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イタリア人デザイナーによるお洒落なオープンカー誕生
1965(昭和40)年3月29日、ダイハツがオープンカー「コンパーノ・スパイダー」を発表。1964年にデビューしたダイハツ初の小型乗用車「コンパーノ・ベルリーナ」のオープンカーで、イタリア人デザイナーによるイタリアン雰囲気の流麗なスタイリングが大きな注目を集めた。
ベルリーナで乗用車市場に参入したダイハツ
第二次世界大戦中、および戦後に3輪トラックで成功を収めたダイハツの乗用車への参入は、1963年の「コンパーノ・バン&ワゴン」の商用車から始まった。当時はまだマイカー時代は到来しておらず、自営業者の商用車が売れ筋だった。
満を持して登場した小型乗用車は、翌年1964年に登場した「コンパーノ・ベルリーナ」。デザインは、フェラーリやアルファロメオなど数々の名車を手がけていたイタリア人デザイナー、アルフレッド・ヴィニアーレに依頼。当時アメ車風デザインのクルマが多い中、お洒落なイタ車風のベルリーナは、大きな注目を集めた。
パワートレインは、最高出力41psを発生する0.8L直4 OHVエンジンと4速MTの組み合わせで、FRの軽快な走りを実現したベルリーナは、好調な販売でスタートを切った。
ところが、2年後の1966年、日産自動車「サニー」とトヨタ「カローラ」が登場し、アッ!という間に小型車市場を席巻したため、ベルリーナの人気は減速してしまった。
ちなみに、コンパーノ・ベルリーナのスタンダードの価格は、49.8万円。サニー41.0万円、カローラ43.2万円なので10%ほど高額だった。
ベルリーナのルーフを取り除いてオープン化したスパイダー
コンパーノ・スパイダーは、ベルリーナのルーフを取り去り、収納可能なソフトトップを持った4人乗りのオープンスポーツカーに仕立てられた。
スポーティモデルという位置づけから、排気量を0.8Lから1.0Lに拡大した直4 OHCエンジンへ換装し、ツイン・ソレックスキャブレターを装着するなどして最高出力を65psへ向上。車重はボディ補強のために重くなったが、4速MTを組み合わせ最高速145km/h、0→400m加速18.5秒と、当時のスポーツカーとしては十分な性能を発揮した。
ソフトトップはもちろん手動式だが、後席の左右と後ろ側にトランクスペースを多少削る形で畳み込めた。その分後席のスペースは狭く、子ども2名が座れる程度で、実質は2人乗り。車両価格は69.5万円、当時の大卒初任給は2.3万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値で約700万円に相当、かなりの高額である。
コンパーノ・スパイダーは、大ヒットにはならなかったが、イタリア映画に出てくるようなお洒落なスタイルが通の間では一目置かれる“粋なクルマ“として、安定した販売を記録した。
カロッツェリアにデザインを依頼した日本自動車黎明期
日本の自動車黎明期の1960年代~1970年代、自動車後進国であった日本の自動車メーカーは、海外メーカーと技術提携を結び、デザインについてはイタリアのデザイン工房(コーチビルダー)のカロッツェリアに委託することが多かった。
有名なのは、ピニンファリーナ、ベルトーネ、イタル、ギア、ヴィニアーレなどで、これらは世界の名車を数多く生み出している。ちなみに、コンパーノをデザインしたアルフレッド・ヴィニアーレは、カロッツェリのヴィニアーレ社の創始者である。
多くの日本車のデザインを手がけて有名なのは、ベルトーネからギアを経てイタルを設立したジョルジェット・ジウジアーロだ。スズキの「フロンテクーペ」、いすゞ「117クーペ」や「ピアッツァ」、「ジェミニ」、日産自動車の初代「マーチ」、マツダ「ルーチェ」、スバル「アルシオーネSVX」など多くの名車を生み出し、日本車の発展に大きく貢献した。
コンパーノ・ベルリーナとスパイダーは、モデルチェンジすることなく初代でその生涯を終えた。ただし、コンパーノシリーズで培われた貴重な乗用車づくりのノウハウは、その後の小型車「シャルマン」や「シャレード」などのクルマづくりに生かされていたはずだ。
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