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後にスターレットとなる、パブリカの派生車、パブリカスターレット
1973(昭和48)年4月11日、クーペスタイルの「パブリカスターレット」がデビュー。パブリカスターレットは、1969年に登場した2代目「パブリカ」の上級スポーティモデルとして登場したが、ベースのパブリカを上回る人気を獲得し、1978年のモデルチェンジを機に車名が「スターレット」となった。
小型大衆車の切り札として誕生した大衆車パブリカ
トヨタは、1955年に日本初の本格乗用車「トヨペットクラウン」、1957年に中型乗用車「コロナ」を投入。続いて、コロナのワンランク下の小型大衆車として1961年に発売したのがパブリカだった。当時通産省が提案していた“国民車構想”の設計思想に基づいて開発され、日本の大衆車の先陣を切って登場した。
パブリカは、当時としては先進的なモノコックボディを採用し、コンパクトな3ボックスの2ドアセダンで十分なキャビンと荷室スペースを確保。パワートレインは、700cc空冷2気筒水平対向OHVエンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式はFRだった。
優れた性能と実用性を兼ね備えたパブリカだったが、期待したほど販売は伸びなかった。質素な装備ながら価格が軽自動車より高いことで、中途半端な位置づけになってしまったのだ。
2代目パブリカの派生車「パブリカスターレット」が誕生
1966年に排気量を700cc/800ccから1000cc/1200ccに拡大した2代目パブリカがデビュー。その7年後、1973年にパブリカの派生車でスポーティな上級モデルとして登場したのが、パブリカスターレットだ。
パブリカスターレットは、イタリアの著名なデザイナーであるジウジアーロのデザインにより、パブリカとは全く異なる直線基調のロングノーズのスポーティなクーペに変貌。エンジンは、パブリカと同じ1.0L/1.2L直4 OHVだが、軽量コンパクトなボディの強みを生かしてモータースポーツでも活躍した。
パブリカスターレットの価格は、1.2L仕様(XL)で62.5万円、ちなみに当時の大卒初任給は6.5万円程度(現在は、約23万円)なので、単純計算では現在の価値で約220万円に相当する。
パブリカスターレットは、ベースのパブリカを上回る人気を獲得し、1978年のモデルチェンジを機に車名を「スターレット」の単独ネームとし、同時にパブリカは生産を終了、スターレットがパブリカの後を引き継いだ。
スターレットからヴィッツへ、そしてヤリスに進化
そして、スターレットは5代目を最後に1999年に「ヴィッツ」へバトンタッチ。引き継いだヴィッツは、世界のコンパクトカーを変えたとまで言われた大ヒットモデルになり、さらに2020年には「ヤリス」となって、現在も高い人気を誇っている。すべては、パブリカスターレットから始まったのだ。
パブリカスターレットが登場した1970年代は、クルマが普及し大衆車でもユーザーの目が肥えてきた時期だった。パブリカからパブリカスターレット、そしてスターレットへの移行は、市場の上級化志向に応える必然の進化だったと言える。
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