生産台数92台!日本導入はわずか6台!超希少なアルファロメオ・グランスポルト・クワトロルオーテを『CAFE DE GIULIA』で発見!!

2024年4月14日(日)、埼玉県行田市にある「古代蓮の里」北側駐車場脇バーベキュー広場にてアルファロメオ・ジュリアシリーズ(110/115系)限定のミーティング『CAFE DE GIULIA』が開催された。2003年より毎年春にこのミーティングは開催されている。そんなジュリアシリーズの集いに、宝石のような美しくも珍しいモデルがエントリーしていた。そのクルマの名は「グランスポルト・クワトロルオーテ」! 1965~1967年に92台のみが「カロッツエリア・ザガート」によってリリースされた「6C1750グランスポルト」の復刻車だ。今回はそんな希少車をリポートする。
REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

アルファロメオ・ジュリアが集まる『CAFE DE GIULIA』に行ってみた! 会場には様々なジュリアはもちろん希少なクルマが目白押し!

2024年4月14日(日)、埼玉県行田市にある「古代蓮の里」北側駐車場脇バーベキュー広場にてアルファロメオ・ジュリアシリーズ(110/115系)限定のミーティング『CAFE DE GIULIA』が開催された。主催は110/115系を中心にしたオーナーズクラブの「クラブ・ビッシオーネ」で、2003年より毎年春にこのミーティングを開催している。オリジナリティを重視したジュリアシリーズの集まりに、筆者の愛車である1967年1300GTジュニア(ボディに錆が浮かんだポンコツ)を伴って訪れた。今回はミーティングにエントリーした素晴らしいコンディションの105/115系アルファロメオを紹介する。 REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

イタリアの職人技の結晶たるスペシャルモデルを手掛けてきたカロッツェリア

自動車黎明期からモノコックボディが主流となる1960年代まで欧州の自動車産業では、高級車やスポーツカーなどの少量生産、限定生産車の製造は、馬車時代からの伝統を引き継ぐ専門のコーチビルダー(ボディ架装業者)が手掛けることが一般的であった。この専門業者のことをイタリアでは「カロッツェリア」と呼ぶ。

1967年型アルファロメオ・グランスポルト・クワトロルオーテ。伊藤忠オートが正規輸入した6台のうち1台で、2台輸入された右ハンドル仕様車のうちの1台。なお、このクルマはアニメ『新ルパン三世』(part2)にて、それまでのメルセデス・ベンツSSKに代わってルパンの愛車となったことでも知られている(異説として6C1750グランスポルトそのものとする説もある)。

彼の国に存在したカロッツェリアは、アルファロメオやフィアット、マセラティ、フェラーリなどのメーカーから納入されたローリングシャシーに、顧客の嗜好や好みに応じたスタイリングのボディを架装することを生業としていた。彼らの上客は金持ちのエンスージアストたちであり、「フセリオリエ」(Fuoriserie:英語のカスタムビルドの意)と呼ばれる完成したクルマは、同じ車種でも1台1台スタイリングは異なり、イタリアの職人技と顧客の夢を具現化したような世界で1台のワンオフモデルであった。

イタリアの自動車雑誌の提唱により、1930年代にレースで活躍した6C1750グランスポルトを模してジュリアシリーズをベースに製造された。スペアタイヤをボディ後端に備えるため、ラゲッジルームは設定されるもののトランクリッドは設けられていない(荷物の出し入れはキャビンから行う)。

しかし、走る芸術品とも称される美しいクルマたちは、自動車のボディがフレームの役目を兼ねたモノコック構造へと切り替わり、メーカーがボディを含めて大量生産するようになった1960年代から徐々に姿を消して行った。職を失ったカロッツェリアはカロッツェリア・トゥーリングのように工房を畳むところも少なくなかったが、生き残ったところはメーカーとの関係を深め、デザインスタジオとしての性格を濃くする一方で、コンセプトカーや少量生産モデル、スポーツモデルの受託生産などを主な仕事として行った。

しかし、世紀を跨ぐ頃には空力や衝突安全性などのカーデザインに求められる要件が増え、エンジニアとの緊密な連携が求められたことが外部デザイナーに不利に働き、カロッツエリアは独立性を維持できずに廃業したり、メーカー傘下に吸収されるなどして数を減らしている。

数多くの名車を手掛けてきた名門カロッツェリア・ザガートの軌跡

さて、そんなカロッツエリアの中でも創業以来、独立路線を維持している老舗がイタリア・ミラノを拠点とするのがザガートだ。
航空機製造会社で働いていた創業者のウーゴ・ザガートは、そこで学んだ軽量化と空力技術を自動車に応用すべく、1919年にカロッツェリア・ザガートを設立。コーチビルダーとしてアルファロメオと緊密な関係を結び、6C1750グランスポルトや8C2300Cなどの数多くの名車を手掛けた。

ウーゴ・ザガート(1890年6月25日~1968年10月31日)
父を早くに亡くしたウーゴはドイツのケルンで金属加工の職に就きながら専門学校でデザインを学ぶ。その後、カロッツェリア・ヴァジーナ、航空機製造会社のポミリオを経て1919年にカロッツェリア・ザガートをミラノで創業する。コーチビルダーとしてアルファロメオと緊密な関係を結び、名車の数々を手掛けた。第二次世界大戦で工房を失うが、戦後にミラノ郊外にて事業を再建した。1968年没。写真は1960年代に工房内でウーゴを撮影したもの。彼が運転席に座るのは6C1750グランスポルト。

第二次世界大戦で連合軍の爆撃により工場が被災すると、一時ヴァレーゼ県サロンノに疎開するも、戦争の終結とともに再びミラノに戻り、アルファロメオの本社があるポルテッロにほど近いジョルジー二通り16番地にて工房を再建した。

第二次世界大戦後、ミラノ郊外に再建されたカロッツェリア・ザガートの社屋。並んでいる車両は同社がボディ製造を手掛けたブリストル406S。

戦後はウーゴの長男であるジャンニ、次男のエリオに加え、1960年にエルコーレ・スパーダが入社したことで黄金期を迎えた。しかし、1969年にスパーダが会社を去ると停滞期に入り、他のカロッツェリアの下請けなどの業務をこなしつつ、時折モーターショーにデザインスタディを発表するという状況が続くことになる。

ウーゴ(写真左)と長男のジャンニ・ザガート。
フィアット8Vの横に並ぶ次男のエリオ・ザガート。

しかし、1980年代中頃から徐々に工房は盛り返し、1986年にアストンマーティンV8ザガート、1989年のオーテック・ザガート・ステルビオやアルファロメオSZ(ES30)などを発表し、1992年にI.DE.Aからスパーダが復帰し、ランチア・ザガート・ハイエナを登場させている(1993年に再びスパーダは離席)。

アルファロメオSZ(ES30)PHOTO:FCA Heritage

2000年代以降は自動車メーカー各社のスペシャルモデルの開発・製造を手掛ける一方で、2011年にイギリスのコベントリーに拠点を置くコーチビルダーのプロトタイプ・パネルズ(CPP)やエンヴィサージグループとの共同出資によりCPPミランを設立。現在の社名はザガートの名を関しないZEDミラノとして、ザガートブランドの製品をリリースしている。

エルコーレ・スパーダ(1938年8月26日~)
1956年にフェルトリネット工科大学を卒業後、兵役を経て1960年2月にスパーダはザガートに入社した。彼の出世作はアストンマーティンDB4GTザガートで、アルファロメオ・ジュリアTZ、ジュニアZ、ランチア・フルビアスポーツなどをデザインした。その後、ギア(フォード)、アウディ、BMWを経てI.DE.Aへ移籍し、フィアット・ティーポ、テンプラ、ランチア・デドラ、二代目デルタ、アルファロメオ155、初代ダイハツ・ムーブなどを手掛けた。1992年にザガートに復帰するがのちにフリーランスとなる。現在は息子のパウロとともにデザインスタジオのスパーダ・コンセプトを運営する。

日本にわずか2台!グランスポルト・クワトロルオーテの右ハンドル仕様

ザガートがリリースしたクルマのほとんどが少量生産のスペシャルモデルだ。だが、その中でもとびっきり珍しいクルマがアルファロメオ・ジュリアシリーズ(110/115系)限定のミーティング『CAFE DE GIULIA』にエントリーしていた。そのクルマとは1965~1967年の2年間にわずか92台(1965年に12台、1966年に52台、1967年に29台)が生産されたアルファロメオ・グランスポルト・クワトロルオーテだ。

グランスポルト・クワトロルオーテのサイドビュー。右ハンドル仕様はペダルレイアウトの問題から運転席側面のボディにバルジが設けられている。

ボディから独立したフェンダーを持つこのクルマのクラシカルなスタイリングは、1930年代に登場した6C1750グランスポルトを模して作られたもの。当時、イタリアの自動車雑誌『クアトロルオーテ』を主宰していたジャンニ・マゾッキが、ミッレミリアなどで活躍した往年のスポーツカーを復刻させることを提唱し、アルファロメオとザガートがそれに応えて少量生産されたのである。

グランスポルト・クワトロルオーテのフロントビュー。グリルには6C1750グランスポルトと同じ筆記体のエンブレムが備わる。エルコーレ・スパーダは155を手掛けた際に、このエンブレムを縮小して右側のエアインテークに装着することを提案したがアルファロメオから却下された。
グランスポルト・クワトロルオーテのリアビュー。ナンバープレートは画像処理で消されているが、1960年代から日本にいる車両らしくシングルナンバーが装着されていた。

ベースに選ばれたのはジュリア1600で、アルファロメオが専用のベアシャシーを提供し、それをザガートの工房で職人の手作業で完成させている。その構造はザガートの伝統的な工法に基づいて鋼管フレームの上にアルミパネルで作られた。

1930年代の復刻車ということでボンネットには革製のベルトが備わる。

心臓部のアルミ製1.6L直列4気筒DOHCエンジンや5速ギアボックス、サスペンションなどの主要コンポーネンツはすべてジュリアシリーズのものが流用されている。ただし、ホイールとブレーキはクラシックなルックスにこだわり、ジュリアのスチールホイールと4輪ディスクブレーキの代わりにノックオフワイヤーホイールとドラムブレーキに変更されている。ただし、ステアリング機構はジュリアのウォーム・アンド・セクター式からラック・アンド・ピニオン式へとアップグレードされており、その恩恵で前輪の荷重負担が軽減されている。

グランスポルト・クワトロルオーテのホイールは、クラシックな意匠とするためノックオフワイヤーホイールが装着される。ブレーキはドラムブレーキとなるが、放熱効果を高めるためアルフィンドラムが採用されていた。

オリジナルの6C1750グランスポルトに比べると、ボディはワイドになっているが、オリジナルの雰囲気はよく再現されており、当初50台限定で生産する予定が、人気の高まりから92台に増やされたことも頷ける。

グランスポルト・クワトロルオーテのコクピット。ステアリングホイールやシフトレバー、ペダル類などの操作系はジュリアのものが使用されている。

グランスポルト・クワトロルオーテは、当時のアルファロメオ正規インポーターだった伊藤忠オートによって6台が輸入されており、そのうちの2台が日本向けに特注で製造された右ハンドル仕様となる。写真の車両はそのうちの1台で、新車時からずっと日本にいる大変希少な車両だ。こうした希少車に出会えるのもこのイベントならではと言えるだろう。

グランスポルト・クワトロルオーテのシート。年式的に本来シートベルトは備わらないが、2点式のものが後づけされている。

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著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…