さらば“ライトニング”ケンジロー! 日本ラリー界の巨星、篠塚建次郎逝く

パリ・ダカールラリーにおける篠塚建次郎氏(Photo:Dakar Rally)
2024年3月18日、WRC(世界ラリー選手権)および“パリダカ”の通称で知られたラリーレイド、パリ・ダカールラリー(現・ダカールラリー)の双方で日本人初の総合優勝を果たし、2022年に日本自動車殿堂入りされた日本ラリー界のレジェンド・ドライバー、篠塚建次郎氏がすい臓がんにより逝去された。享年75歳。

三菱パジェロを駆り、パリ・ダカールラリーで日本人初の総合優勝を果たした篠塚建次郎氏(Photo:三菱自動車)

篠塚氏は1948年、東京都大田区生まれ。東海大学でラリー競技を開始、1971年に三菱自動車に入社し社員ドライバーとしてラリー競技に参戦するや、同年から全日本ラリー選手権で2連覇を飾り1974年には海外ラリーに進出。海外ではそのアグレッシブな走りのスタイルから“ライトニング(稲妻)”ケンジローの異名を奉られた。

1989年のWRC世界ラリー選手権に参戦した三菱ギャランVR-4(篠塚建次郎/ジョン・メドウズ組)(Photo:AUTOSPORT web)

1986年にはパリ・ダカールラリーに初出場し、パジェロで参戦を続ける一方、1991年にはギャランVR-4を駆って参戦したWRCのアイボリーコースト・ラリーにおいて日本人ドライバー初のWRC総合優勝。翌年の同ラリーも勝利して大会2連覇を達成した。パリ・ダカールラリーにおいては初参戦から12年目の1997年に念願の総合優勝を果たし、こちらでも日本人ドライバー初となる快挙を成し遂げた。

2005年までは日産・ワークスチームの一員としてパリダカに参戦(Photo:日産グローバル)

2002年を最後に三菱を離れ、2003~05年は日産ワークス・チームの一員としてパリ・ダカールラリーに参戦、プライベーターとなってからも2007年まで日産車で同ラリーに挑み続けた。同ラリーが情勢不安の影響でアフリカを離れてからはAXCRアジアクロスカントリーラリーに参戦してクラス優勝を飾るなどしたが、2018年にモナコからセネガルの首都ダカールを目指すアフリカ・エコレースに参戦、11年ぶりにアフリカの大地へ帰還。70歳にしてクラス2位/総合34位で完走を果たした。

篠塚氏は2025年のアフリカ・エコレース参戦に向けて準備を進めていたが、残念ながらその夢を果たせぬまま帰らぬ人となってしまった。篠塚建次郎氏のご冥福をお祈りいたします。

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