航空自衛隊:ブルーインパルス、山形・庄内空港開港記念と医療従事者への表敬で山形県上空を飛ぶ

山形県の北西部に位置する庄内地方・三川町上空に飛来したブルーインパルス。6機編隊で大きく周回することから展示飛行は始まった。米どころ庄内は白鳥の越冬地でもある。インパルスの飛来に驚いたのか、飛び立つ白鳥たちを遠目に見ると機体か白鳥か見分けのつかないことがあり、地域性を感じる面白い体験だった。写真でインパルスの航跡の上方に見えるのが2羽の白鳥。
航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」は2021年10月23日、山形県庄内地方で展示飛行を行なった。庄内空港開港30周年記念とコロナウイルス感染症の対応にあたる医療従事者への感謝と敬意を示すという、ふたつの目的による。東京五輪・パラリンピック以来の大きなフライトとなった。
TEXT & PHOTO◎貝方士英樹(KAIHOSHI Hideki)

2021年10月23日、この日の山形県は荒天で、庄内地方には断続的に強い風雨が襲い、航空自衛隊「ブルーインパルス」の飛行が行なわれるか否か、危ぶまれる状況だった。今回の飛行目的は庄内空港開港30周年記念とコロナウイルス感染症の対応にあたる医療従事者への表敬のためだ。

変わりやすい天候のなか午後1時30分すぎ、6機編隊のブルーインパルスが庄内平野の上空に現れた。三川町の広大な稲作地帯の真ん中で、筆者は大勢の老若男女、地元の方々や遠方からの見物人などと一緒に空を見上げた。

インパルスはメイン会場である三川町上空を大きく周回する。飛行高度は航空祭の展示飛行などより高い。人々はスマホを構え、感嘆の声をあげつつシャッターを切る。手を振る人も多い。

次に編隊は展示飛行課目に移る。課目とは個別の飛行演技のこと。まず6機が分かれスモークを曳きながら、それぞれ水平方向で360度旋回して桜の花びらを描く「サクラ」を見せる。

次に5番機と6番機が並行隊形で進入、スモークオンと同時に左右に散開、大きく旋回してハートを描く。そして4番機がハートを射貫くように飛行。水平パターンの「キューピッド」だ。これは人気の課目なのだが、強風でスモークは雲散霧消してしまう、惜しい……その後、南から北へ向けデルタ隊形で飛行、イオンモール三川(三川町)の上空を過ぎたあたりで編隊が散開する「サンライズ」も水平パターンで見せる。演技を水平パターンにしているのは、地域のどこからでも見えるようにと考えられたものだと思う。

一度南方へ飛び去った編隊は転針、北上するコースで三川町のイオンモール付近上空を飛行する。待ち受けた人々は一斉に撮影開始。
展示飛行の課目「サクラ」や「キューピッド」を見せた後、編隊が散開する「サンライズ」もモール施設の上空を過ぎたあたりで見せる。

今回の飛行は、庄内空港の開港30周年を記念することが主だった。庄内空港は1991年10月1日に開港した。それまで空港などの高速交通インフラがなかった庄内で地域の振興発展を支える役割として30年、空港は運営されてきたのだという。そしてもうひとつの飛行目的はコロナ禍での対応にあたる医療従事者への感謝と敬意を示すため。県内の各病院、日本海病院や余目病院、庄内病院などの上空付近を通過する飛行コースがとられた。

庄内空港上空を軸として周辺地域全体で祝賀飛行と表敬飛行を成立させたいと、庄内の各市町などが要望し叶ったフライトなのだという。宮城県松島基地を離陸したインパルスが巡ったのは、遊佐町、酒田市、庄内町、鶴岡市、三川町となった。

ブルーインパルスは中等練習機T-4を使う。T-4は純国産機で、空自パイロットの基本操縦課程を全て担う機体。インパルス機にはスモーク発生装置などいくつかの改造を施してある。T-4は飛行隊使用機としては、初代のF-86セイバー、二代目のT-2に続く三代目の機種になる。

さらには、第11飛行隊・ブルーインパルス飛行隊長の遠渡(えんと)祐樹2等空佐が三川町の出身であることも大きく関係した。同じ航空業界、空港の開港記念という地元自治体からの要請、そして飛行隊長が地元出身となれば話はまとまる。遠渡隊長と地元、双方の磁力で密着連携し前進した熱く強い計画は、インパルスが飛ぶことで地元振興策や交流などの要素が具体化される。

また遠渡隊長にとっては、今回の庄内飛行展示は出身地への凱旋という意味もある。2020年の医療者表敬東京飛行、そして今年の東京五輪・パラリンピックの記念飛行を成功させての出身地飛行だ。庄内の町々には予告看板やポスターなどが掲示され、インパルスの飛行や遠渡隊長へのリスペクトの声も多く聞いた。ショッピングモール内の特設催事会場や物販コーナーも盛況だった。

1991年10月1日に開港し、30周年を迎えた庄内空港。当日は空港や周辺の公園などで空を見上げた人々も多く、飛行後の周辺道路は渋滞した。平素は静かな空港と三川町には珍しい状況だったと思われる。
イオンモール三川には特設催事会場が作られ、インパルスグッズの販売ブースなどは賑わった。専門店街の酒店では遠渡隊長のサイン入りポストカードが付いた日本酒も販売。庄内空港と自衛隊のブースには遠渡隊長の等身大パネルが置かれ一緒に写真撮影することができ、盛況だった。

展示飛行中、編隊から離れた1機がイオンモール三川の上空をタイトに360度旋回した。遠くて機体番号が見えなかったが、おそらく遠渡隊長機だったのではないかと思う。コロナ禍でインパルスの飛行は以前より激減した。そのなかで東京五輪などでの飛行を筆者は嬉しく感じた。不自由な生活での閉塞感を破ってくれたように感じたからだ。しかしパラリンピックでの飛行後、入間基地帰投時に不要なスモーク使用による事故(降下粒子の地上車両等への付着など)を招いた行動は本末転倒で残念だ。しかし同時に、これら医療者への表敬飛行や五輪記念飛行などを通じ、インパルスに対する国民の認知度や関心は以前より高まっているとも感じる。なぜ彼らは飛ぶのかという問答はコロナ禍にあって意味深く、それは飛行を通じて国民を笑顔にしたいというインパルスの意志と関係する。来年には飛行機会が増えることを願うばかりだ。そのときはいつもの爽快なフライトを見たいと思う。

この写真は松島基地上空での日常的な訓練飛行のようす。当日の現地が好天なら、こういう光景が見られたであろうという参考写真です。

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著者プロフィール

貝方士英樹 近影

貝方士英樹

名字は「かいほし」と読む。やや難読名字で、世帯数もごく少数の1964年東京都生まれ。三栄書房(現・三栄…