23年間寝かせていた独身時代の愛車を復活させた! 退職後に激レアなセリカ・カムリを楽しむ! 【2023アリオ上尾クリスマスファイナルクラシックカーミーティング】

トヨタは兄弟車戦略を得意とするだけでなく、派生車種を生み出すことにも長けていた。コロナからコロナマークⅡが誕生したことは有名だが、カムリがセリカから派生したことを覚えているだろうか。激レアなセリカカムリを発見したので紹介しよう。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)

2023アリオ上尾クリスマスファイナルクラシックカーミーティングが開催された埼玉県は、実は国産旧車が数多く生息している地域の一つでもある。1軒の敷地が広いからクルマを保管しやすく、海がないためにサビによる侵食が比較的少ないことなどがその理由に挙げられるだろう。だから埼玉県で開催される旧車イベントには、時に激レアな車種が見つかることがある。例えば以前に紹介したダイハツ・フェローMAX初代コロナマークⅡなどはその筆頭だろう。

1980年式トヨタ・セリカ・カムリ2000GT。

ところが今回、レア度ではさらに上をいくかもしれない悶絶級の希少車を発見してしまった。それがこのセリカ・カムリ。カムリとしての初代モデルなのだが、レアなことには理由がある。セリカ・カムリが発売されたのは1980年1月のことだが、なんと2年後の1982年3月には2代目へとフルモデルチェンジしてしまっているからなのだ。なぜ短期にモデルチェンジしてしまったかといえば、一言でいえば販売店向けの車種を増やしたかったから。当時のカローラ店には上級セダンの取り扱いがなく、販売実績を上げるために新たな車種が必要だった。そこで新たにビスタとカムリの兄弟車を開発中だったが、完成するまでには時間が必要。そこでセリカのセダン版を急造して新型車を用意したのだ。

A60系セリカ用アルミホイールを純正流用して15インチにサイズアップ。

新型車を追加したとはいえ、新開発した部分は少ない。というのもセリカには兄弟車としてカリーナが存在したから、カリーナをベースに新たなボディを与えれば良い。フロントセクションは彫りの深い立体的な造形としているが、リヤはほぼカリーナと同じデザインなのはこのためだ。エンジンやトランスミッションなどは既存のセリカ/カリーナとほぼ同じラインナップとして1.6リッターOHVから1.8リッターOHV、さらに2リッターSOHCと同DOHCから選べた。

Cピラーにはセリカのエンブレムが採用されていた。

ところが手が込んだことをしていたのが足回り。セリカ/カリーナはフロントがストラットでリヤに4リンク式のリジッドアクスルを用いていた。またブレーキもGT系を除いてフロントがディスク、リヤがドラムを採用する。ところがセリカ・カムリではリヤにセミトレーリングアーム式サスペンションとディスクブレーキが採用された。セリカGT系には以前からリヤ・ディスクブレーキが採用されていたが、高級感を演出するための新基軸だったのだろう。面白いことにセリカ・カムリ発売後の1980年8月に実施されたマイナーチェンジで、セリカGT系にもセリカ・カムリと同じリヤサスペンションが与えられている。

トランクにはセリカが小さくカムリが大きく描かれるエンブレム。
フロントグリルには赤文字で誇らしげにDOHCをアピールするエンブレム。

販売期間が短かったため、当時からそれほど多く売れたわけではないセリカ・カムリ。1981年にセリカ/カリーナがモデルチェンジした後も継続販売されたが、1982年に新たな販売店であるビスタ店をオープンさせつつ以前から開発が続いていた新型ビスタ発売と同時にモデルチェンジして単にカムリとなる。セリカ・カムリは後輪駆動のFRモデルだったが、2代目となるカムリ/ビスタは前輪駆動のFFモデルへ大いに変わった。そんなこともあり、セリカ・カムリは数を減らし続け、いつしか希少車の仲間入りを果たしたというわけだ。

ステアリングホイールをナルディに変更しただけのインテリア。

長いこと国産旧車のイベントの多くで参加規定が1974年以前のモデルを対象にしていた。排出ガス規制より後のモデルはイベントなどの対象として認められてなく、さらにいえば’80年代中盤以降にスポーティなモデルが復活するまでの期間に作られたモデルは、セリカ・カムリだけなく多くの車種で残存数が少ない。ところがセリカ・カムリは生き残っていた。このクルマのオーナーである天沼好弘さんは現在63歳。若い頃にダルマ・セリカに乗っていたが、その後は日産車に乗り換えていた。だが、日産車に乗れば乗るほどセリカの思い出が甦る。そう思い始めたのが平成初期の頃で、当時すでにエアコンのない初代セリカでは何かと不都合。そこで思いついたのがセリカ・カムリの存在だった。

オプションのエアコンが装着されているが現在は不動。

セリカ・カムリにはDOHCエンジン搭載のGTが存在する。しかも後輪駆動でスポーティなはず。そこで中古車販売をされていた弟さんに頼んでセリカ・カムリを探してもらうことにする。すると近所に新車から乗っている人がいる。弟さんが直接交渉して買い取ることになった。幸運にも1オーナー車を入手することができたのだ。それが1991年のことでしばらく後輪駆動のセリカ・カムリを楽しんでいた天沼さんだが、結婚と同時に実家を出ることになる。そこでセリカ・カムリは実家の納屋に入れたまま新居へ移ることにされた。

純正シートにはフロントだけ座布団を敷いて座面を保護している。

いずれは乗るつもりだったが、気がつけば23年もの歳月が流れていた。その間、セリカ・カムリは邪魔だからと納屋の軒先へ移動させられ、トランク部分が雨晒しになっていた。仕事を定年退職された天沼さんは意を決して実家にあるセリカ・カムリを引き取り復活させることにした。とはいえトランク周辺が腐食していたので、板金塗装工場での手直しが必要。さらには燃料タンクが腐食して使い物にならず、91カローラ用を移植することに。さらにディストリビューターやオルタネーターなどの電装部品を新品に交換するなどして復活した。

2リッター直列4気筒DOHCの18R-GEU型エンジン。

これらの復活作業はトヨタの旧車に強い専門店に依頼している。そのためだろうか、それとも走行距離がいまだに6万キロ台だからだろうか、復活したセリカ・カムリは絶好調。エンジン音がとても静かなうえ、走りもスムーズ。同じような年代のトヨタ車仲間もできて、今では旧車のある生活を存分に楽しまれている。置く場所さえあれば、このような趣味の送り方もできるのだ。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…