ハンドリングに惚れて3台も買ったオーナーが行き着いたNSX-R! 【オールドカー倶楽部東京・狭山ミーティング】

真夏の日差しに照らされた日曜日。圏央道・狭山パーキングに続々と集まる旧車たち。ところが少々場違いな1990年代のネオクラシックカーが現れた。目に眩しいイエローのボディカラーが鮮烈なホンダNSX-R。クルマから降りてきたのは根っからの旧車好きだった。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
2005年式ホンダNSX-R。

ホンダからNSXが発売されたのは1990年のこと。当時はバブル景気に浮かれていた時代で、NSXは発売前から注文が殺到して納車まで長い時間待たされる異例の事態になる。投資目的で買われるケースも多く、さらにATの設定があったことから高価格スポーツカーとしては非常に良く売れた。ところが翌年にバブル景気が崩壊して投資目的で買われた多くのNSXが市場に溢れることになる。新車価格が800万円(ATは860万円)だったものの、みるみる中古車相場は崩れていった。

最終モデルを手に入れ18年間維持している。

そんな過去が嘘のように現在では価格が高騰している初代NSXだが、世の流行り廃りと関係なくNSXを維持しているオーナーは数多い。当時、3リッタークラスの自然吸気エンジンとしてトップクラスの出力を誇ったV6DOHC24バルブVTECエンジンは、ターボエンジンでは得られない高回転域での伸びやかかつ俊敏なレスポンスが味わえた。当初こそ口の悪い向きからミッドシップレイアウトなのに横置きだったことが揶揄されたが、運転してしまえば高度なハンドリングや優れた乗り心地に口を閉ざしてしまうほど楽しいクルマ。だからこそ、ファンになるとNSXから離れがたくなってしまうようだ。

エンドレスでブレーキローターを焼き入れ加工している。

オールドカー倶楽部東京のメンバーが日曜日の午前中に集まる圏央道・狭山パーキング。すでに日も高くなってきた頃、意外なクルマが現れた。それがこのNSX-Rで、駐車場は1960年代から70年代のモデルがメインだったからボディカラーのせいもあって非常に目立った。

そこでオーナーを探すと、実は10数年前にフルレストアしたトヨタスポーツ800を取材されてもらったことのある小林清利さんがオーナーだった。現在61歳になる小林さんは工務店を営む経営者であり、その時は見事なレストアぶりに「さすが経営者だな」と思ったもの。

エンジンとミッションは過去にオーバーホールしてある。

ところが小林さん、とんでもないクルマ好き・運転好きでヨタハチに止まることはなかった。いすゞ117クーペを買い足すと旧車だけにとどまらず458スペチアーレやF8トリブートといったフェラーリ、マクラーレンなどまで手に入れた。根っからのスポーツカー好きであることがうかがえるエピソードだが、小林さんが心底から愛しているのが実はNSXなのだ。

オリジナルを維持しているインテリア。
走行距離は7万キロ台だが、その多くがサーキットでのもの。
オプションだったフルオートエアコンやBOSEサウンドシステムを装備。
運転席の座面に激しく走ってきた痕跡が残る。

初めて買ったNSXは1991年に新車でレッドのボディカラーを選んでいる。これでNSXの楽しさに夢中となってしまい、1992年にピュアスポーツモデルであるタイプRが追加されると1994年にタイプRへ乗り換えることにした。ベースモデルから120kgも軽量化されたボディ、強化されたサスペンションやアライメントの見直しなどでサーキット走行を素の状態で楽しめるタイプRに小林さんはさらに夢中となる。もちろんサーキット走行の機会があれば足繁く通い、プロドライバーの指導を受けてテクニックに磨きをかけてきた。

何度も参加したNSX fiestaのステッカー。
もう貼る場所がわずかしか残っていないほどオーナーズミーティングに参加し続けてきた。

2001年にNSXはマイナーチェンジを受けて、スタイリングの特徴でもあったリトラクタブルヘッドライトを廃止。固定式ヘッドライトを採用することとなる。する翌年、1992年から3年間だけ販売されたタイプRが復活することになる。この時からタイプRではなくNSX-Rへ名を変えたわけだが、ピュアスポーツモデルとしての性格はさらに進化。

ダクト付きカーボンボンネットやフィン付きアンダーカバー、ディフューザーなどの装備やリヤスポイラー形状の見直しなどによりマイナスリフト空気性能とダウンフォースを得ることまで実現。よりサーキット向けのモデルへ進化した。すると小林さんも指をくわえて見ているだけでは済まない。2005年に3台目となるNSX-Rを新車でオーダーしたのだ。

リトラクタブルから固定式ヘッドライトに変更された後の最終モデル。

何度もサーキットを走るうちに公道を走る機会はどんどん減っていったが、真夏日になったこの日はエアコンのない旧車ではなくオートエアコンを装備するNSX-Rで来られたというわけだ。すでに18年間所有しているが、走行距離は7万キロ台と伸びていない。ほとんどサーキット走行専用車に近いからだが、高回転走行それだけ続ければ当然クルマは傷む。

そこで定期的な部品交換を施し、エンジンとミッションはすでにオーバーホールをしてある。樹脂製の固定式ヘッドライトも新品へ交換するなど、機能だけでなくルックスの維持にも労力を惜しまない。NSX-Rらしく維持しているわけで、クルマにとってもオーナーにとっても幸せな関係と呼べそうだ。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…