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風間深志 1980年にアフリカ大陸の最高峰、キリマンジャロをオートバイで登ったことを皮切りに二輪冒険家として数々の冒険に挑戦。82年に日本人ライダー初のパリ・ダカ出場と完走を果たし、87年に北極点、92年に南極点にそれぞれ到達した。88年から野外遊びを通じて自然への理解を深めることを目的とした「地球元気村」を主宰(のちにNPO法人化)。2013年より、自身発案によるツーリング・ラリーイベント「SSTR」を毎年開催。1万人以上が参加する本邦屈指の人気を誇る二輪イベント。1950年山梨県山梨市生まれ。
ダカール・ラリーへの再挑戦はバイクではもう厳しい?
風間さんはこれまで2度、オートバイでダカール・ラリーに出場されているんですよね?
風間:そう。最初が1982年のパリ・ダカールラリー。次が2004年だったんですけど、事故に遭って大怪我を負ってしまってね。左足はいまも思うように動かせないんですよ。
今回のパリダカ挑戦はそのリベンジということですか?
風間:いや、じつは2017年と2018年にも息子の晋之介とダカール・ラリーを走るつもりで準備を進めていたんです。だけど、足の状態が芳しくなくて選手としての出場は途中で断念せざるを得なかった。結局、僕が監督して息子が走るということで一応現地には行けたものの、ずっと悔しい気持ちが心の中でくすぶっていたんです。ただ、今の自分の年齢や体力、足の状態を冷静に考えると、二輪で出場を目指すのは厳しいと認めるしかない。
それで四輪部門の出場を目指しているんですね。ラリーの世界では二輪ライダーから四輪ドライバーへの移行はちょくちょく耳にしますが。
風間:ただ、僕が注目したのはSSV(サイド・バイ・サイド・ビークル)というクラスです。これはオフロード走行用に設計された市販四輪バギーで走るクラスなのですが、ここ数年で急速に出場台数が増えているんです。僕が現地へ行った2017~18年のエントリーは10台、2022年には100台以上がエントリーしています。
それはどうしてなのですか?
風間:一番大きな理由はコストですね。オフロード走行に特化した設計になっているため、従来の四輪部門、つまり市販の四輪駆動車を改造して出場するよりも圧倒的に安くマシンを製作できるんです。軽量コンパクトな車体は公道走行を想定していないため不要な装備品がないですし、一般的な四輪駆動車に比べ車体価格も安価です。そうした優れた資質が多くのプライベーターの支持を得たのだと思います。すでにSSVの有力メーカーはファクトリーチームでの参戦も行なっています。
ライセンス取得のために72歳にして初の四輪レースに挑む!
風間さんはこれまで四輪でモータースポーツをやったことはあるのでしょうか?
風間:いや、まったく初めて。でも、ダカール・ラリーのSSV部門に出場するには「国際Cライセンス」が必要なんです。それにはまず国内Bライセンスを取得し、サーキットレースやジムカーナ競技に継続的に参戦するなどして実績を作り、Aライセンスを取らないといけない。色々な人に協力してもらいながらチャレンジを進めているところです。
ダカール・ラリーに出る前から冒険が始まっていますね(笑)
風間:発見の連続ですよ。とりあえず富士スピードウェイでスポーツ走行をするためにFISCOラインセンスを取得したんです。一緒に受講した約20人のなかで僕がダントツ最年長なのは当たり前として、女性やゴリゴリの競技志向ではないドライバーも多いことに驚きました。フレンドリーにスポーツ走行を楽しむ時代が到来しているんだなと関心すると同時に、少しリラックスできた。じつは、この年齢になって改めてサーキットを走ることに気負った部分もあったのですが、もっと日常的な楽しみとしてやってもいいんだなと。
人生初の四輪レースにも出場したとお聞きしました。
風間:2023年5月13日、富士チャンピオンレース第二戦のデミオレースです。知人から僕のような障がい者でも運転できるように改造されたレースカーを借りて出場しました。このマシンはアクセルは手、ブレーキは足で操作できるようになっていて、トランスミッションはもちろんオートマチック。エンジンはECUをチューンしてある以外は1500㏄のノーマルのまま。あとはブレーキ、足回り、タイヤをレース向けに強化してある程度です。
四輪用レーシングスーツも初めて手に入れたとか。
風間:そう。驚いたのが装備品の規定が二輪に比べてすごく厳密なこと。ヘルメットやレーシングスーツ、シューズ、グローブはともかく、アンダーウェアやバラクラバ(ヘルメット下に被る目出し帽)、ソックスまで、JAF/FIAの基準に合致した耐火炎のものを着用しなければレースに出場できないんですね。この辺りは二輪のモトクロスやラリーの方がはるかにルーズです。
レースは大雨! 四輪は転倒しないからギリギリを攻められる?
予想外のハプニングで予選レースを走れなかったそうで。
風間:お恥ずかしいですが、レースの規定を理解しきれていなかったこちらのミスで予選レースを走ることができなかったんです。競技長に嘆願書を提出して最後方グリッドから決勝レースを走ることになってしまって。
(写真を見ながら)うわ、凄い大雨。いきなり過酷なコンディションだったんですね。
風間:チームの仲間からはとりあえず1周2分30秒を目標に走れと言われていたんです。本来なら練習の段階でそのタイムをクリアしてから本番に望まなきゃいけないところなんですけど、色々と事情があってそれが叶わなかった。だから僕なりに必死に攻めました。メインストレートでは時速180㎞以上出ませんけどね。何とか目標タイムはクリアできましたけど、レース自体は29台中29位。まあこれから勉強です。
ダカール・ラリー出場のためのステップとしてサーキットレースに挑戦したわけですけど、面白さもありましたか?
風間:面白い、もの凄く面白い。ハマりますよ。例えばスポーツ走行でも攻めすぎてコーナーで飛び出すことがあるんですけど、二輪でそんなことをしたら即病院送りですからね。四輪は転倒がないので、ギリギリを見極めて走れる面白さがあるなと感じました。若い頃は四輪のそういう部分が物足りなくて不安定なオートバイに乗っていたんですけどね(笑)
ずっとオフロード一筋の方だと思っていたので意外です。
風間:いやいや、昔からMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)に関わっているから、二輪のロードレースにはそれなりに明るかったですけどね。あと、20代のときは自分でロードレースをやろうと思ったこともあります。
中古のヤマハ TZ350で。で、あるとき練習走行でサーキットを走っていたらやけにエンジンが調子よく回ってね。あれ?なんて思っていたらヘアピンカーブの進入でタイヤがロックしてマシンが止まってしまったんです。レッカーされてピットへ戻ってきて調べたら自分がミッションオイルを入れ忘れていた(笑)。ストレートで焼き付かなくて良かったと、その時はさすがに青くなりましたよ。
それがきっかけでロードレースをやることは金輪際ないなと思っていたのですが、まさかこの歳で、しかも四輪でサーキットを走ることになるとは思いもしませんでした。
世界的な二輪冒険家から「四輪冒険家」への挑戦。その物語の幕はいま上がったばかり。すでにカワサキ製のSSVも入手し、オフロードコースでの本格的なトレーニングもスタートするという。今後も定期的にレポートをお届けする予定なのでお楽しみに。