませんが、一番声援が大きいですね。一番拍手が多いよ。ロータリーサウンドで音が違うというのが一番ですけど。だって、オフィシャルが泣いてるもん。うれし泣きしているんだもん。昨年久しぶりに787Bを、それなりのスピードで走らせましたが、アレ見ると、こちらももらい泣きしちゃいますね。走らせてよかったなぁって思う。観客もすごい声援でした。

787BのエンジンはR26B型2616cc4ローターロータリーだ。


—ちょっと特別なサウンドですよね。
寺田さん:そうですね。ロータリー独特のいい音です。787Bっていうのは、ものすごく音のチューニングをしたクルマですから。僕たち、あの年(1991年)は優勝をものすごく意識していました。僕が初めてル・マンへ行ったとき(1974年)に、マトラの音で痺れたわけですよ。あの当時マトラはV12エンジンで常用13000rpmくらい。ものすごくいい音がした。マトラ・ミュージックとかマトラ・サウンドって言われていました。だからレーシングカーが人に感動とか感銘を与えられるのは、速さと美しさと音と匂いと……それくらいあるじゃないですか。そのうちの音はなんとかいい音にしたかった。それまでロータリーエンジンの音はあまりよくない。全然よくない。うるさいだけ。それを綺麗な音にしようということで、音のチューニングはものすごく心がけた。だからフランス人に「マトラの再来」だって言わせようと思っていた。あのクルマはマツダの財産ですよね。
—寺田さんは、ル・マンだけじゃなくてスパやデイトナの24時間レースも走っています。でもル・マンは特別ですか?
寺田さん:ですね。一番勝ちにくいレース、難しいレースですよね。

—寺田さんといえば、ミスター・ル・マンであると同時に、やはりロータリーの印象が強いです。今年ロータリーエンジン搭載のクルマ(MX-30)が久しぶりにマツダから出ます。十数年ぶりにロータリーが復活するってことですが、寺田さんご自身はどう感じしていらっしゃいますか?
寺田さん:原動力のロータリーとして早く出てほしいです(笑)。なぁにが発電なんだ!(爆笑)ちゃんと動くんだからあれで、走りたいですよね。ロータリーでしょ。ほんとそう思います。なぁにを発電機だなんてね。ねぇ。

—787Bのデモランに話を戻します。787Bは乗り慣れたマシンだから手足のように動かせるっておっしゃいました。とはいえ、レーシングカーじゃないですか。目をつぶっては運転できないでしょうが、どこになにがあって、どこまでギリギリ寄せられる、みたいなものは感覚的には消えないものですか?
寺田さん:うん。全然消えない。いまね、僕、日常の足でCX-60に乗っているんですよ。CX-60のほうが気を遣うね。
—えーっ!
寺田さん:787Bの方が全然気を遣わないね。サーキットと街中ということもあるかもしれませんよ。でも心構えとして787Bに乗る方が気軽に乗れる。CX-60はまだ慣れないからね。でも、CX-60はいいクルマですよ。

左が787B、右がRX-7(254)、センターが737C


—787B以外でもたくさんのマシンに乗って、ル・マンに出場なさっています。一番思い出深いのは787Bですか?
寺田さん:二台ありますね。82年に初めて完走したRX-7(254)と787Bですね。それが僕のル・マンの29回のなかで一番大きなふたつの物語。一番思い出の深いクルマ。全部一台一台、辿っていけば、思い出はいっぱいありますが、この2台ですね。とりわけ787Bはまだ生きているクルマですから。いいクルマ。本当に乗りやすい。あのとき3台で9人のドライバーがいました。9人のドライバーが乗りやすいクルマを作らないと優勝できない。どのドライバーが乗っても平均的に速いタイムで走れるクルマを開発しなきゃいけないと思っていました。だから787Bは誰が乗っても乗りやすい。すっごく乗りやすいクルマですよ。
—とはいえ、当時のマシンはヘッドライトが現代よりかなり暗かったでしょ。夜間走行は怖くないんですか?
寺田さん:走れるんですよ。他人が走っているのをみると別ですが、自分が乗ったら走れるんですよ。でも、頭の配線を多少ね、緩めないとだめですよ(笑)。ねじはやっぱり緩めないとダメですよ。4本くらいねじを緩めないと走れないですよ(笑)。当時、ヘッドライトは400Wあったらから、ちゃんと見えましたよ。見えなきゃ走れないですよ。

—最近乗ったクルマで印象に残ったクルマはありますか?
寺田さん:CX-60はいいクルマですよ。メルセデス・ベンツのS600もよかったな。最近はスポーツカーには乗ってないな。僕、街の中はなんでもいいんですよ。クルマでいい格好しようとも思わないし。世界で一番高いクルマに乗ってきましたからね。一番高くて一番安全なクルマに乗ってきましたからね。
—BEV(電気自動車)は?
寺田さん:いまのところ、あまり好きじゃないですね。内燃機関も、広島弁でいうと、まだしゃぶりつくしてないじゃないですか。電気もそうですが、もうちょっと内燃機関をしゃぶりつくしていいんじゃないですかね。その方がたぶん、世の中に供給するにも安いんじゃないですか。
—水素もありますしね。この前のル・マンでも水素エンジンの話がありました。
寺田さん:内燃機関で代替燃料を考えればいいんじゃないですか。で、うち(マツダ)には雑食性のエンジン(ロータリーエンジン)もあるわけだから。ワハハ。何喰わせて回るエンジンがあるんですから(笑)。
—ありがとうございました。

寺田陽次郎さん プロフィール
1947年生まれ 兵庫県神戸市出身1965年レースデビュー、1969年にマツダオート東京入社、社員ドライバーとして多くのレースに参加する傍ら、マツダスポーツキット開発にも尽力。1972年より東洋工業(現マツダ)契約ドライバーとなり、市販車両の開発にも寄与。1974年シグマMC74でルマン24時間レースに初出場。1979年のRX-7 252iを経て1982年自身4回目のルマン24時間レースで初完走(RX-7 254)。以後4回のクラス優勝を含め、ルマンでの入賞多数。自己最高位は1995年の総合7位。2008年までルマン27年連続出場と29回の出場は現役日本人ドライバー最多記録(2021年現在)。その他、株式会社オートエクゼ代表取締役社長、ACO(フランス西部自動車クラブ) 理事、Support Our Kids理事、NPO法人次代の創造工房 会長、観光庁スポーツ観光マイスターなどを歴任。自らのレーシングチーム である有限会社テラモスでのモータースポーツ活動など現役で幅広く活躍中。

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著者プロフィール

鈴木慎一 近影

鈴木慎一

Motor-Fan.jp 統括編集長神奈川県横須賀市出身 早稲田大学法学部卒業後、出版社に入社。…