DIYでエンジンOH&ドライサンプ・ギアトレイン化! 見て乗ってイジッて楽しむハコスカGT-R! 【第19回まつどクラシックカーフェスティバル2023】

10月7,8日に開催された「まつどクラシックカーフェスティバル」にはGT-Rオーナーズクラブから多くのハコスカGT-Rが参加していた。展示場の一角をGT-Rばかりが並ぶ光景は圧巻だったわけだが、その中に青いカムカバーを見せるようボンネットを開いて展示されていた1台に目が止まった。相当にチューニングしてありそうな4ドアを紹介しよう。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1970年式日産スカイライン2000GT-R。

ハコスカGT-Rをこれまで何台も取材してきた。数多くのオーナーが口を揃えていうことに「今までいくらかかったか考えたくもない」というセリフがある。確かに古いクルマだからトラブルと無縁でいられるわけもないが、ハコスカGT-Rの場合は壊れたから修理することばかりを指すわけでもないようだ。というのもハコスカGT-Rは日産がワークス体制でツーリングカーレースに参戦し、50勝以上という輝かしいヒストリーを生み出した。ここにお金のかかる理由があるようだ。

リヤウインドーに「GT-Rオーナーズクラブ」のステッカーが貼ってある。

当時のレースオプションパーツはカタログとして印刷され、マニアなら原本やコピーを所持していることが多い。そしてこれらのパーツは以前なら手に入れることが不可能ではなかった。もちろん現在では絶版なうえに希少品なので大変貴重なコレクターズアイテムと化しているが、古くからGT-Rに乗る人なら今ほど高騰していない時期に揃えることができただろう。すると自らの愛車にレースオプションパーツを組み込み、少しでもワークスカーに近づけたいと思うはずだ。これがまずお金のかかる理由のひとつ。

スポークの間からAPレーシングのブレーキが見える!

何もレースオプションパーツだけがハコスカGT-Rのチューニングメニューではない。その当時から人気のモデルなので数多くの社外パーツが開発・発売されてきた。直列6気筒DOHCであるS20型エンジンをさらに刺激的にするパーツたちは、速さを追求するマニアにとり欠かせない存在だった。さらには足回りやブレーキなどにも社外パーツがリリースされてきた。だからお金のかけようと思えばいくらでもかけられるくらい豊富なチューニングメニューが存在する。

青いカムカバーやワークスマシンのように切り欠きを設けたプラグホールが特徴的。

「気がついたらフェラーリが買えるくらいかかっていた」というセリフを聞くことも多かったし、中には実際にフェラーリへ乗り換えたオーナーも存在した。ハコスカGT-Rに乗ってみるとわかるのだが、確かにこのエンジンには不思議な魅力があり乗り続けたりお金をかけたくなる気持ちになるのは不思議ではない。しかも手をかければかけるほど良くなるのだから、ある意味無限地獄のようなもの。すると中にはプロに頼らず自分でチューニングしてみたくなる人も現れる。今回紹介する赤いセダンGT-Rのオーナー、森田均さんがまさに好例だ。

バッテリー位置に巨大なオイルポンプを増設。

森田さんがこのGT-Rを手に入れたのは実に昭和52年のこと。西暦でいえば1977年であり、70年式GT-Rを7年落ちで手に入れている。購入したのはいわゆる普通の中古車センターで、今のようにインターネットオークションなどなく、専門店ですら少なかった。70年代後半は排出ガス規制が年々強化されていった時代であり、規制が適用されるより前のモデルに人気が集まっていった時代。だからハコスカGT-Rも安い買い物ではなかったはずだが、他車では得られないエンジンのサウンドに魅せられて手に入れた。

ワークスマシンのようなインダクションボックスを3連キャブに装着。

購入後はクラブに所属してGT-Rオーナー同士の交流も深まる。すると不調になったエンジンを自分で直そうという人も現れる。森田さんもそんな一人で、DIY派のオーナーと情報交換をするうちに不可能ではないと気付かされた。そこで複雑な機構のS20型エンジンを自らオーバーホールしてしまう。

オーナー自らエンジンのオーバーホールやチューニングを行った。

もちろん森田さんも専門店の門を叩いている。プロにしかないノウハウや技術を頼ることもあるわけだが、そんな中に栃木県のアールファクトリーが存在した。アールファクトリーは現在、国産旧車を扱う専門店だが以前はイタリアン・スーパーカーの12気筒エンジンをオーバーホールしてきた経歴がある。いわばエンジンチューンのスペシャリストだったので、S20型についても独自のノウハウがありオリジナルパーツを開発してきてもいる。S20用オリジナルパーツの中でも圧巻なのがドライサンプ化するキットや、カムシャフト駆動にチェーンではなくギアを複数使うギアトレインキットだ。

バッテリーはトランクへ移設。変更した燃料ポンプを右に配置。

森田さんはそれらのパーツを見て「自分で組んでみよう」と考えた。ドライサンプはオイルパンをなくしてエンジン搭載位置を下げることが可能になる。ギアトレインはチェーンのような曖昧さがなくなりストレートに動弁機構を作動させられる。これらを組み合わせれば理想的なS20エンジンになるはず。だが、組み込むには高度な技術が必要で、特にギアトレインは重なりあうギアの精度がものを言う。コンマ単位での煮詰めが必要になるのだが、果敢にも自らオーバーホールしたエンジンにさらなる手間をかけたのだ。

セダンとハードトップはインパネのデザインが異なる。
パネルを自作してセンターへ追加メーターを並べた。

ドライサンプ&ギアトレイン化に際して、エンジンを分解するのだからとハイコンプピストンを組み込み強化バルブ&スプリングへ変更。チタン製等長エキゾーストマニホールドやマフラー、さらには強化クラッチなどを組み込んでいる。ここまで来るとクルマ趣味も道楽の域を超えていると表現してもいいだろう。運転を楽しむだけでなくメカニズムまで楽しんでしまうのだから恐れ入るしかない。しかも森田さん、仲間のエンジンまで分解整備してしまうと言うから、技術的に皆さんから信用されているのだ。もちろん自分でチューニングするのはエンジンだけでなく足回りや室内にもおよぶ。

フロントシートは2脚ともレカロに変更している。
70年代当時の貴重なボカシ入りガラス。

古いハコスカGT-Rを46年間も維持し続けているのだから、もちろんトラブルにも遭う。最近で言えばメインヒューズが接触不良を起こしたため修理しつつ、点火系にMDIを装着して強化した。さらに2輪も大好きだそうで同じような年式のホンダCB750FourやCB550も所有されている。もちろん2輪も自分でメンテナンスからオーバーホールもされているとのことで、筋金入りのマニアと言えそうだ。

昭和52年から乗り続けるため2桁ナンバーがついている。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…